町田音楽ネットワーク
時々放談
(2002年 1月>>12月)
by ryusei



年末年始(2002年12月21日)


― NEW YEAR'S DAY 

 クリスマスにお正月、代表的なお祭り(年中行事)が続く季節だ。クリスマスはキリスト降誕祭だし、お正月は「歳神」(またはご先祖様)を迎えるお祭り、つまりれっきとした宗教行事だ。でも、日本ではあんまりみんな気にしない。行事の空気感だけは大好きで、無節操と現世利益が日本社会の特徴だから。

 そんな中で真面目に信仰している人には生きにくい社会であることも事実だ。昔、受験生の頃、大晦日の夜から「合格祈願」の初詣に明治神宮へ行った。出がけに、父親:「明治天皇にお願いすると、合格するのか?」、自分:「・・・・・?」。明治神宮へ着いて、友達の一人が「外で待ってる。」、自分:「なんで?」、その友達:「おれは出来ないんだ。」、その友達はまじめな創価学会員だった。つまり日蓮正宗。(そう言えば、バッジョも俊輔もそうだ。) まだまだ若造だった自分が、この世の中色々あることに気づき始めた頃だ。

 しかし、日本を一歩外へ出ると、信仰者を自覚して生きている人が圧倒的多数だ(もちろん真面目・不真面目の差はずいぶんありますが)。音楽について言っても、普段口ずさむ歌やポップミュージックの世界、クラシックの楽曲、どれをとっても宗教性に裏打ちされた曲がとても多いのは周知の事実。とか何とか書きながらThe Singers Unlimitedの30年前のアカペラの名盤「Christmas」がこの家の中でもかかっている。空気のように。しかし、この年末年始をそんなにだらだらと過ごす訳には行かない。世界も自分も大きく動かざるを得ないのだ。

 とりあえず歌で空気を入れ替える。新しい年の最初の日を歌うアイルランド人(U2)の歌で。

 All is quiet on New Year's Day,
A world in white gets underway,
・・・・・・・・・・・・・・・・
Under a blood-red sky
A crowd has gathred in black and white,
Arms entwined,the chosen few,
Newspapers say,it say it's true it's true.
・・・・・・・・・・・・・・・・
And so we are told this is the golden age
And gold is the reason for the wars we wage,
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 




明治9年の(2002年11月9日)

― Grandfather's Clock 

 「大きな古時計」は子供の時にNHK「みんなの歌」で聞いて以来、大好きな歌だ。10年くらい前にも「うたの引力実験室」(チャカと昆虫採集)というライブアルバムがあって、アルバムの最後に収録されている「大きな古時計」をよく聞いていた。(この歌とその作者Henry Clay Work(1832-1884)についてのかなり詳細な情報は「世界の民謡・童謡」http://www.worldfolksong.com/というホームページに掲載されている。)

 こういう歌がヒットすると、とてもホッとしてしまう。なにしろ126年もの間、もちろんアメリカで、そして日本で歌い継がれてきたことに時空を超えた何かを感じる。日本語訳の歌詞も「90年」が「100年」に変わったくらいでほとんど同じみたいだ。この歌が作曲された頃は日本人が大好きなチョンマゲをお上の命令で仕方なく切る破目になったり、侍の魂である刀を差してはいかんという命令が出たりという頃だ。

 1876(明治9)年にこの曲の楽譜がアメリカで出版された時、大ヒットしたと言われているから、もしかしたら、横浜居留地に住んでいた音楽好きのアメリカ人は競ってその楽譜を入手したかもしれない。メリケン波止場に入る船を、きっと胸を躍らせて待っていた人がいたはずだ。町田あたりから生糸の商売で横浜まで通っていた人の中には、ちょっとしたチャンスに「Grandfather's Clock」のピアノ演奏や歌を聞いて好きになり、町田までの帰り道を歩きながらハミングしていた人もいたかもしれない。ま、想像の話ですが。

 ♪ Ninety years without slumbering, tick, tick, tick, tick,
His life seconds numbering, tick, tick, tick, tick,

But it stopp'd short, never to go again
But it stopp'd short, never to go again ♪




拉致事件(2002年10月6日)

― 統一の歌 

 朝鮮半島に拉致された人々のニュースは、もし自分だったら、もしうちの家族だったら、・・・・、といった想像も交えて深い悲しみと怒りを呼ぶ事件だ。拉致事件が頻発していた当時もとても怖かった記憶がある。全国の交番には手がかりを求める被害者の写真リスト入りのビラが張ってあった。おまけに隣の韓国もまだ軍事政権の時代で、とんでもなく大掛かりな拉致事件を起こした。当時の軍事政権と対立していた金大中さん(現 韓国大統領)を東京のホテル内のエレベーターで拉致、そのまま韓国に連れ出して監禁してしまったのだ。手も足も出ない日本政府や警察の様はほんとに情けなかった。今や最高権力者となった金大中さんの顔を見ると、いまだに申し訳ないような気がしてしまう。

 時代は変わり、韓国はすっかり民主化された。でも、朝鮮半島はアメリカとソ連がおっぱじめた東西対立の最前線のまま取り残されてしまった。国際的な東西対立自体はもうとっくに終わっているのに。

 韓国からも500人弱もの人たちが北朝鮮に拉致されている。日本で拉致された人たちの家族の涙と怒りは人々の心を打つ。韓国にはそんな家族が数百家族もいるということになる。旅客機を爆破されたこともある。閣僚クラスが一度に十数人も爆弾で殺されたこともある。ワールドカップの最中には海上銃撃戦を仕掛けられ若い兵士たちが戦死したのも記憶に新しい。もう痛ましい限りだ。そんな韓国の釜山でアジア大会が開かれている。開会式では北朝鮮選手団と韓国選手団が統一旗を掲げ一緒に入場した。なぜだ?韓国の外交姿勢は決して弱腰な方じゃないと思う。しかし韓国の北朝鮮に対するあまりの寛大さは信じられない。信念や信仰に近いものさえ感じる。

 やっぱり「統一」という願いの大きさなんだろう。統一独立国家は日本の植民地時代からの悲願だ。その祈りは「われらの願い」「イムジン河」や各地に伝わるいくつもの「アリラン」といった歌の中に表現され、ことある毎に歌われている。

♪ 我らの願い
 我らの願いは統一、
 夢にも願いは統一、
 この真心を尽くして統一、
 統一を果たそう。 




遺体発見(2002年8月20日)

― 
レクイエム =カラコルムに逝ったあなたへ= 

 7月31日、Mさんから連絡が入った。「5年前、氷河の奥深く葬ったはずの遺体が表に出てきたとの連絡がありました。僕とOさんで現場まで行くことになりました。再び死者たちと向かい合う旅です。」 そして、8月8日付神奈川新聞の「ヒマラヤで遺体だびへ」という記事。

「中国国境に近いパキスタンのヒマラヤ・カラコルムにあるスキルブルム峰で1997年8月に遭難した神奈川ヒマラヤ登山隊のメンバーとみられる5遺体の埋葬場所がこのほど確認され、遺体をだびに付すため、関係者が7日、首都イスラマバードから前線基地のスカルドに向かった。・・・・・・5遺体は同峰を下山途中に雪崩に遭い死亡した広島三朗隊長ら6人のうちの5人とみられる。・・・・・・現地で遺体の最終確認を行い、今月17日から20日の間にだびに付す予定。関係者によると、当時、6人の遺体は氷河の下に埋葬された。5遺体は氷河の移動で地表に現れたため、遺族らがだびに付す必要があると判断したという。ドイツ人登山家が先月、埋葬場所を確認し、現地からの連絡を受けた2人が今月5日に日本からパキスタンに向けて出発した。」

 8月20日はちょうど命日だ。「K2男」広島さんの顔が浮かぶ。わがままで、喧嘩っ早くて、でも地に足の着いた知識とセンスがあって、一緒にいる時は色々と教えられた。5年前の時はみんないい歳なのに飲みながらそして泣きながら思い出話ばかりしていた。死者と向かい合う夏だ。
 
【追記】8月23日、Sさんから連絡が入った。MさんとOさんは5人の遺体を確認し荼毘に付し、そして5人の遺骨を持って下山中だそうだ。麓の町まで何日もかかるのがカラコルムだ。

【追記2】8月30日、MさんとOさんが無事に帰国した。良かった。

【追記3】9月3日、遺体収容の報告書が届いた。遺体確認は標高5280m、サボイア氷河は何百メートルも動いていたんだ。また涙が出てしまった。

♪ 西の空を見上げ 雲のかなた思う
この星の屋根と 呼ばれる山なみ
頂きは高く 氷に覆われて
インダスの流れが 聖者たちを迎える

白き氷河の果てに 眠るあなた思い出す
白き氷河の果てに 夢は永遠に続くよ
You'r dreaming , you'r dream has come true
今も聞こえるあなたの声が ♪

(MP3  921K)



大型CD店(2002年7月20日)

― チューブラーベルズ ―

 町田にHMVがやって来た。イギリス系はヴァージンメガストアーと並んで2店目だ。これで大型店は地元系の「タハラ」、相模大野だけれどアメリカ系の「タワーレコード」、そしてイギリス系が2つ。すごいことになってきた。

 ところで、以前からHMVという店名に不思議な気がしていたが、なんでも1921年(大正10年)にロンドンで開店した時はグラモフォンという会社の蓄音機などを売っていたらしく、そのグラモフォンのマークが蓄音機から聞こえてくるご主人様の声を聞くワンちゃんで、His Master's Voice、それでHMVとなったそうな。ということは、ビクターさんのあのマークとルーツは一緒だったという訳で、面白い。・・・・・と思った。

 業界の事はよく分からないが、外資系大型CD店の拡大にはビックリさせられる。1979年にカリフォルニアからタワーレコードがやってきた時は、イーグルスやドゥービーブラザーズといったウェストコーストミュージックがまだ流行っていて、だから進出してきたのかな?ぐらいに軽く考えていた。それが、渋谷から全国にじわじわとお店が増えて、さらにヴァージンもHMVもやって来て、おまけに、タワー、ヴァージン、HMVの3つがこの地区で店舗展開。世の中不況だというのに、そんなにココは魅力的な地区なのか。でも皆さん、鈴木楽器やタハラやハイファッションレコードや・・・・・・いっぱいある地元系資本のお店でも買ってあげよう。

 この前、テレビを見ていたら何かの効果音楽でマイク・オールドフィールドの「チューブラーベルズ」が聞こえてきた。そしてチョット思った。もう古典と言ってもいいかもしれないが、あのおっかない映画「エクソシスト」の音楽に使われていた曲だ。あの曲はヴァージンレコードだった。今や世界を代表する起業家リチャード・ブランソンはあの曲で大成功し、その後セックス・ピストルズやボーイジョージのカルチャークラブなどを世に出してヴァージンを大きくした。今ではヴァージン アトランティック航空、ヴァージンメガストアー(町田にもある)、ヴァージンシネマ(海老名にもある)、・・・・・・。「チューブラーベルズ」のメロディーとこの地区には関係があったんだ!???。




ワールドカップ(2002年6月16日)

― 応援歌 ―

 毎日サッカーのワールドカップが見られる。ぜいたくな話だ。これだけ世界中で認知されているスポーツは他に無く、(アメリカだけは別だけれど) テレビ・ラジオでの観戦者を数えればオリンピックをはるかに上回るまさに世界最大のスポーツイベントだ。その大会で韓国と日本という共催国がともにグループ1位で決勝トーナメントに駒を進めるとは思いもしなかった。選手・監督の努力と力量が素晴らしいのはもちろんだが、ホームゲームを圧倒的な数のサポーターに見守られて戦うという地の利の大きさに改めて気付かされる。

 決勝トーナメント2戦目のデンマーク対イングランド戦などはイングランドのホームじゃないのにホームの雰囲気になってしまった新潟のスタジアムがイングランドに有利に作用したと言ってもいいんじゃないだろうか。イングランド人たちに混じって観戦している日本人たちもイングランドのユニフォームを着こんで一緒に大合唱。イングランドお決まりの「Three Lions」「Here We Go」「You'll Never Walk Alone」・・・・といった応援歌が会場を包み込む。なんだかデンマークが可愛そうだった。(これもみんなベッカムの人気なのかな?そういえば街中にソフトモヒカン男が歩いているしな・・・・) 

 今回のワールドカップでもいろんな応援歌が聞こえてきて、これだけでも面白い。アルゼンチンは予選リーグで惜しくも負けてしまったが、今アルゼンチンでヒットしている「島唄」をアルゼンチン応援団が合唱するのも聞きたかったし、決勝Tで日本対アルゼンチンなんていう試合で敵味方一緒に「島唄」の合唱にでもなったら良かったのに・・・。

 ラテン地域を中心に応援歌としてよく聞こえてくる歌に「GVANTANAMERA」がある。デンマーク対イングランド戦でも聞こえてきてうれしくなってしまった。キューバ東部の「グアンタナモのお嬢さん」というような意味の軽快な曲だ。(グアンタナモと言えば社会主義国キューバの中にあってアメリカ軍が占領している地域だ。例のアフガニスタンの捕虜たちも拘束されている。) それにしても、あの応援歌をライブ&ダイレクトに聴きたかった。チケットさえ手に入っていれば!


♪ グアンタナメラ ワヒヤ グアンタナメーラ
ワヒヤ グアンタナメーラ ♪




青年海外協力隊(2002年5月6日)

― ボンズマン ―

 「青年海外協力隊」という制度をご存知だろうか。国際協力事業団(JICA )が実施する国の事業で、世界中(主に途上国)に基本的に2年間スタッフとして派遣されて、産業技術の指導者/学校の先生/スポーツ指導者/看護士/etc…、いろんな仕事にかかわるやつだ。身近に隊員がいた(いる)という人もかなりいるだろう。僕の知り合いの中にも何人かいて、話を聞かせてもらったことがある。共通して言える事は、とっても面白い。彼らは往々にして途上国のすごい僻地で仕事をしているから、信じられないような話をあとで聞かせてくれる。

 ネパールに行っていたボンズマン(勝手につけたあだ名、現在北海道で浄土真宗の僧侶をしているので)はバスを降りてから歩いて数時間もかかる村の学校で理数科教師をしていたが、村長選挙の抗争に巻き込まれて職員室に乱入してきた暴徒に頭を椅子(机?)で殴られて入院していたそうだ。また日本から来た先生なんだからと牛の角にお腹を刺された子供の母親が助けを求めて山を幾つも越えてやって来て困ったとか。経験した人にしか伝えられない現実だ。アフリカのマラウィに行っていた山ちゃん(後にメコン川で事故に会い亡くなってしまったが)の話も、第一、マラウィという国をその時初めて知った訳だし、植民地時代を引きずっているブラックアフリカの内実みたいな話をしてくれた。

 今までの話はかなり前の話だが、現在進行形の協力隊員のHPでとても面白いのがある。ジャマイカの学校で先生をしていらっしゃる守戸さんという方のジャマイカ報告で、もとバンドマンのノリも出ていて音楽ネタもあり、ジャマイカの人たちとの不思議な触れ合いが伝わってくるお勧めのページ(「Life in Jamaica」)。この8月には帰国されるそうなので、見るなら今のうちです。そう言えばネパールに行っていたボンズマンは帰国した時に相当の「タブラ」の叩き手になっていたっけ(時々札幌のストリートで叩いているという噂)。一筋縄では行かない人が協力隊に多いような気がする。

♪ ガンジスやチャオプラヤ、パナマ運河のにおい立つ
今じゃもう北の大地で念仏唱えるボンズマン
あいつは仏様、まぼろしの冒険者 ♪
「BONZE MAN」by Nothing On My Mind・・・・今回は自分の曲をテーマにしました。あしからず。)




卒 業(2002年3月23日)

― 卒業写真 ―

 もう桜が満開だ。こんなに早いお花見シーズンは聞いた事がない。まだ卒業シーズンなのに。これだけで断定できるはずもないが「地球温暖化」という言葉が頭の中をよぎってしまう。おまけに、とんでもない「黄砂」がやって来るらしい。これだって、黄河上流の「砂漠化」が原因の訳で、人間サマのやってきたことのツケは恐ろしい。この季節はスギ花粉の黄色い粉に黄砂、真黄色だ。(と打とうとしたら「末期色」となってしまった。・・・・・笑えない。)

 ところで、「卒業」というのはけっこう人の気持ちを感傷的にするもので、涙を誘うのに音楽の力がかなり関わっているのは周知の事実。卒業式の定番はバッハの「カノン」で入場して、武田鉄也の「贈る言葉」を歌ったり、ビートルズの「Let It Be」「The Long And Winding Road」が流れたり、最後はエルガーの「威風堂々」で退場、もちろんもっとバラエティーはあるけれど、お決まりの曲が流れてくるとグッと来るようにほとんどの人の心の回路は出来あがっている。ここで「感情」の共有度を高めるのがいわゆるいい卒業式となる。甘酸っぱい思い出として強く残るだろうから。だから卒業式の選曲はとても大切だ。

 学校の卒業式は明治時代から国が形を作って普及してきたらしいが、戦後の自由な雰囲気の中で学校独自の卒業式が全国で行われるようになってきた。卒業式は個々の学校集団の重要な通過儀礼(イニシエーション)だから独自のスタイルでやるのが当然だ。それが文化ってものだと思う。でも最近文部科学省と教育委員会の締め付けが厳しくなって統一マニュアル通りにやらないと怒られる。この歌を皆で歌いなさい、この旗をここに掲げなさい、これは文化破壊だ。こんなことだから音楽文化も音楽業界も中央集権的になってしまうんだ。(?飛躍してる?)

 去年、卒業の歌を聞いて久しぶりに感動したことがあった。時々自分も出演している「白昼堂々ライブ」というイベントにもと赤い鳥、HiFi-Setの山本潤子さんが飛び入りして「卒業写真」「翼を下さい」を歌ってくれた。そして、老若男女その場にいる人たちを「あの頃」にひきもどしてくれた。卒業してから何年たっても聞ける(歌える)歌というのもすばらしい。

♪ 悲しいことがあると 開く皮の表紙
卒業写真のあの人は かなしい目をしてた ♪





冬の海(2002年2月21日)

― 波 音 ―

 この2月、何回か海に行った。冬の海だ。晴れた日のフィールドワークだからたくさん歩いた。
 三浦半島の剣崎周辺、ちょっと危険なコースだけれど、こじんまりとした大浦海岸から荒々しい剣崎、そして干潟のある江奈湾へ。

 逗子の小坪漁港から逗子マリーナ〜材木座海岸〜由比ガ浜。

 江ノ島。

 大地の力でねじまがりあちこち切断された地層、洞穴、イワノリにおおわれた磯、風紋の現われた砂浜、海辺の生き物、昔の人々が残した物の数々、船、ヨット、あざやかなウィンドサーフィン、空を舞うトンビの鳴き声、けっこう近くに見える房総半島・伊豆大島・富士山、そして波の音。同行の女の子達もみんな無条件に喜んでいた。波音が全体を包んでいる。こんな時、もうこれで十分だと思ってしまう。もう他に音は要らない。
(実は「α波1/fのゆらぎ 波のいざない」というCDが大好きです。ただただ波音が続くだけなのに。) 



CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)

― 琵琶法師 ―

 ニュースソースとして重宝していたCNNの日本語版ニュースページが2002年元旦から休止されてしまった。このMMNでもインデックスページから飛べるようにリンクをはっていたのだが・・・・。なんでも日本におけるオンラインコンテンツの供給をワイヤレス・モバイル分野に集中させるそうで、「CNNテレビ放送およびi-modeサービスはこれまで同様に継続いたしますので、ぜひご利用ください。」と書いてあった。営業的判断もあったろうしそれはそれで仕方が無いが、放送版のLive&Directな感じがウェブページにも出ていて良かったのに。代わりに共同通信社へのリンクに変更しました。

 ところで、音楽にもニュース(出来事や人々の情報)を伝えるという役割がかつてあったと言われている。太鼓は特に有名だ。でも現代のニュースはやっぱり「言葉」がないと難しい。そうなると「歌」だ。

 日本の芸能には「語り物」の伝統がある。時々おもしろいライブが聞ける町田市忠生の簗田寺(りょうでんじ)に琵琶と語りで聞かせる「耳なし芳一を聞きに行ったことがある。お寺で聞くと本当に平家の落ち武者の亡霊が出てきそうだった。その時、数百年前に「平家物語」を琵琶を弾きながら語り歩いた琵琶法師たちは芸能者というだけでなくニュース伝達者に近い存在でもあったのかなと思った。

 そんな「語り物」の伝統を受け継いだ現代の音楽スタイルは無いものだろうか?マスメディアではあんまり伝えないけれどぜひ皆には知って欲しい出来事や人々の事を歌にして伝える。一昔前のフォークソングやロックにはちょっとあったかもしれない。骨のあるラップミュージシャンもやっているかもしれない。

 聞く側の多くはそういうものをあんまり求めていないのかもしれないが、そういう楽曲がもっと目立っていいんじゃないかと思う。クリスマスの定番ソングをラップとミックスして流行らせるのも良いけれど、現代の「語り物」的な楽曲を誰か流行らせてくれないかな。

==>> ryusei's BBS



バックナンバー

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同僚の死
(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

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(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

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(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

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(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

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2001年9月11日、テロだ!
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