時々放談
by ryu-sei
日米関係(2009年11月11日)
― アメリカの歌 ―
昨年の暮れから今年の初め、アメリカ合衆国では大きな政権交代が起きて、新しい大統領が誕生。この国では、夏の終わり、やっぱり大きな政権交代が起きて、新しい内閣が発足。やはり、あのありえないJr.元アメリカ大統領とその政策に加担し続けてきた各国の政治勢力に対する市民の静かな反発が、こういう事態を招いたんだろうと、簡単にまとめてしまう。(確か、オーストラリアもそうでしたか) そうやって成立した新政権も、今まで旧政権がやって来た事との連続性も無視できないだろうし、反対勢力の反発もあって、色々と悶着はあるでしょうが「もと」には戻らないんじゃないかと思います。 日本にとって、アメリカという国は、江戸幕府の鎖国中にいつの間にか出来ちゃった新しい国なのにその鎖国を解いた国であり、数々の近代的な技術や文化をもたらした国であり、アジア・太平洋エリアを巡って利害が対立した国であり、第二次世界大戦中は「敵」「鬼畜」であり(僕の父も叔父たちも徴兵され戦った)、原子爆弾を投下した国であり、日本に勝って占領していた国であり、その後ずっと特別な軍事同盟を結んでいる国であり(JR「相模原」周辺にも、小田急線「小田急相模原」&「相武台前」周辺にも『治外法権のアメリカ』がある)、大事な『民主主義』とジャズやフォークやロック等々のポップミュージック、シネマ、ジーンズ等々の美味しいカルチャーをもたらした国であり、僕がはじめて旅をした外国(1980年代初めごろのカリフォルニア)でもあります。 しかし、冷戦も終わって、日本とアメリカの愛憎相半ばするベタベタした関係(日本の片思い的な部分も多かったかも)は、だんだんドライで薄いものになって行くのだろう(あるいは行くべきだ)と思っている人が増えてきたし、今の総理大臣の発言も、それを踏まえてのことでしょう。アメリカの外交方針も、おそらく多極的でそして多分もう少し内向きの外交政策へと転換していくのだろうという識者の分析も増えているように思います。 するっていうと、この先、アメリカン・ミュージックにかぶれるような人間は、若ければ若いほどますます減っていくのは目に見えていて、いわゆる「洋楽」CDの売り上げ比率もどんどん落ちているわけで、アメリカ系メソジスト教会が母体の大学に通ううちの家族にしても学生バンドでベースを弾いていてもアメリカンミュージックに対する関心はほとんど無さそうだし、アメリカン・ミュージック好きは貴重な人種になることは避けられそうにない。(万象房には若いのにアメリカン・ミュージックにかぶれている25歳の良いギタリストが一人出入りしていますが) 確かに、自分も、まったく大義のないあのイラク戦争以来、アメリカなんて大嫌いではありましたが、オバマ登場以来、アメリカの曲、またよく歌ったり弾いたりしてしまう今日この頃。アメリカの歌といえば・・・・・? |
小田原城址公園(2009年9月18日)
― 追悼、ゾウさん ―
国内最高齢のゾウさん、ウメ子さんが亡くなってしまいました。子供の頃、生まれて初めて接したゾウさん。それは僕の兄弟も子供たちも、みんなが初めて接したゾウさん。小田原城の天守閣がそびえる城址公園の中の小さな動物園。遊園地もある。野球場もあって、学校もあって、図書館もある小田原城址。ウメ子さんが若かった頃、そう、お客さんの集団に「プフォー」っと元気に鼻水を飛ばしていた頃、お城の内堀の中はまさに西相模の文化的&娯楽的中心でありました。 小田急線で、小田原の駅に降り立つと、その向こうには湘南電車、あっちには箱根登山電車、駅前には、西相模唯一のデパートと夢のようなスパゲティミートソース、小田原城の天守閣、遥かかなたに箱根火山の山並み。地方中核都市の香りが一杯。少し歩けば、近深(⇔遠浅)の御幸ヶ浜海水浴場。 そんな記憶が、ウメ子さんとともに、蘇ってくるのであります。 しかし、ニュースによれば、文化庁の「国指定史跡の中にふさわしくない施設」という指導で、このウメ子さんの死とともに動物園は閉園になるそうです。まあ、しょうがないと言えばしょうがないけれども、小田原城址公園、大好きでしたねぇ。いろいろと残念です。 ぞうさん |
魚(2009年7月28日)
― 条件反射 ―
この季節、突然、魚を食べたくなる時があります。別に魚の通でも、釣りを趣味としている訳でもないのに、やっぱり日本人でしょうか? まず、潮や魚の香りを嗅いだ日。子供を海水浴に連れて行った日(もう大きいから行かない)、海沿いをウォーキングした日、魚屋さんの前を通りかかった日、魚料理の話を誰かとした日、・・・・・単なる条件反射です。夜はビールを飲みながら、「鰹」に「鯵」に「鮪」に、・・・・・そんでもって池波正太郎を思い出しながら「蜆汁」。 『鬼平犯科帳』だか『剣客商売』だか忘れましたが、確か、何か面倒な事件がやりきれない結末を迎えたあとに、おなじみの店で、山椒を入れて蜆汁をすするというたまらないシーンがあったような。池波正太郎は原作で読んでも、テレビドラマ化されたものを見ても秀逸です。こちらも食べたくなる。やっぱり条件反射。 『鬼平犯科帳』はテレビドラマではジプシーキングスの「インスピレーション」がテーマ曲。これが堪らない。この曲を、万象房出入りのギター弾き菅沼少年が誰よりも見事に弾きこなす。目の前で弾いてもらうと、やっぱり美味しいものを食べたくなる。とんでもない条件反射。 そう言えば、昔、就職して海沿いの町の学校で初めて教員の仕事についた頃(教室では社会科を、軽音楽部室ではギターを教えたり、まだバンド譜やTAB譜みたいなものが今ほど出回っていなかった時代なので、高校生たちが演奏したい曲を耳コピーして譜面にしてバンドアンサンブルをアレンジしたりしていました。そんなこともなぜか学校の先生の仕事。彼女・彼らも今はもう四十代中ほどかしらん)、何かの宴会で、刺身用のワサビを醤油に溶かしていたら、その食べ方は違うと、先輩の教員に注意されたことがありました。確か、池波正太郎もそんなことを言っていたような。ワサビやツマは醤油に溶かさず、刺身に直接付けたり乗せたりして口に運びなさいと。ほんとに決まりってあるんでしょうか。でも、今でもワサビは溶かさないようにしております。 先日、ウォーキング・スケッチ教室野外講習の付き添いで出かけていたら、雷がゴロゴロしてきたので慌てて帰ってきました(なぜか帰りのバスでは美味しい魚屋の話)。万象房に到着すると、ちょうどハワイアンウクレレ教室が終了したところ。こりゃあ行きますか?と、3人で万象房から徒歩1分の所に良い店をみつけ出し、その日は皆で仕事を放棄してビールとお魚に舌鼓を打ったとさ。 |
活 字(2009年6月8日)
― 音楽は死んでも止めぬが、残念ながら小説読む暇はなし ―
読まなくてはならない文献が、油断をするとたくさん溜まってしまいます。活字を読むことは、自分にとって大事な「仕事」の一つで、いわゆる「仕込み」であります。宗教史や思想史の分野では、学術レベルの情報をインターネット上に求めてもいわゆる「ガセネタ」をつかまされることが多く、結局、信頼できる情報に到達するための作業は、各学術論文の本文や参考文献を手がかりに、芋づる式に探し出すしかありません。文章を書くことが仕事になっている人ならば、必ずそうする基本的な方法論。 その時に一番役に立つのが国立国会図書館蔵書検索・申込システムで、これは読まなければという論文は、リストを作っておいて、月に一回くらいのペースで、永田町まで高いコピー(A4一枚 25.2円)をまとめて取りに行くのです(場合によっては郵送してもらいます)。ここは、東京都の区部エリアで僕が唯一通っている場所。アロハシャツを着て、自民党本部の前を、警察官にじろじろ見られながら、国会議事堂を右手に図書館へ向かう。昼食は、社民党本部のビルを眺めながら、社会党の頃とは時代が変わったなぁ、と想いながら、最上階の食堂でカツカレーを食す。 神奈川県内限定の情報ならば、神奈川県立図書館OPACでリストを作っておいて、桜木町から紅葉坂の県立図書館かながわ資料室へ向かう。こちらはコピーが10円。 学術雑誌は、研究機関に勤務していない自分には、なかなか入手が困難なので、こうやって大きな図書館でコピーするしか無いけれど、本一冊の情報を丸ごと確認するには、図書館で読んでくるか(国会図書館は貸出制度なし、神奈川県立図書館は県民のみ貸出可)購入いたします。買うのは安い本ばかりにしておりますが、これが馬鹿にならないくらい溜まります(当然出費も・・・)。 この一ヶ月間に、購入して読んだ本。 ・曽根原理『神君家康の誕生 東照宮と権現様』(吉川弘文館)・・・・・東北大の曽根原先生の一般向け書き下ろし、先日、万象房が閉まっている時に訪ねて来てくれたらしく、ドアに貼り紙と最近の玉稿が張ってあってびっくり。もちろん論文も読ませて頂きました。そう言えばご実家が近所だと伺ったことが・・・。(ちょっと観念的なので、思想系に慣れていないと難しいかも) ・小川剛生『武士はなぜ歌を詠むのか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版)。(新情報満載。久しぶりに目から鱗) ・大隈和雄『日本の中世2 信心の世界、遁世者の心』(中央公論新社)、これは読み直し。(名作です。でも、明らかな誤解もあり) ・原淳一郎『近世寺社参詣の研究』(思文閣出版)、これも半分読み直し。(もとが博士論文なので、読みやすくはない。でも神奈川県エリアの歴史理解には大事な論考) ・湯浅治久『戦国仏教 中世社会と日蓮宗』(中公新書)。(世俗主義と原理主義のハザマは歴史の普遍なんだと再認識) ・溝口睦子『アマテラスの誕生−古代王権の源流を探る』(岩波新書)・・・・・叔母です。今まで分厚い専門書が実家には送られて来ておりましたが、中世周辺ならばともかく古代のことはちょっとサボってちゃんと読んでおりませんでした。岩波新書だし、今回は始めて真面目に読みました。やはりすごい大学者です。初代むっちゃん(!?)です。(叔母様は読みにくいかもとおっしゃっているようですが実に読みやすい。名著です) 他に、これから読まなければと溜めている本が9冊ほど、論文がいくつか。マイペースながらがんばりたいです。 |
保育園(2009年5月6日)
― 雨にぬれても ―
世の中、とんでもない不況に突入してしまいました。自分の友人、知り合いの中にも、仕事が減ってしまったり、仕事がなくなってしまったせいで収入が大幅に減ってしまった人は全然珍しくありません(まあ、自分ももう6年間も税金を払っていないし、被扶養家族だし、そこから脱却すべく日々もがいているわけですが)。この先、いったいどうなるのか、社会全体が将来に対して不安になっているような気がいたします。 つい先ほど、そんな社会をどうするのかというようなテレビ番組を見ていたら、やっぱり保育園・託児所を充実させている岡山県のある村が取り上げられておりましたが、これ絶対正解!と思いながら見ておりました。かつて、保育園と保育士の先生方に長年にわたり大変お世話になっていた我が家といたしましては、もっと保育園や学童保育などの施設が増えて、共稼ぎ・結婚・育児をしやすい社会にし、子供たちを「家庭」という小さな閉鎖社会からもうちょっと解放してあげたら良いのにと思う次第です。 この社会も、一つの仕事では収入が足りない社会になって来た訳ですから、需要のあるアルバイトやパートの仕事をかけもち出来るような社会にするためにも、社会の将来にとってとても重要な結婚や育児をしやすい社会にするためにも、保育園や学童保育がもっと充実したら良い。そのための予算の一部として定額給付金の財源を使えば良かったのに、とか、定額給付金をもらった後で、こんなことを言うのもなんですが、・・・・・いや、この会話は以前から何人もの知り合いとしていました。 それにしても、我が家がお世話になっていた、恩田川沿いの保育園の先生方は、それまで自分が思っていた保育園と育児のイメージを全く変えてくれました。今は亡き当時の園長先生には色々なことを教えて頂きました。正直に言うと、保育士という仕事は尊敬できる素晴らしい仕事なんだなぁ、という想いはずーっと持っているのです。 本日は雨。雨が降ると、昔、保育園の発表会で子供が踊った「雨にぬれても」が思い出されるのであります。1970年に大ヒットしたB.J.トーマスのあの曲。バート・バカラック作曲の名曲。映画「明日に向かって撃て」のあの主題歌。保育園児の踊りにこの選曲がたまらなかったですねぇ。 "Raindrops Keep Fallin' On My Head" |
桜の季節(2009年3月31日)
― 三昧法螺声その2 ―
暖冬で、春の訪れがことのほか早く、桜も3月中に満開を迎えるのかと思っていたら、さにあらず、まだ咲き始め。 6年前の4月、京都・聖護院(天台宗)の葛城入峰で初めて修行させて頂いた時、どこに行っても桜の花びらが舞い散っていたのがとても印象的で、法螺貝の倍音が鳴り響く中を、新客(初めての修行者という意味)山伏の一員として、緊張しながら山や里の巡礼修行の道を短期間ながらも歩き続けたのが、この季節になると意識の中によみがえってきます。 それは、たぶん今までに何度も経験した、入学や就職や転勤の儀式の日に見たどの桜よりも荘厳で美しく、長い歴史の時間の流れに自分が置かれているのを勝手に感じていたのでした。 葛城修行は、大峰修行(吉野〜熊野、もちろん世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」)と並んで、古代にさかのぼる歴史があります。もとは約100kmを巡礼していたこのコースも、現代では開発が進んで自然環境が残されているところもわずかですが(だから世界遺産から除外されちゃったのでしょう)、上皇たちが政治の実権を握るようになった平安時代の後半頃には、その修行の「かたち」が、大峰と同様、文字になって整備されておりました。 その後、平家や源氏が登場しようと、後醍醐天皇が出てこようと、足利尊氏が出てこようと、織田信長や豊臣秀吉や徳川家康が新しい日本を作ろうとした時も、第二次世界大戦が起こっても、高度経済成長期を経ても、21世紀になっても、簡略化されながらも、この葛城修行は多少の断絶はあっても存在し続けていた訳で、それが、プロの僧侶だけでなく、一般人も参加しながら現代でも続けられているということは、世界的に見ても驚異的なことなのでしょう。外国から山伏修行や山伏の研究に来る方が多いのももっともな話であります。 その葛城で修行&研究するために、またフランスからピエール氏(本人ブログ)がやってまいりました。東京に来るついでがあったということで、万象房へもやって来てくれました。しかも、土曜日のエバックのウクレレ・グループレッスンのクラス入れ替えの大騒ぎの最中に(!)。昔の日本のことばかり考えてないで、現代のアロハな日本に接するのも必要ですよね。帰る前におっしゃってました。「うーん、この空間は良い」。ですよね! " 三昧法螺声 一乗妙法説 経耳滅煩悩 当入阿字門 " |
パソコンと火山灰(2009年2月2日)
― The Damage Done ―
ついに万象房のレッスンルーム兼オフィスで使っていたパソコンがおかしくなってしまいました。青色申告のシーズンだから、そろそろ会計ソフトの新年度ヴァージョンをインストールしようとしたけれど、もうCD-ROMを読む力がこのコンピューターにはありませんでした。なにしろ油断をするとCD-ROMのトレイが出たっきりな状態がすでに半年以上続き、これだけロー・スペックで古いものを修理に出すのも、想定される費用を考えると馬鹿馬鹿しく、諦めることにいたしました。 青色申告とは言っても、ライブやワークショップなどのイベントやお教室も、コンセプトが合う面白そうな企画であれば、赤字でも平気でやっている訳ですから、お金が儲かる訳もなく、別にこんな申告しなくても良いじゃないかと、ふと思ったりもいたしますが、世の中そういう訳にも行かないでしょうから、パソコンを新調しなくてはならない! そう思って、ネットショップを覗いて色々悩んでみるものの、どれもこれも一長一短で決めかねます。これは実際のパソコンをお店で見て思考をリフレッシュしようと、車で出かかるべく駐車場まで行ったら、なんと、白いものがうっすらとポンコツのマイカー(最近は子供のものになりつつある)に積もっておりました。雪?黄砂?家族が教えてくれました。今、噴火中の浅間山の火山灰だと。 降り積もった火山灰・・・・・。そういえば、この辺はあの赤い「関東ローム層」という降り積もった火山灰から出来た厚い土壌に被われていたのだっけと思い出し、その土壌の中に浅間山の火山灰はあったのだっけ?と電子ブック版の『日本大百科全書』(小学館)を調べたら(学術的な情報に関しては「Wikipedia」は信用できないことが多々あるので、念のため)、やっぱりありました。関東ローム層を形成する灰の出どころは「富士山、箱根山、八ヶ岳、浅間山、榛名山、赤城山、日光男体山など」。 なるほど、浅間山の灰は、人間がここで暮らし始めるのよりももっと前から降り続けていたのかと、ちょっと感慨にふけりながら、不況ムードを煽ってばかりいる嫌なニュースや、大麻に手を出してしまったアメリカの水泳選手と日本人力士のニュースを聞きながら、ニール・ヤングというカナダ人の「ダメージ・ダン」という、ジャンキーの友人をけなしているのだか褒めているのだかさっぱりわからない(僕には未だに意味が掴みきれない)、淡々とした暗い曲が、なぜか頭の中で流れた日でありました。 "Needle And The Damage Done" |