町田音楽ネットワーク
時々放談
(2001年 9月>>12月)
by ryusei


南の島のクリスマス(2001年12月24日)

― 島 唄 ―

 10年前のクリスマス、沖縄本島のコザを訪ねた。お目当ては「民謡酒場」。那覇にも民謡酒場が沢山あるけれど、やっぱり観光客向けという評判だったので、ウチナー音楽のメッカ「コザ」(沖縄市)を目指したわけだ。なにしろ10数件の民謡酒場が集中するコアな町だ。

 日本の中で本当のフォークミュージック(民俗音楽)が生きているところはそう多くない。スタンダードな民謡だけなら全国で聞く事が出来るが、新曲も次々に生まれて人々に広く楽しまれているのはやっぱり沖縄だと思う。しかも、ここのフォークである島唄はポップにもロックにもなってしまう。

 どの店に行こう?僕は夕方から電話帳を見ながら考えた。決めた。「島唄」!(現在は宜野湾市に移転)知名定男さんとネーネーズのお店だ。自分もミーハーだなと思いながら夜8時頃電話した。誰も出ない。9時、やっぱり出ない。9時半、やっと出た。今から行きたいんですがと伝えると、なんと、早いですね〜と言われた。で、10時過ぎに行って見た。

 内装はカラオケスナック風、ソファーはビロード、小さなお店だ。お客さんは他に1人。へ〜、正直に言うとチョット拍子抜けしてしまった。しかし、驚くのはこれからだった。まずカウンターの中にいた3人が知名さん本人と初代ネーネーズの古謝さんと宮里さん。ありゃ。カウンター越しにお相手をしてくれた。ヤマトの人か、なんて言われながら。11時をまわった頃から、お客さんが続々とやってきた。近所のおじさんおばさんといった感じの人たちだ。

 11時半、演奏スタート。知名さんが三線をギターアンプ(フェンダーツインリバーブ)につないで一言、「メリークリスマス」。もうあとはほんものの島唄の世界と熱狂のカチャーシーと・・・・・。この人達、平日なのに朝までこれを続けるんかい?次の日の仕事はどうなってんの?実は僕は風邪で熱があったので泡盛のお湯割を頂いて早めに引き上げました。


同僚の死(2001年12月16日)

― イーリアンパイプ ―

 全く個人的なことなのだが、職場でつい前日まで一緒に残業していた同僚が翌朝(12/14)亡くなってしまった。ビックリしたし、何より悲しい。

 前日の夕方はちょうど二人きりで残業をしていた。5時を過ぎたので彼は音楽をかけましょうと言った。この前のあれがいい。そうですね。私はクラシック・ファンの彼が最近気に入っていたアイルランド音楽のCD(「CELTIC GRACES」HEMISPHERE)を貸してあげた。彼愛用のCDラジカセからイーリアンパイプ(「Midnight Walker」 by Davy Spillane)の哀愁を帯びた音色が流れていた。彼はそれを聞きながら仕事をし、おやつのポテトチップスと麦チョコを食べていた。

 とてもまっすぐな人だった。仕事は周りがやりすぎだと思うほどしていた。気になったことをそのままやり過ごす事が出来ない人だった。サービス精神とユーモアも人並み外れていた。そしてとてもきれい好きで山が大好きだった。職場では一番遅くまで仕事をし、自宅にも必ず仕事を持ち帰っていた。全く休みが取れていないようだった。疲れていたんだ。

 流れていた音楽を背に、お先に、どうもお疲れ様、という会話が最後になってしまった。心筋梗塞による突然死だった。しばらく、夕暮れ時に枕花を捧げたデスクを見ながら仕事をする事になってしまった。CDをかけていなくても遠くからイーリアンパイプの音色が聞こえてきそうなこの時間は正直に言ってつらい。

追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)

― Here Come The Sun ―

 ジョージ・ハリソン。享年58歳、11月29日(日本時間30日)、米国ロサンゼルスの友人宅で死去。死因はがん。ビートルズの中でも欧米以外の文化や世界に積極的にかかわってきた人。インド音楽・バングラディッシュ飢餓救済コンサート・・・・・・、世界を動かした人だ。

 悲しんでいる人、打ちひしがれている人、つらい気持ちの人、落ち込んでいる人、・・・・・・、そんな人達に彼はこう歌って元気付けてくれる。「もう大丈夫だ。ほら太陽が顔を出すよ。みんなが笑顔を取り戻す。こんな事はずっと見られなかった。氷がゆっくり溶けていく。やっと晴れ渡るんだ。ほら太陽だ。太陽が顔を出す。もう大丈夫。」

♪  Here come the sun
Here come the sun and I say
It's alright ♪

アイルランド(2001年11月24日)

― アイルランドに平和を ―

 秋。ラグビー&サッカーといったフットボールのトップシーズンだ。ひんやりと澄み渡った秋空と球技場の青い芝生の上に長く伸びるポールやゴールの影、・・・・・・・・何ともいえない雰囲気だ。

 フットボールのルーツ国はもちろんイギリスだが、フットボールの世界にイギリスチームというのは存在しない。ラグビーではイングランド・スコットランド・ウェールズのUK(ユナイテッド キングダム)3チームとアイルランド統一チーム。サッカーでは北アイルランドを入れて、UKだけで4チームとなる。面白いのはラグビーのアイルランド統一チームだ。アイルランド共和国籍選手と北アイルランドのイギリス国籍選手が入り混じって例の緑のジャージに袖を通している。これは驚くべき事だ。

 アイルランドはケルト文化と妖精の国といったイメージで近年日本でも人気の高いところだ。でもイギリス領北アイルランドにはおそろしく込み入った事情がある。イギリスとの結合を求めているプロテスタント系の人々とアイルランド人として一般的なカソリック系の人々の根の深い対立だ。事の発端は数百年にわたるイギリスのアイルランドに対する植民地支配だが、テロの応酬が現在に至るまで続き、世界でも代表的なテロ頻発地帯の一つとされている。

 1972年、アイルランド系イギリス人のPaul MacCartneyがビートルズ解散後はじめて組んだバンドWingsの1枚目のシングルとして「アイルランドに平和を」(GIVE IRELAND BACK TO THE IRISH)という歌を世に出した。グレート・ブリテンよ アイルランドを返せ!とはっきり歌っているからすぐに放送禁止になってしまったようだが、ポールマッカートニーでも立ち上がらずにいられない状況があったのだ。でもその後も対立とテロは続いた。

 1998年4月、和平プロセスが進み始めた。両陣営から停戦が宣言された。2001年、NYのテロ以来、世界中に反テロの動きが起きている。当然北アイルランドの人々もその風を感じて未来を考えているはずだ。しかし、この秋も登校する子供が相手陣営から嫌がらせを受けているニュースが報道されていた。和平プロセスが順調に進む事を祈るばかりだ。

 実はPaul MacCartneyのこの歌のメッセージは反イギリス政府だ。Paul MacCartneyはテロを認めているわけではない。しかし主張はテロリストたちと同じだ。そして人々の共感を呼んだ。テロは絶対許されない。しかし気になるのは世界に着実に広がりつつある反アメリカの声だ。

♪ Give Ireland back to the Irish ,
Don't make them have to take it away
Give Ireland back to the Irish , Make Ireland today ♪



ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)

― No Woman No Cry ―

 すっかり世界の行く末に悲観的になってしまった。実は僕が昼間仕事で座っているデスクの窓からは米軍のゲートが見える。あの日以来すごい騒ぎだ。特に10月の攻撃が始まってからは特に大掛かりな警備体制が伺える。炭そ菌テロは広がる一方だし、世界経済は縮小の一途に思えてしまう。希望が見えない。光が見えない。これは、私生活上も上手くいっていないから、なんでもマイナスの方向で考えているせいかもしれないが・・・。

 かつてボブ・マーレーの説く理念に感動した。社会主義と資本主義という二つの宗教が世界でぶつかり合っていた時代、ジャマイカの首都キングストンもその対立と無縁ではなかった。1976年のことだ。対立する両陣営の党首をステージに引き上げ握手させた彼の姿は多くの人々に希望を与えたし、殺し屋に撃たれて怪我をした姿は「第三世界」(Third World)から命をかけて世界の矛盾を訴えている伝道者を彷彿とさせた。

 それまで、先進諸国の音楽が「進んでいる」とか「かっこイイ」とか「優れている」と思い込んでいた人々にとって彼の音楽とメッセージは強烈な一撃だった。彼の信念や行動力や創造性を支えているものはやっぱりラスタファリーとしての宗教的な情熱だったような気がする。もし、彼が今生きていたらどんなアクションを取るんだろうと考えた。

 しかし、状況が違いすぎる。社会主義と資本主義という冷戦時代の対立のベクトルは今になって考えると意外にシンプルだった。文化的にも深みがなかった。しかし今起こっている対立は宗教的な情熱を前面に出して歴史をさかのぼるように人々の憎悪をあおっている。

 さて、宗教的な情熱とは違う次元で世界の矛盾を人々に届けられる「伝道者」、つまり、このおぞましい対立を仲裁するような「歌」を歌える「現代のボブ・マーレー」は現われるんだろうか?いや、見つけ出さなければ・・・・・。トレンチタウンの片隅で泣いている人を慰められるような「歌」を歌う人を・・・・・。


♪ ・・・・・ No Woman No Cry , No Woman No Cry .
Little Darlin' , Don't Shed No Tears . No Woman No Cry . ・・・・
Everythig's Gonna Be Alright , Everythig's Gonna Be Alright ・・・・・♪



歌と戦争(2001年10月9日)

― 花 ―

 10月7日(日本時間8日)、ついに始まった。8日(日本時間9日)にもまた攻撃があった。たぶん明日もあさっても。政治レベルはともかく、この戦いを悲しんでいる人達が世界中にたくさんいるはずだ。彼らは平和を求めて「歌」を歌うだろう。「歌」(音楽)には人の心を動かす「力」がある。湾岸戦争の時も今回も、「イマジン」がアメリカで一時的に放送禁止になったりしたのもその歌の力がおそれられたからだろう。

 しかし、戦っている人も「歌」を聞いたり歌ったりしているだろう。爆撃機のパイロットは出撃前に気持ちを高ぶらせ精神統一をはかるためにヘッドフォーンで大好きなロックミュージックを聞いているかもしれない。あるいはワーグナーかもしれないし、案外ハウスミュージックテクノだったりするかもしれない。タリバンの戦士もクルアーンに必ずメロディーをつけて祈っているはずだ。戦争中の日本の軍歌もそうだったし、つねに戦いの中にも「歌」があった。

 だからこそ「歌」(音楽)は大切だ。人の心をどんな方向へも動かすものだ。武器の対極に楽器をおく喜納昌吉は正しいと思う。そして世界のあちこちに憎しみや悲しみを癒してくれる「歌」が生まれて欲しいと思う。

♪ ・・・・・  泣きなさい 笑いなさい 
いつの日か いつの日か 花を咲かそうよ 



パキスタン(2001年9月29日)

― カッワーリ ―

 ニュースを見ていると、まるでパキスタンがアメリカとタリバンの板ばさみでとっても困っているように見えてしまう。パキスタンでもイスラム原理主義の力が強くなっているようなのでパキスタンまでアフガン化(ぐちゃぐちゃになる)してしまったら大変だ。

 数年前、あるパキスタンの専門家に仕事でお世話になっていた。町田がらみで言うと、この人は都立町田高校出身、登山家として結構有名な人だった。実は「地球の歩き方・パキスタン編」もこの人が書いていた。パキスタン北部ヒマラヤ山脈西部「カラコルム山脈」を専門としてK2を始めとする山々に挑戦してきた彼は平地に降りると「イスラム聖者崇拝」という不思議なものを調べていた。イスラムはマホメット以外は崇めないのかと思ったら、各地で「聖者」が祭られているんだ、とはじめて教えてもらった。丁度その頃はワールドミュージック・ブームで、日本でも話題になっていたカッワーリ「ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン」の音楽を訳もわからず聞いていたこともあって、その話をしてみた。なんとビックリ、いきなりカッワーリの生録テープがデスクの引き出しからたくさん出てきた。全部パキスタンの聖者廟(聖者を祭るところ)に信者にまぎれて潜入し録音してきたものだ。彼は景気づけにこれをかけてデスクワークをこなしていた。

 彼はいつも言っていた。「イスラムといったって色々あるんだ。」 そして、お酒にもそんなにうるさくない合理的なイスマイリー派の話や桃源郷のようなフンザという所の話をしてくれた。聖者崇拝もきっと古来からの文化でイスラムとうまく融合しているんだ。カソリックがその土地の文化を取り入れて発展してきた様に、純粋なものなんて発展しないんだ。というのが彼の豊富なフィールドワークの結論のような気がした。

 ところが、今、イスラムの世界に原理主義の嵐が吹き荒れている。純粋さを追求する原理主義にとっては「聖者崇拝」も「イスマイリー派」も認めるわけにいかず、こんなすばらしい多様性が否定され始めている。自由と多様性の国アメリカに対する反感がイスラム世界自身の多様性をつぶしている。まるで袋小路だ。

 1997年夏、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンが亡くなった。やはり1997年夏、パキスタン専門のこの登山家もカラコルム山脈で遭難し亡くなった。彼らが今のパキスタンの置かれている状況を見たらきっと悲しむに決まっている。



2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)

― バビロンの河 ―

 NYが燃えている!ペンタゴンも燃えている!!信じられない規模のテロが発生した。アメリカの新聞は「WAR」、「真珠湾以来」(日本人には何とも言えない表現だが)と書き立てている。確かに予想される犠牲者の数を考えると、戦争といってもおかしくはないレベルだ。おまけに映像を見ていると旧日本軍の「特攻隊」を彷彿とさせる。しかし、彼らは民間機で乗員と乗客を道連れに突っ込んでいる。狂っている。卑劣だ。聖戦(ジハード)とは言えない。これからこの世界で何が始まるのだろうか?寒気がするほどの恐怖をおぼえる。

 大方の予想では今回の犯行グループをアラブ系ゲリラ組織と見ているようだ(もちろん主流派の組織がこんなテロを行うわけは無い)。アラブ世界はユダヤ人国家イスラエルをバックアップしてきたアメリカが大嫌いだ。パレスチナで1948年にイスラエルが建国されて以来、追い出され中東戦争でもやられっぱなしのパレスチナ・アラブ側にはものすごいストレスがたまっている。うまく行ったのは「オイルショック」の時の「資源ナショナリズム」作戦くらいだ。でも、まだ、投石行為でイスラエル側を刺激し武器で攻撃してくるイスラエル軍を世界のメディアにさらす「インタファーダ」(大衆蜂起)作戦の方が気が利いている。今回のようなテロは世界を敵にまわすだけだ。

 僕はパレスチナやイスラエルの事を考えると必ずある歌を思い出す。「Rivers Of Babylon」(バビロンの河)。オリジナルはThe Melodians(ジャマイカ)でリンダ・ロンシュタット、ボニーMといった人達もカバーしている。リンダ・ロンシュタットのアカペラ・カバーが大好きで今でも歌う事がある。内容は「旧約聖書」の「詩篇第137編」から引用された「バビロン捕囚」の歌だ。もちろん宗教音楽として伝統のあるメロディーでも歌われているのだろうが、ジャマイカ産まれのこのメロディーも捨てたもんじゃない。

♪ By the river of Babylon , where he sat down
And ther he went , when he remembererd Zion
・・・・・・・・・・・・・・・・・ ♪

紀元前6世紀、遠い異国の地Babylon(バビロン)に捕らわれていたユダヤ人たちが父祖伝来の地Zion(シオン・イスラエル)を思い出している情景が歌われている。それから2600年の時が経ち、シオンを奪回したユダヤ人と追い出されたパレスチナ人が戦い殺しあっている。しかもこの地域紛争には世界中が巻き込まれている。石油価格の高騰と株価の下落が世界をおおうに違いない。いったいどうなるんだろう?きっと世界中が「神」(?)に祈りたいに違いない。でも「詩篇」に歌われる「神」は「ユダヤの神」でもあり「イスラムの神」でもあり「キリストの神」でもあるのが世界の矛盾を象徴しているような気がする。

 町田の上空を厚木基地の米軍機が轟音を響かせて飛んでいる。相模原は沖縄に継いでアメリカ軍の施設が多い所だ。座間キャンプには在日米陸軍の司令部もある。とにかくとばっちりはゴメンだ。(そういえば40年位前に米軍機が町田の商店街に墜落した事もある。)

(もし犯人がアラブ系ゲリラ組織じゃなかったらごめんなさい。)

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