町田音楽ネットワーク
時々放談
(2003年 1月>>12月)
by ryusei



年末雑感
(2003年12月21日)


― Knockin' On Heavens Door ―

 2003年がもうすぐ終わろうとしている。自分にとっては特別な年だった。

 まず、退職してしまった。22年間も勤めていたのだ。そして、勉強を始めた。音楽とは全然関係がない。学生時代にやっていた宗教思想史、いや今度は宗教地理学といったほうがわかりやすい。特に山岳宗教の修行場における空間構造を研究し論文を書いている。そういう訳で、実際に修験道の修行にも参加する。これは研究上のフィールドワークだ。でも実際に紀伊半島で千年の伝統を持つ山伏の修行をやるわけだから白装束だ。ミュージシャン仲間はこれをネタに怪しむ。影でいろいろと言われている。でも別にいいや。実際、現地でけっこう感動しているし。

 退職したから、収入が無い。支出だけだ。MMNやアコジャムをビジネスのように思っている人がいるらしいが、とんでもない、究極の音楽ボランティアだ。ミュージシャンとして演奏にはあちこち出向くのでギャラは時々もらう。でもだいたいその場で飲み終わる(笑)。家族を抱えてのこのような生活はかなりスリルがある。退職してからは、山には出かけるけれど町にはあんまり出かけない。お金がかかるから。あっちの店こっちのイベントそっちのミュージシャンから見に来てくれという声がかかる。でも・・・・・。不義理と言われてもまあいいや。

 9月に、WARREN ZEVONという人が死んだ。最後のアルバム「The Wind」がリリースされたのは8月。最近僕はUSAが嫌で、坊主憎けりゃ袈裟までじゃないが、アメリカの呪縛から離れようという意識が自分の中にあって、アメリカ音楽にも距離を置いているつもりだった。でも、ガンに侵され、余命いくばくもないやつれた顔でこちらを見つめるジャケットは無視出来なかった。学生時代に好きだったんだ。Ry Cooder、Don Henley、Jim Keltner、David Lindley、Timothy B. Schmit、Jackson Brown、Bruce Springsteen、etc.がそこに居た。彼らは今のアメリカをどう思っているんだろうと思いながら、ZEVONの声を聞いた。彼は1曲だけカバーを入れていた。もうすぐ死ぬとわかっているのに「Knockin' On Heavens Door」(Bob Dylan)だ。おまけにオリジナル曲には入棺の歌まで!全く!冷静に聞けないじゃないか!

 自分を含めてみんな死んでしまうんだという実存的事実に目を向けなければいけないんだ。ZEVONの歌やドイツの哲学者たちが言うようにだ。実存的に生きるとはそういうことだ。

 2004年のテーマは「実存的に生きる!」 これに決まり。

♪ Mama, take this badge off of me
I can't use it anymore
It's gettin' dark, too dark to see
I feel like I'm knockin' on heaven's door
Knock, knock, knockin' on heaven's door
Knock, knock, knockin' on heaven's door ♪



デジタル
(2003年11月24日)


― ALL YOU NEED IS EARS ―

 ほんとにデジタルの時代だと思う。音楽だけに限ってみても、プロレベルのレコーディングはもちろんのこと、ICレコーダー・携帯プレーヤーまで、日本の音楽環境の隅々デジタルだ。デジタル録音が日本で始まったのはたぶん1980年ぐらいなんだろうか?カシオペアとかYMOとかだったような記憶がある。再生機の方はCDプレイヤーの一号機がソニーから1982年に発売だった。

 ビートルズのプロデューサー、ジョージ・マーティン(殺人容疑のフィル・スペクターじゃなくて!)が「1950年、この年は私がレコード産業に入った年であり、同時にエレクトロニク・テープによる新たなレコーディングの時代がまさに始まろうとしていた年だった。私は幸運だった。次のデジタル・レコーディングの時代までの25年間が、そのまま私の人生だったからだ。」(「ビートルズ・サウンドを創った男−耳こそはすべて−」(ALL YOU NEED IS EARS)吉成伸幸、一色真由美訳、河出書房、1992)と語っている。良い時代だったんだ。

 デジタルレコーディングの世界では、いよいよ、サウンドレコーディング技術認定試験まで始まるらしい。機械音痴の自分にはなかなかついていけない世界なんだけれど、便利そうな製品は欲しくなってしまうんですね。今まで使っているハードディスクレコーダーよりもノートPCにUSB接続のインターフェースがあった方が便利かなー?とか、ちょっとした音メモがわりにMP3録音できるICレコーダーが便利かなー?とか、きりが無いのが嫌な時代ですね。こんな時代に付き合うお金はない!



BUTOH
(2003年10月27日)


―  ゆらぎ ―

 「BUTOH」という言葉は漢字で表記すると「舞踏」。日本から海外に輸出された文化として、いわゆる「DANCE」とは違う日本的な前衛表現の一つとして捉えられている。日本では今ひとつポピュラーじゃないかもしれない(という事は、「テレビ向け・お子様向け・欧米の物真似」じゃないということだと思う)。でも国外で人気を誇る日本の現代表現文化の代表として、和太鼓やBUTOHはあげられる。

 BUTOHははっきり言ってキモイ。と言いながら、つい二日前に山海塾をグリーンホールまで見に行ってしまった。故 土方巽 に始まるあの舞踏のスタイル、白塗り、ゆっくりした動作、暗闇にうごめく裸の肉体、非日常的で境界線上の演出、etc.。しかし、訳がわからない中から不思議と伝わってくるイメージや情念や意味の集積。

 学生時代、まだ山海塾が大駱駝鑑(麿赤兒)山海塾と呼ばれていた頃、舞台作りを少し手伝ったことがある。市場からもらってきたトラックいっぱいの魚の尾ひれ、臭くてヌルヌル、これをひたすら後ろの壁面に打ち付ける。臭かった。まさに暗黒舞踏だった。しかし半端じゃなくカルチャーショックを受けたのを覚えている。

 今回の終演後、作曲家で山海塾の音楽担当もしている吉川洋一郎に偶然出くわして少し話しをした。舞踏家たちが修行僧に見えてお経が聞こえて来そうだった、と言ったら怪訝な顔をしていた。(すぐに修行僧がイメージされるのはまったくこちら側の個人的な事情なんだけれど。)

 実は僕が持っているギターのうち1本(ストラトキャスターモデル)の前所有者はこの吉川氏で、またその前の所有者は山海塾の舞踏家 岩下徹だったりして、今回も何か見えない力にゆらゆらと引き寄せられるように見に行ってしまった訳です。(ところで、相模原市の県立新磯高校の校歌はこの吉川氏の作品です。コード感が独特の素敵な曲なので大事にして欲しいと思います。)



天河弁財天
(2003年9月17日)


―  天上の音 

 細野晴臣、ブライアン・イーノ、喜多郎、松任谷由実、長渕剛、UA、スティーヴ&レナード衛藤、こだま和文、他多数、多くのミュージシャンがお参りに来たり、演奏を奉納している。奈良県吉野郡天川村、紀伊半島大峰山中西麓の弁天さん。

 弁天さんはインドではサラスバティーSarasvati、智慧、弁舌、技芸の女神。関東では江ノ島の弁天さんが有名だ。仏教とともに日本に渡ってきた、まさに神仏習合を象徴する神様だ。胎蔵界マンダラの最外院下の方にいらっしゃる。「弁才天」にお金儲けの願いがこもって「弁財天」とも書く。鎌倉の銭洗い弁天はその良い例だ。しかし、弁天さんは技芸の女神として琵琶を抱えている図像に人気が高い。芸能関係者がわざわざ天川までお参りに来るのは今に始まったことではない。

 たくさんのミュージシャンが毎年お参りに来る天河神社だけれど、奥の宮まで登ってくる人はまずいない。奥の宮は弥山(みせん)山頂1895m。やってくるのは奥駈け修行の山伏と登山者だ。弥山は須弥山(しゅみせん)、宇宙の中央にそびえる聖山。雨と霧の多い山だ。

 山上のトウヒの原生林の中に、鹿の「キャイーン」という鳴き声、野鳥のさえずり、法螺貝の響き、弁才天のマントラ(真言)がこだまする。これが天上の音。

♪ オン
ソラソバテイエイ(サラスバティー)
ソワカ ♪



ワールドカップ
(2003年8月19日)


―  応援歌 

 10月10日、フットボールの2003ワールドカップがオーストラリアで開幕する。サッカーフットボールではなく、ラグビーフットボール。日本代表の不動のCTB(センター)13番難波英樹(トヨタ自動車)ももちろん出場する。強烈なタックルとアタックを身上とする難波選手は厚木市出身、ラグビーの強豪として全国に名をとどろかせた相模のオールブラックス「台工」(相模大野)ラグビー部の元キャプテン。1993年・1994年の全国2連覇の時の中心選手だった。

 その相模台工業高校という名称も2005年消滅する。他校と統合、違うタイプの新しい学校になる。「台工」という名前が持っていた全国区の男くさいブランドイメージが無くなるのはとても残念だ。

 ラグビー選手の運動能力の高さは筋肉番付に出演したやはり日本代表WTB(ウィング)大畑選手に見られるように、非常に優れているしバランスが取れている。難波選手の運動能力も素晴らしいのだ。日本代表の初戦は10月12日対スコットランド戦。ワールドカップなんだから、テレビでもやるだろう?今までの実績から考えると、なかなか勝てないかもしれない。でも、ぜひ難波選手を、そして日本代表を応援しよう。曲は何が良いんだろう?難波選手は「ゆず」が好きらしいから、「ゆず」の曲かな。オフィシャル応援歌も近々発表のようだから、いい曲を期待したい。

※ ラグビーの世界ではナショナリズムと無縁であることを付け加えておこう。以前も書いたことがあるけれど、国籍は関係ないのだ。ラグビー協会の所属が重要なのだ。このシステムは良いと思う。

【後日談】
日本代表、全敗してしまいました。
どれも良い戦いぶりでありましたが、残念です。
結局、難波選手は予選リーグ最強のフランス戦に出場し大健闘しました。

【後日談その2】
イングランド対オーストラリア
決勝戦は素晴らしかった。
ラグビーでは基本的にありえない延長。
最後はコマーシャルでベッカムとけりっこしているウィルキンソンのDG!。
何で地上波同時中継しないんだ!?

仕組まれている世の中(2003年7月7日)

― 洋楽 or 邦楽 
(最近のPops、Rockのジャンル分けではありません)

 自分が好きな音楽や色、気に入った曲そしてファッション、自分のセンス、フィーリング、オリジナリティーなどなど、「これが自分だ」って強がって見ても、自分の中を捜し求めるとそこには何にも無いかもしれない・・・・・いわゆる仏教的な「空」。

 音楽学者の徳丸吉彦は以下の事実を解き明かしている。明治時代の政府が学校教育の中でいかに西洋音楽(洋楽)を日本人に植え付け、時の文化人たちが如何に洋楽をたたえ邦楽(特に三味線音楽)をおとしめる論陣を張っていたか。こうして、いつの間にか西洋クラシック音楽を頂点とする暗黙の音楽序列が日本の社会に出来上がった。日本には何十という音楽大学があるが邦楽演奏を専攻できるのはたったの1校、他は全部西洋古典音楽大学。三味線でも雅楽でも邦楽演奏を大学で学びたいのなら太平洋を渡ってUCLAに進学した方がバラエティーがあるという逆転現象。結局は政治的にそして歴史的に仕組まれている中での自分の音楽センス。

 日本流行色協会(JAFCA)という組織がある。毎シーズンの流行色をリードしている。今年のレディースウェア秋冬物は「ウィントリー・レイク─愁湖。ニュートラライズド。冬の自然のロマンティシズムに包まれた色調」。もう2年前から決まっていることだ。それも世界組織のインターカラー(国際流行色委員会)の会議で大筋決められている。業界の生産工程を考えるとこのペースで流行をリードしていかなければやって行けないのだろう。やっぱり仕組まれている中での流行とファッションセンス。こんなことは他にもたくさんある。

 一方、この地域には筝の保坂由佳さん(町田、今月の音楽人No.11)、和太鼓のヒダノ修一さん(大和)、尺八の大由鬼山さん(相模原)といったミュージシャンが伝統邦楽畑から飛び出してクロスオーバーな活動を独自に繰り広げているのも事実。注目に値する。ところで、お稽古事とかじゃなくてギターやピアノみたいに気楽に三味線弾きませんか?

ハーモニカ大会(2003年6月6日)

― The Marguerita Suite 

 先日、世界ハーモニカ連盟日本支部(F.I.H.JAPAN)主催ハーモニカコンテスト2003決勝に参加した。部門はテンホールズ、つまりブルースハープ。僕は吹いたわけじゃない。ギターのバッキング、伴奏のお手伝いだ。相模原在住のハーピストで大会優勝経験もある平松氏の生徒さんが出場を狙うというので練習用のギターカラオケ音源を作って送ったのがずいぶん前のこと、もう忘れかけていた。それがいつの間にか決勝10人枠に勝ち残っていて、あわててパーカッションをはまー氏に頼み当日に備えた。

 出場した中原さんが選んだ曲はThe Marguerita Suiteというリバーダンスにも出て来そうなアイリッシュトラッドの香りが一杯の組曲、このケルト風の速くて独特なメロディーをブルースハープで吹いてしまおうという大胆かつ無謀な計画だった。ブルースハープはご存知のようにハーモニカ1つで1つのキー(調)の音階を吹く。だから中原さんは3個のハープを曲の途中で早業のように入れ替えながら吹くことになった。

 決勝にエントリーされていたのは結局9人、東京・大阪・京都・広島・静岡・新潟と全国から出場している中で、厚木が2人もいたのは驚いた。さすが「ハーモニカの街」だ。伴奏者を連れて来ている出場者はむしろ少ないほうで、小出斉(G.)、山崎よしき(Dr.・・・町田在住!)他のブルース系スーパーミュージシャンがバッキングをしてくれる。やっぱりブルース、ポップス系の曲が多い。その中でハープ持ち替え早業付きのダンサンブルなアイリッシュワルツ!結果は見事準優勝であった。ここに中原さんの健闘を称えたい。

 それにしても、ハーピストの世界がこんなに奥深いとは今まで気づかなかった。複音ハーモニカ等の他の部門のコンテストは翌日に行われたようだけれど、台風の影響で大雨なのに、ブルースハープ部門だけでも超満員だ。おまけに有名どころのハーピストが日本中から集結していて、コンテストの後は延々とセッションが続く。定例会的なノリも大ありで出場者・出演者・観客の皆さんがこの日を待ってましたという雰囲気が伝わってきた。お客さんも只者じゃない。なにしろ自分の演奏後に「ドロップDチューニング(という変則チューニング)でアイリッシュは良いですねー。」とか「そのギター(1973製K.YAIRI)はバックがハカランダー(現在ワシントン条約で輸出入禁止のブラジル産木材)でしょー。」とか話しかけられてえらくビックリした。後日、近所に住んでいる山崎よしきさんに図書館でばったりお会いしたら「1日で1年分楽しめるでしょ。」と言われた。まったくその通り!

「トテナム or トットナム」(2003年5月11日)

― Empire Road 

 昔、「90 日間・トテナム・パブ」というチープかつ全編ロンドン・ロケのフジテレビの深夜ドラマがあった。1992年、主演:坂井真紀(女優デビュー作!)、プロデュースは高城剛(映像作家、ハイパーメディア・クリエイター、今や大学講師)、主題歌はFISHMANS(ドラマーの茂木欣一は今スカパラですね)だった。家人がなんだか好きだったんで、よく夜更かしして一緒に見ていた。ロンドンのトテナムを舞台に3組のイギリス人男性&日本人女性のカップルがパブを経営するという変な話で、他にフランクチキンズ(イギリスでブレイクしていた日本歌謡ポップ日本人〔くどい?〕女性デュオ)のホーキカズコ(カズコホーキ、今やロンドンものの本をいくつも出版している)もとぼけた役で出演していた。

 まとまりの無い話で申し訳ないけれど、その頃僕は自分がやっていたレゲエバンドを解散したばっかりで、まだ頭の中にはあの抜けたリズムと「・チャ・チャ」という刻みがかなり残っていた。

 このドラマにはドレッドヘアーのジャマイカ人が出てきた。トテナムといえば、ロンドンの中でも低所得者層や移民が多い地区として知られていた。もちろん元イギリス植民地だったジャマイカ人の比率も高かったわけだから、設定としては自然だ。ブリティッシュレゲエの数々のバンドのブレイクもたぶんトテナムをはじめとする移民コミュニティーがあってこそだったと思う。そんなこんなで、なんとなく面白がって見ていたわけだ。

 さて、「Tottenham」・・・・・今やこの街は日本人にとっては「トテナム」じゃなくて「トットナム」だ。なにしろFC町田出身(!)でワールドカップでも活躍した戸田和幸選手がプレミアリーグのトットナム・ホットスパーで活躍しているんだから。レゲエで応援!これなんかどうでしょう。Tottenhamに住んでいたデニス・ヴォーベル率いるMatumbi「Empire Road」。聞いた事が無い方は町田のHI FASHION RECORDSにでも。

♪ Empire RoadEmpire Road
・・・・・・・・
You got to give thanks for a multiracial community
・・・・・・・・♪


法螺貝(2003年4月13日)


― 三昧法螺声 

 この4月初旬、関西に行っていた。目的は本山修験宗 聖護院門跡の葛城入峰修行に参加するため、つまり山伏の修行だ。(と書くと、引いてしまう人がいるかもしれない。実は山岳宗教を研究して論文を書いているのです。)
 宗教と音楽がとても密接な関係を持っていることは周知の事実だ。今回の修行の中でも峰入り出立前の朝の勤行から参加したのだけれど、お経に合わせて太鼓が派手に♪トントコトントンスタトントン♪、山中では数珠が♪シャッシャカシャッシャシャカシャッシャ♪と見事に躍動感のあるリズムを刻むのだ。隊列を組んで歩くときには法螺(ホラ)貝があたり一帯に響き渡る。山の中はもちろん街中でもお構い無しだ。さすがに法螺を吹くのはそのテストにパスした行者だけだというが、音楽をやっている自分からすると、心の中で、あっこの人は上手とかこの人はまだまだだねとか不謹慎な事を思ってしまう。でも、法螺貝が同時に吹き鳴らされ、それが複雑な倍音を含んで体に響いてくる時、何ともいえない感動があった。1872年(明治5年)までは、全国の山々で、数百年〜千年の間行われていた修験道の入峰修行、まさに中世の時代にタイムスリップしたかのような感覚。♪プオ〜〜♪


「安保反対」(2003年3月8日)


― アカシヤの雨が止む時 

 1960(昭和35)年6月18日、約33万人の老若男女のデモ隊が国会議事堂を取り囲んだ。日本が唯一結んでいる軍事同盟「日米安全保障条約」(日米安保)の改定批准に反対する「安保 反対!」の声が町に鳴り響いていた。人々は「アメリカの戦争」に引きずられる恐れを強く抱いていた。国民の声を無視してアメリカとの関係を重視する政権に怒りを感じていた。警官隊や右翼団体がデモ隊の行く手を塞いだ。死者も出た。新安保条約は強行採決によって批准され、6月23日、発効した。
 そして、無力感と脱力感にとらわれた人々の心にこの歌が染み込んで行った。

♪ アカシヤの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日がのぼる
朝の光のその中で
冷たくなったわたしを見つけて
あの人は
涙を流してくれるでしょうか 

インフルエンザ(2003年2月8日)

― 福永武彦 詩集 

 インフルエンザに罹ってしまった。高熱を出して仕事を休み、寝込む羽目になった。おまけに家の中で他に3人が寝込んでいたので、39度前後の熱があるのに比較的動けた自分がみんなの食事の世話をしていたりした。いやー世間では例年の7倍の患者数だとかで、亡くなったお年寄りや子供たちもずいぶんいるらしく、とりあえず治って良かった。皆様も重々気をつけてください。かかってしまった方はお大事に。
 寝込みながら考えたのだが、病気で寝たきりの作曲家って今まであんまり聞いたことがない。熱があって意識も朦朧、体を動かすこともままならない状態で創作するのは無理だろうと思った。なにしろ、自分の場合、寝込んでいると色々な事が悲観的に思えてきてしまうし。音楽は繊細かつパワフル、そしてあくまでもポジティブなものだから。
 いや、いや、音楽家では知らないけれど、文学者にはいた。寝ていると本棚の本にどうしても眼が行くのだ。福永武彦だ。若い頃、長い年月をサナトリウム(結核療養所)で暮らした文学者だ。もう寝込んでいるときにその状態に心まで浸るのにぴったりだ。小説ほどは有名ではないけれど詩集をのぞいて見るだけでも

「思ひ出さう、遠い日に、僕は愛した生きる者を。・・・・・・」(死と転生 V

とか

「・・・・・ かろき身体  ベッドの軋み  
終りの時 廊下を急ぐ 跫音あり ・・・・・」
北風のしるべする病院

など、たまらない内容だ。別に茶化しているわけではない。音楽も文学も表現である以上作り手の環境や身体感覚・心理状態と密接に関係があるはずだから。ところで、福永武彦的な音楽の作り手っているのでしょうか?と熱を出しながら考えたわけです。でも、今はもう治ったのでとりあえずボブ・ディラン「THE ROLLING THUNDER REVUE」を買ってきて聞きたい!


ラフテー(2003年1月11日)


― ボレロ 

 いつの間にか町田の街に沖縄料理屋さんが増えてきた。うれしい限りだ。最近食べに行ったところでは、2000年から営業している「海人」(うみんちゅ)(原町田6丁目)、2002年オープンの「シーサーズ」(原町田6丁目)「かなさんどー」(中町1丁目)
 沖縄料理にはまるきっかけは人それぞれだと思うけれど、僕の場合は「ラフテー」だった。つまり豚の角煮。豚の角煮は豚食文化圏の定番料理だ。たぶんアジアにおける養豚発祥の地「中国」をはじめとして、中国文化の影響を受けた広い地域にあると思う。中華風角煮だけでもたくさんのバラエティーがありそうだし、ココナツミルクの入った東南アジアの角煮も悪くない。もちろん日本の角煮も良いし、でもラフテーが一番好きだな。泡盛と黒砂糖でじっくり煮込んだあのとろとろの角煮。口に入れるととろけるようで、それでいてさっぱりしている。・・・・・。
 この正月明けに新年会的なノリで「かなさんどー」に行った。沖縄家庭料理のお店で品数が多く、生ビールはオリオンビール(!)だった。こんなに落ち着けるお店も久しぶりだった。泡盛の古酒にすっかりいい気持ちになって帰りはタクシーに乗るはめになった。そしたら、なんとタクシーの中では「ボレロ」がかかっていた。あの20世紀初頭の作曲家ラベル(フランス)のボレロだ。ボレロのリフレインが延々と続く。最後まで気持ちがよかった。粋な運転手さんがいるものだ。



バックナンバー

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―

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