町田音楽ネットワーク

時々放談

by ryu-sei


「BANSHOW-BOH」(2006年12月14日)


― 木の空間より 

 5年間休まずこのコラムを書いてきたのに、気付いたら、忘れていました。さすがに、起業するということは、とてもパワーと神経とお金を必要とすることで、嵐のような日々であります。おまけに必ずトラブルが常につきまとい、自分ではどうしたら良いかわけもわからないことも多く、そんな時は内装を請け負ってくれた鈴木さん(鈴木住装)にずいぶんと助けてもらいました。

 最初に、鈴木さんに3Dのソフトでログハウス風というか、山小屋風というか、思いっきりウッディな内装プランを見てもらったのはまだ夏の終わりでした。それから3ヶ月、白木の匂いの香るこの空間でミュージシャンや生徒さんたちが実際に演奏をし楽しく飲食する姿を見るのは感慨深いものがあります。

現在はスクールとしての足固めを優先して、カフェ(茶房)としてはまだイベントスペース的な運営が中心で、宣伝活動はまだほとんどしていないのですが、いずれ多くの方々にこの鈴木作「木のいやし空間」を体感して頂きたいと思います。ただぼーっとしているだけでもホッとするのです。スピーカーから流れる音楽は木の内装に優しく包まれて自然に響きます。楽器を鳴らせば、店内においてあるアコースティック楽器とも自然に共鳴してとても素敵な響きとなります。ぜひ一度お試しあれ。

しかし、まだまだ問題山積です。オープン直前までダメかもしれなかった上下水道がなんとか通じ、もうこんな胃が痛くなるようなことはないだろうと思ったら、今度は雨漏り・・・。色々と起こります。来週から屋上の防水工事が始まることになりました。それが終わったらまた、水が漏れてしまった所の内装をやり直す必要もありそうです。

 12月30日の万象房忘年会で楽しくお酒が飲めることを夢見て、12月を乗り切りたいと思います。その前に、23日、日本のフォルクローレ界を代表する演奏家菅沼ユタカ氏(町田在住)率いる「YMS・サクセション」のライブ(天才小学生ギタリストも登場!)。29日、やっぱりネオ・ハワイアン界を代表するスラッキーギタリスト松本ノボル氏(相模原在住)率いる、フラとハワイアン神話朗読ユニット「KeKua」。とライブが続きます。予約も受け付けています。よろしくお願いします。(今回から文体変えました。)


「倫理」(2006年10月29日)


― 音楽する暇なし 

 日本中、あちらこちらの高校で、カリキュラムの誤魔化し・読み替えがばれだして問題になっている。こんなことは、当該学校の教員や教育委員会や文部科学省の担当役人もみんな昔からわかっていたはずのことで、今になって実はとってもまずいんじゃないのと騒ぎになっているだけだ。

文部科学省も教育委員会も、卒業式や入学式のやり方は「旗」の位置から歌う「歌」までマニュアル通りに厳しくやらせようとしたけれど、学校教育の根幹であるカリキュラム内容に関してはその程度の認識しか持っていなかったことをさらけ出したニュースだ。

 今回、各学校で無視されていたのが社会科の科目(地歴科&公民科)と芸術科の科目というのも現代の日本を象徴している。現場の教員から役人にいたるまで別に教えなくても問題ないでしょうという判断が継続されていたわけで、一人の人間が大人になるために、「倫理」や「世界史」や「音楽」や「美術」が他の科目よりも相対的に必要ないと思っていた大人がこの社会にはたくさんいるということだ。そういう認識の大人たちが育ててきたのが、今の子供たち。今時の子供は?今時の若者は?って言う前に自分で気付きたいもんだ。

「主要教科」とか「主要科目」という言い方があるけれど、人生の中で特にハイティーンの頃は、「倫理」や「世界史」や「音楽」や「美術」のような科目こそが「必要科目」だと思うんだけどねえ。

 僕は、かつて、「倫理」(最初は「倫理社会」、要するに哲学や宗教や思想や人生について色々な考え方を学んで自分でも考える科目)の教師として就職して働いていたけれど、現場にしても管理職にしても教育委員会にしても、この人たち全然わかっていないと心の中で腹をたてていたのは毎度のこと。結局「倫理」よりも、「地理」やら「現代社会」やら「政治経済」やら「世界史」やら「日本史」やら「国際理解」やら、専門性のへったくれも無く何でも屋をやって22年。めでたくとっとと退職いたしました。(おかげで、そっちで溜まっていたストレスがその後の研究と執筆に向かって良かったけれど)

 さてさて、これからの社会は「学校教育」よりも「生涯教育」です。カルチャースクール始めますよー!忙しいー!!

万象房 BANSHOW-BOH
 小田急線町田駅北口徒歩2分
 2006年11月12日、カルチャースクールオープン!


町田音楽ネットワーク(2006年9月28日)


― プチ・カルチャーセンター&アコースティックミュージック・カフェ 

 さーて仕事を始めようと、町田音楽ネットワーク(MMN)やら町田アコースティックJAM(アコジャム)やらを整理・終了してから、起業に向けて企画を練り、物件を探し、町田駅徒歩3分の所に場所を決め、いよいよオープンを11月にすえて内装工事開始。コンセプトは「アコースティック&ネイチャー」。とりあえずスクールのオープンが先。11月当初の開講講座は以下の予定です。(詳細・講師プロフィール等はコチラ
  11月12日(日) 「居相毅テンホールズハーモニカ ワークショップCOMB」
  11月13日(月) *** お休みです ***
  11月14日(火) 「Sachikoのボイスレッスン Voitlecco」
  11月15日(水) 「松本ノボルのスラッキーギター ワークショップ」
  11月16日(木) 「斎藤ヒロシの楽しいフォークギター」
  11月17日(金) 「平松悟のブルースハープ講座」
  11月18日(土) 「ebakのウクレレ入門」
  11月19日(日) 「森の世界(木・草・花・きのこ)を知ろう!」
             (城川四郎の自然フィールドワーク)
  11月20日(月)*** お休みです(19日雨天時予備日) ***
  11月21日(火) 「Sachikoのボイスレッスン Voitlecco」
  11月22日(水) 「菅沼ユタカ ケーナ・サンポーニャ教室」
  11月23日(木・休日) 「湧水と石仏の里・秦野の丘陵を歩く」
             (城川隆生の歴史地理フィールドワーク)
  11月24日(金) (23日雨天時予備日) *** ***

隣接して始めるカフェ営業は12月オープンを予定。アルコールを出さないわけじゃないが、昼〜夜営業で、くれぐれもバーじゃないので、そこのところよろしく。まあアコースティック限定でこだわりのライブも時々ブッキングするのですが、そういう時はたくさん飲んで頂きたく思います。

 というタイミングで、町田音楽ネットワークを引き継ぎたいという方と打合せ。以前あった町田の某法人がらみのお話は結局流れ、今度はすぐにでも始めたいというお話。違うエリアで音楽情報ネットワークを仕事としても手がけていらっしゃるし願っても無い。

打合せの中で、教えてもらってびっくりしたのは、最近「音楽のまち」を謳っている隣接大都市の最初の企画提案は「K市でもこんなことがやりたい」とMMNが事例として持ち込まれたところから始まったとのこと。なーんだ、まあそんなことだと思ったが、アコジャム開始以来、アコースティックイベントが町田周辺で急に増えたり、人からも「真似されちゃったんじゃないの?」と言われることはよくあったけれど、ビジネスじゃないし文化運動だから、それはそれで良いわけで、気にすることもない。

それにしても、行政が腰を上げて、新聞社やら地元企業を巻き込みながら動き始めるとやっぱり違いますなあ。文化行政というか芸術文化政策というか、そのへんの視野の広い新しい発想がこのエリアの行政にも欲しかったねえ。実は僕は大学院で専攻(日本宗教史)とは全く関係の無い「芸術文化政策T」や「地方自治政策T」の単位を取得しながらMMNの編集をやっていました。

 さて、しかし、今度はビジネスだからこのコンセプトと業態を真似してはいかん。はっきり「真似するな」と叫ぶ。そして、「アコースティック&ネイチャー」のコンセプトに賛同する、町田周辺の音楽・野外活動・その他の講師の皆様、ぜひご連絡下さい。教室開きませんか?

(画像です。リンクになっていません。)


恩田川周辺その2(2006年8月15日)


― 神様と魚 

 なんだか今日は朝から宗教論議でかまびすしい。政治論議・外交論議のような様相で論議されているけれど、これは某一宗教に関わる論議としか思えない。

 宗教の定義:
宗教=「神または何らかの超越的絶対者、或いは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。」(『広辞苑』)

つまり、信者と信者じゃない人との論争。しかし、一つの国の国民を信者と信者じゃない人に色分けするこの風潮はこの社会にとって不幸でしかないでしょう。おまけに、一宗教法人への帰依を政治家としての選挙公約にするなんて異常じゃないの?あの出鱈目な言いがかりでおっぱじめたイラク戦争にいち早く協力を申し出た政治家のやることらしい。また、その政治家を棟梁にする政党を大勝させてしまう国民も国民だけれど。

これでは、戦没者を追悼したい人の多くがいつまでたっても気持ちよく追悼できないんじゃないでしょうか?だいたいこの日本の古き良き伝統の中では、死者を追悼する場所は神社じゃないと思うんだけどなぁ。

 などと思いながら今日も走った。
恩田川に鯉以外にもたくさんの川魚がいる!この群れを観察するのが日課になってしまった。まさか町田市の街中でこんな群れを観察できるとは思いませなんだ。桜橋・高瀬橋・弁天橋公園・城山公園のあたり。います。

この魚何?釣師の小池さんに聞いた。「クチボソ(モツゴ)じゃないの」
最近、ヒレのあたりが赤いんだけど?「それはオイカワだよ」
子供の頃、盆地の町で、カジカやハヤを釣ったり、網ですくったり、銛で突いたりしていた頃が懐かしい。カジカが今や絶滅危惧種とは。悲しいなあ。水分神に祈りたい。


恩田川周辺(2006年7月11日)


― 梅雨 

 家の近くを流れる恩田川。毎年、梅雨が明けたら川沿いを早朝ランニングしようと思っていたのになかなか梅雨が終わらないので、もう走り出す。走りながらあたりを見渡す。

会下山橋の先、右は子供が通っている高校や通っていた保育園。左はアンバサ時代のミュージシャン仲間吉田さんがエンジニアをしている某メーカー。この前ヘッドフォーンを直してもらった。感謝。さらに交差点をわたるとリハや卓球で時々利用する公共施設。そして子供も世話になった学童。ここでは、高校時代の友人ハム君にもお世話になっていた由。ハム君はその先の某薬科大学の先生。先日(今度は高校の)同窓会で久しぶりに会って、女優になった名取さんと一緒に写真を撮ってもらった。こちらも感謝。

 ところで、江戸時代、このあたりには杉山神社と薬師堂と修験寺(山伏の寺)があったらしい。今では杉山神社は東雲寺の隣に移転、薬師堂も修験寺も消滅してしまった。江戸時代の杉山神社の神主は本山派(京都 聖護院 末)の山伏 大蔵院、薬師堂の堂守も同派の山伏 五大院。この辺にいても昔の山伏の匂いを感じることができるのが嬉しい。その頃修行に行く時、町田から歩いて京都や紀伊半島まで行っていたんだなぁと感慨に浸るのは僕だけでしょうか?

それにしても、梅雨時は楽器の鳴りが悪い!

【近況報告】
 起業のために物件探し中。今年中には始動予定。ただし、それは恩田川周辺ではありません。こういうタイミングの時に、琉球大の小島先生から論文を書きなさいとお話を頂く。感謝。でも申し訳ありません。そろそろ生活費を稼がないと・・・。


同窓会(2006年6月16日)


― こっくりさん 

 中学校の同窓会に出席し、懐かしい旧友たちと再会した。中には幼稚園の頃から中学や高校まで一緒だった友達もいて、受付で名札に職業を何と書こうか迷っていたら「たかおちゃん!」と声をかけられたりするのが嬉しくもあり、不思議な気持ちになる。やっぱり同窓会もタイムマシーン?

 今考えるとなんとも変な話なんだけれど、中学生の頃、とても流行っていた「こっくりさん」。特に現在某病院の院長をやっているK君の家に集まって部屋を暗くし、机の上にカードを敷いて中央のコップに「こっくりさん」の霊を招きいれ、色々な質問に答えてもらう。

高校受験の前には、夜中のほうが「こっくりさん」の動きが良いからと、深夜2時に僕の部屋に皆が集まって「こっくりさん」を真剣にやっていて、それを見つけた母親が腰を抜かしたことがあった。

しかし、「こっくりさん」の動きも時々不自然で恣意的な時もあり、大人になってから、「そういう時は実は俺が動かしていた」と白状したのもK君だった。

ただ、何だか知らないけれど、楽しかったのは事実で、将来結婚する女の子の名前は?とか、何歳まで生きるか?とか、結構どきどきしながら取り組んでいた記憶がある。

 僕が、その後、大学で宗教思想史を専攻し、今も山岳宗教の研究などに手を染めているのも、もしかしたら「こっくりさん」の影響がちょっとだけ入っているのかもしれない。ただ、K君宅で「こっくりさん」をやる時に、この方がこっくりさんが入りやすいと言って、おばあちゃんの仏壇の扉を開けていたK君はいったい何を考えていたんだろう?

♪こっくりさん こっくりさん お入り下さい。
お入りになったら 返事をしてください。♪


熊野(2006年5月12日)


― ご当地ソング 

 ここのところ、山梨県に時々出かけて、1000年前の山伏の不思議な神様・仏様の祭り方を調べていた。今では、神社とお寺が明確に分かれてしまっているから、ほとんどの神社は明治以降、古事記や日本書紀に出てくる西日本の神々を祭神にしてしまっていて昔のことを表に出さないし、お寺も経典に出てくる仏様の名前ばかりで昔祭っていた神様のことに触れない所も多い。

平安時代以降明治時代になるまで、日本人にとってもっとも身近な信仰の対象は「権現」(ごんげん)さんだった。権現さんは仏様でもあり神様でもある。たくさんの権現さんの中でも、山伏によって広められた権現さんは特に強力だ。熊野本宮・新宮・那智(和歌山県)の熊野三所権現は1000年前から熊野の山伏が全国に歩き伝えた権現さんだ。熊野権現を祭っていたところ、熊野山伏の集結地だったところは今、たいてい熊野神社になっている。

 熊野権現・蔵王権現・白山権現・・・・・・と、山伏が全国に伝え広めた権現さんを調べながら、山梨県に出かける日はなぜか暑い。ある日、甲府盆地の中で、なんかとんでもなく暑いなあと汗をかき、夜、家に帰り着いて天気予報を見ていたら、その日の日本列島の最高気温が甲府だった。

ちょうどそんなタイミングで、熊野の坂本さんから国際熊野学会のお誘いを頂いた。坂本さんは熊野別当研究で有名な人だけれど、酒の席で知り合ったようなものなのに、ちょうど気になる熊野の学会のお誘い。感謝!しかも会場は御茶ノ水の明治大学。近い!ますます感謝。おみやげでも持って行こう。

 以前、やっぱり大峰山系のTen-Kawa(天川)(←mp3聞けます♪)という曲を作ったんだけれど、こりゃあKumano(熊野)っていう曲も作るか、と思ったが、あまりにエリアが広すぎるし、奥深すぎてむずかしいなあと思いながら調べてみたら、すごいのがありました。加古隆の組曲「熊野古道」−神々の道−(全4楽章)!加古隆のメロディは好きだ。NHK「映像の世紀」のテーマ曲なんか最高でした。まだありました。水森かおり「熊野古道」!こちらも大ヒット演歌だ。しかも、両方とも「熊野古道」だ。しっかりテーマを絞っている。今度また熊野に行ける機会があったら僕もちょっと考えよう。ご当地ソングはとても大切だと思う。やっぱり音楽も地に足が着いていなきゃ。



ジャンルって言われても(2006年4月5日)


― J-POP?ワールド?イージーリスニング?昔はレゲエ 

 リリースするアルバムの営業でCD店回りをしていると、「ジャンルは何ですか?」と必ず聞かれる。ジャンルなんて考えずに音楽をやっている我々は返答に困る。しかし、ある程度の規模のCD店は、どこも官僚制的な縦割り役割分担システムになっていて、ジャンル毎に仕入れ担当者が違う。おまけにインディーズという「くくり」がノンジャンルのお店であれば良いのだが、PUNK・HIPHOP・CLUB系あたりしか想定していないお店も多く、本来、ジャンルとは無関係な「インディーズ」という言葉が独り歩きしているのは何なんでしょう?

 ところで、ニューヨークから久しぶりにNOMMの初代リードギタリスト コータローさんが一時帰国して町田に現れた。数年ぶりだ。町田駅で、怪しい二人が大きな声で、やー久しぶりー、と感動の再会をしていると、しばらくして、後ろから僕の名前を呼ぶ女の娘の声が聞こえた。これまた数年ぶりに会う素敵な娘で、びっくりして、おー、と言いながら、さっきの感動の再会を見られていたかと思うと、ちょっと恥ずかしく、言い訳をしていた。

 それはともかく、コータローさんと沖縄料理屋で飲みながら、NOMMの休業中のボーカルも呼び出して、楽しいひと時が過ごせました。なんでもブラジリアンやジャズを最近は弾いているらしく、そのわりにニューヨーカーらしい垢抜けた雰囲気が無いのに安心いたしました。思えば、1980年代後半〜90年頃、たぶん当時の町田ではまだ珍しかったレゲエバンドをやっていた僕たちですが、今やまったく違う立ち位置にいるわけで、でも、今日、ラスタカラーの旗を持ったライオンがプリントされたTシャツを買ってしまいました。乞うご期待。



風呂で寝てしまうこと(2006年3月16日)


― CSN&Yやデッドやジャズや色々と 

 なんだか『今昔物語』めいてまいりましたが、世の中に気持ちの良いことは数知れず。絶対やめようと思っていてもついやってしまうことがあるのは困ったもので。それが社会的に許されないことなら絶対しないわけだが、お風呂の中の個人的な出来事なので、無意識の中でそうなってしまう。

 『丹沢の行者道を歩く』にはあんまり触れなかったことでちょっと確認したいことがあって、なにしろ山の中の「古道」、標高600m〜700mのところを登ったり下ったりしながら汗をかきかき一日を過ごし、夕方のバスで本厚木駅まで帰ってきて、さてビールを飲みたくなった。5時過ぎ6時前というのは微妙な時間だけれど、どこでも良いというわけにもいかない。どうせなら懐かしい音楽を聴きながらと思ってブッチーさんのところに行ったら開店前なのに飲ませて下さいました。(内緒です)

そしたらいきなり、往年のCSN&YやGrateful Deadを流してくれたりして、今アメリカ嫌いの僕がまだ好きだったアメリカの音を聞きながらビールを頂くのがとても心地良かった。昔旅行会社に勤めていたブッチーさんと、お互いに良く知っている出羽三山や熊野や巡礼の話をして(もちろん山伏の話も)、エバックは歌うまくなったねえ(先週のウクレレクレージーで会いました。素晴らしいウクレレバンド!ちなみに「ウクレレ・クレージー」ファーストには僕の曲「OMOIDE(♪mp3)」も入っています)、やっぱりボイトレッコ?なんていう人の噂話などもしながら、ふと、案山子に行けば居るはずの先輩にお礼を言いに行こうと思った。

宮ヶ瀬サマーフェスタの実行委員長だった先輩とは、山伏のお札を発見したときにお世話になって以来全くのご無沙汰で、案山子で僕が来ていることを連絡してもらったら、海老名で9時まで宴会中だからそこで飲みながら待つべしと言われた。そうするとお店でかかっているジャズを聴きながら腰を落ち着けて飲むしかなく、その先輩がご夫婦でいらしてからもニッカウヰスキーをご馳走になるわけで、酔って候。

小田急線を町田まで戻ってきたら、帰る前にCD「SHOW」のサウンドチェックでお世話になったTWO FIVEでちょっと一杯してから帰ろうという気になって、またまた酔って候。だんだんあやしい自分に成り下がり、深夜、家に帰ってお風呂に入り、そのまま早朝。お風呂の中でお湯が冷たくなると無意識に湯加減を調節しているというのは何なのでしょうか。生きてるー!?と、朝、家族に怒鳴られて起こされたのは今まで数え切れない。

 最初にお風呂で朝まで寝てしまったのは、実は真冬の北海道の支笏湖畔丸駒温泉旅館で、BONZE MANコンコーの結婚式だった。、かつてネパールやタイで活動していたあのBONZE MANが地元で「若」と呼ばれ、粋に袈裟を着こなす浄土真宗の住職となっていたのにびっくりし、冷やかしながら大騒ぎをしていたのだが、とっても酔っ払ってお風呂で朝まで寝てしまった。あの時もう死んでいると思われていたのでしょうか、必死で声をかけ起こしてくれた友達の顔が忘れられない。

これからは気をつけて生きて行きたい。



今さら恥ずかしい話(2006年2月25日)


― 楽器を演奏しながら歌うこと 

 去年から手がけていたレコーディング。

まず、インドやバリや日本の民族楽器の音でリズムトラックをこしらえて、それに弦楽四重奏とチェロの音を重ねて、それをバックトラックにする。次は、レギュラーチューニングのヤイリ・ギターを録った上に肝心な三線を録る。そこでもう一人のギター弾きを呼んで、オープンチューニングを多用した極上のマーチン・ギターの音を録った。最後に、女性ボーカルの歌録り、そして自分のコーラスと歌。

 さて、半年以上かけて、やっと出来上がって、サウンドの厚みに満足してほくそえんだところまでは良かった。しかしだ、自分が三線でメロディーやリフを弾いているところで同時に歌っていることに気付いた。

ん?同時に出来ない。単音のメロディーやリフを弾きながら歌うのがどーもむずかしい。ギターで和音をリズムに合わせて弾きながら歌ったり、歌と同じメロディーを弾きながらなら苦労しないのだけれど。三線のリフを弾きながらうまく歌えない。

最初からそういう訓練をしながら楽器の奏法を覚えていけばなんということはないのだろうけれど、あいにく和音をギターで弾きながら歌うことしかこの何十年やってこなかった。

 じゃあ、そこはコーラスなしで、と言ったらメンバーが許してくれなかった。別々にやるぶんには全く問題ないのに、このまったく別のことを同時にできるようにするという訓練は頭が固まっている今になると苦しいのですよ。

というわけで、頭の柔らかい三線弾きまたは三味線弾き募集します。(出来ればギターも弾ける方。ちなみにギターは右手にこだわっている人じゃないと困ります。つまりフィンガリングの妙をわかっている方。 ※連絡先→Web Page

追記:

アルバム「SHOW」リリースお披露目宴会ライブ決定!
(たぶん宴会が主でライブが従)
3月26日(日)午後5時>>8時
完全予約制
予約先着35名様くらい(かな?)
食べ放題・飲み放題(じゃないかもしれないが)
 ・ミュージックチャージ:今回は無し!
 ・飲食代:約4000円くらい?(未定)
沖縄家庭料理「かなさんどー」
町田市中町1-28-24、042-724-8661
「かなさんどー」は琉球語で「大事にしたい」。自分の舌が覚えている母の料理を再現しているというママさんのおもてなしの料理。泡盛各種、オリオンの生ビールが飲めて、食材は沖縄直送。町田市役所から町田街道を渡ってすぐ。



ボブ ディラン(2006年1月27日)


― Like a rolling stone ―

 いまさらアメリカンミュージックなんて、と思ってはいても、去年日本語版が出た『ボブ・ディラン自伝』を本屋で見かけたら思わず買ってしまったりしたのは、やっぱり一人間として興味があるわけで、おまけにボブ・ディランの伝記的ドキュメント映画『ノー・ディレクション・ホーム』を渋谷まで見に行き、映画は本より雑だなあと思いながらも、不覚にも感動してしまったことを告白しましょう。

渋谷なんてできれば行きたくないところなんだけれど、免許の更新が昨秋のレコーディング中のちょっとの路上駐車のおかげで、町田警察署では駄目で、しかたなく新宿都庁の更新センターに講習(&更新)を受けに行ったついでに足を伸ばした。

 昔、ザ・バンドにはまりきっていた僕だけれど、あの『ラストワルツ』のマーティン・スコセッシ監督が撮ったボブディランのドキュメンタリーだとしても、そのへんにはなるべく興味を示さないようにしようという確信犯的意志(?)を持っていたはずが、最近、状況に引きずられ気味でちょっとやばい。

 ボブディランがニューヨークで居候をしていた頃、古代ローマ時代から現代に至る様々なジャンルの膨大な本を読んでいたことなど、今にしてはじめて知ったことで、やっぱり活字の人だったからこそあの詩が生まれたんだと自伝で読んで納得し、60年代という時代状況の中でその詩を歌う若きボブ・ディランの映像をスクリーンで見たもんで、ちょっとグッと来てしまったんですな。

 ボブ・ディランの周囲にいた当時のフォークミュージシャンたちは、アメリカンミュージックの伝統を受け継ぐんだという強い気概を持っていたようで、彼らの「フォーク」という言葉に対する強い自負心を映画や本の中から感じることが出来た。先人たちが生活の中で歌い継いできた伝承歌というほんとの「民俗」(Folk)。

日本にアメリカンフォークソングが入って来た時、「民俗」という精神にこだわってわらべ歌や子守唄なんかを取り上げていたフォークミュージシャンもいたように思うけれど、大抵はアメリカンフォークのコピーからはじまって「フォーク」は「Folk」とは違うところへ行っちゃったんじゃないでしょうか。

まあ、アメリカは嫌いなんだけれど、伝承歌やルーツミュージックがポップミュージックと共存しながら確固として生きているのは素晴らしいことで、そうやって考えると日本人はもっと気楽に三味線を弾かなくてはいかん。そんでもって「Folk Music」とポップの共存を実現しなくてはいかん。島唄、津軽民謡、河内音頭ぐらいだけじゃ寂しいなあ。

 それはともかく、映画の帰りに、昔LPで持っていた輸入版CDを買いに行ってしまった。まったくしょうがねえなあ、と思いながら。あんだけしつこく聞かされるとねえ。

♪ How does it feel  How does it feel
To be on your own  With no direction home
Like a complete unknown  Like a rolling stone? ♪





バックナンバー

No.54 年の瀬(2005年12月30日)― 懐かしい忘年会や告知や宣伝や ―
No.53 口をすべらせたこと(2005年11月28日)― ドラマー学者 ―
No.52 墓参り(2005年10月13日)― アコジャムとMMN ―
No.51 おくんち(2005年9月9日)― ホノルル・シティ・ライツ ―
No.50 レコーディング(2005年8月20日)― 三味線ユニット ―
No.49 花火(2005年7月19日)― ♪ ド〜ン ♪ ―
No.48 1972年(2005年6月17日)― 雨 ―
No.47 (2005年5月10日)― 気持ちの良くないこと ―
No.46 メディア(2005年4月10日)― ライブドア支持 ―
No.45 口琴(2005年3月20日)― 倍音
No.44 音楽用語(2005年2月20日)― AOR?
No.43 誕生日(2005年1月28日)― ♪Happy Birthday to You♪
No.42 暮れも押し詰まり・・・(2004年12月27日)― ベストアルバム2004 ―
No.41 近況報告(2004年11月23日)― MP3 ―
No.40 地震・台風・テロ・???(2004年10月25日)― Let it be?―
No.39 モータウンとアトランティック(2004年9月20日)― When a man loves a woman ―
No.38 Memento mori(2004年8月18日)― 上を向いて歩こう ―
No.37 雲取山(2004年7月21日)― 獣と野鳥 ―
No.36 選挙へ行こう!(2004年6月24日)― 選挙ソング ―
No.35 南蛮蕎麦(2004年5月25日)― 南蛮音楽 ―
No.34 迷惑?(2004年4月27日)― シェリーに口付け ―
No.33 (2004年3月20日)― 花の水鉄砲 ―
No.32 川沿いの道(2004年2月21日)― Oasis ―
No.31 地震と活断層(2004年1月17日)― 夕焼け小焼け ―
No.30 年末雑感(2003年12月21日)― Knockin' On Heavens Door ―
No.29 デジタル
(2003年11月24日)― ALL YOU NEED IS EARS ―

No.28 BUTOH
(2003年10月27日)―  ゆらぎ ―

No.27 天河弁財天
(2003年9月17日)―  天上の音 ―

No.26 ワールドカップ
(2003年8月19日)―  応援歌 ―

No.25 仕組まれている世の中
(2003年7月7日)― 洋楽 or 邦楽 ―

No.24 ハーモニカ大会
(2003年6月6日)― The Marguerita Suite ―

No.23 「トテナム or トットナム」
(2003年5月11日)― Empire Road ―

No.22 法螺貝
(2003年4月13日)― 三昧法螺声 ―

No.21 「安保反対」
(2003年3月8日)― アカシヤの雨が止む時 ―

No.20 インフルエンザ
(2003年2月8日)― 福永武彦 詩集 ―

No.19 ラフテー(2003年1月11日)― ボレロ ―

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―

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