町田音楽ネットワーク
時々放談
(2005年 1月>>12月)
by ryusei


年の瀬(2005年12月30日)

― 懐かしい忘年会や告知や宣伝や ―


 昨日は懐かしいミュージシャンが集まる忘年会。懐かしかったのでたくさんお酒を頂き、また二日酔い。かつて町田にアンバサドール(AmbassadorU)というライブバーがあって、昨日は常連ミュージシャンだった嶋ちゃんがライブハウスを借り切って企画し呼んでくれた忘年会。セッションしながら飲み放題食い放題。

今度CDアルバムをリリースするハーピスト河中を連れて乗り込んで、・・・酔って候、どんな演奏をしたかはよく覚えておらず。「トール君(♂)まだ楽器ちゃんと弾けるじゃん」とか「ユミちゃん(♀)、そんなに酔っ払ってるんだったらさっさと帰れ」とか「イソちゃん(♂)、おしゃれになってギターも上手くなったんじゃないの」とか「ニシさん(♂)、MMN音楽人なんだからあんまり太り過ぎないように」とか、酒に酔ってのこととはいえ無礼な言動の数々。大変申し訳ない。

 ところで、町田音楽ネットワーク(MMN)&町田アコースティックJAM、5年間のご愛顧・ご協力ありがとうございました。といっても、MMNは春くらいまでは存続させるけれど、音楽ボランティア活動からは以前から告知していたように手を引きます。2006年の目標は仕事を始めることなので、世のため人のための活動から自分のための仕事へとシフトいたします。

つきましては、やっぱり以前から募集しておりましたが、MMN編集長後継希望者、やるという奇特な方がいたらご連絡下さい。

ちなみに、ご存知のようにMMNに利益は発生しません。アクセス数は一日平均150件くらいあるけれど広告収入は2年間累計で5000円くらいと思ってください。圧倒的に労力と支出の方が勝ります。おまけに疑り深い人からは怪しまれます。今年の秋にはスポンサー詐欺にもあいました。つまり、世のため人のためというボランティア精神のある方、現代日本の音楽文化のあり方つまり音楽をめぐる社会構造に違和感を持っている方、気が向いたらどうぞ。

 さて、それと皆さん本を読みましょう。正月は読書に最適です。学校では教えてくれなかった歴史の本なんてどうでしょうか。実は学校の先生はけっこう嘘を教えています。(私、昔、学校の先生でした)

この冬のお勧めの本はこれ。『丹沢の行者道を歩く』。なんといっても鳥瞰図と写真が素晴らしい。つまり丹沢の山の中に行けない人にも話の中身がイメージできる。最新の学術的研究成果を柱にしながらも、むずかしくない楽しい歴史の本。漢字のふりがなもばっちりついています。小田急線&横浜線沿線音楽人必読の書です。

とまあ、たまには宣伝も良いっしょ。






口をすべらせたこと(2005年11月28日)

― ドラマー学者 ―


 テレビ局、番組制作会社、音楽事務所などから時々不思議な連絡が入る。貧乏なミュージシャンを紹介してくれ!?とか、ストリートミュージシャンが沢山いる場所で取材したいんだけどどうしたら良いでしょう!?とか、うちの事務所のS市出身のシンガーソングライターのコンサートを地元でやらせようと思うんだけれど「MMN音楽人」で紹介してくれないか!?とか。

しかも、MMNはインディーズの方を紹介しているんですか?だって。なんてステレオタイプな発想だ!そんな、お子ちゃまみたいな頭の業界人もいるんですねえ。「MMN
メジャー・インディーズとかじゃなくて国際的な視点プラス地域的な視点で音楽を考えています」なんてかっこいい事を言っておきましたが(笑)。

 50歳代くらいで往年の日本のフォークを演奏しているアマチュアの人たちを紹介してくれないか!?というのもあって。年末の特番で往年のフォーク歌手と一緒に演奏してもらいたいんだけれど、家庭を顧みずフォークにうつつを抜かしている人たちみたいな取り上げ方をしたいんですが!?だって。

ほほう、こうやってテレビ界に蔓延しているヤラセ番組が作られていくのかと納得した。しかし、ブルーグラスやブルースならともかく日本のフォークだけに染まってる人ってあまり知らないし、周りにいる人たちは完全にアマチュアとは言いにくいし、勝手に話を他の方に振ってしまいました。ごめんなさい。心よりお詫び申し上げます。(番組制作担当者はMMN掲示板にでも書き込んで募集すれば良いのに)

 どうも自分は口の軽いところがあって、話を勝手に他に振ってしまったり、古い友人の昔の話をその友人の現在の知り合いに教えてしまって、あれれ言わない方が良かったかな、などと反省することがある。

僕が二十歳の頃に組んでいたロックバンドのドラマーは 今 某国立大学の民俗学助教授なのだけれど、先日、その学者仲間の某大先生と大阪でお酒を飲む機会があって、僕は共通の知り合いであることに喜んで「あれは実はもとドラマーでしてね」と言ってしまい。ものすごく(目をむいて)ビックリされてしまった。考えてみれば、僕らがティーンエイジャーの頃は、音楽活動そのものが偏見との戦いみたいなところもまだあったわけで、相手を考えて話をすべきだったのかもしれない。(実は昨日、ごめん、勝手に昔のことを言っちゃったと電話しました。)

でも、その頃の後輩のドラマーでやっぱり某大学の社会学助教授をしているT君は、大学の公式プロフィールの中に、自分がロックドラマーでありかつてメジャーデビューしていたことを平気で公表しているから別に気にすることもないんでしょうが、学問分野によってはちょっと周りの反応が違うような気もする。(T君の専門はレジャー・レクリエーション学だしなあ)

それにしても、年末になって色々なことが一段落すると、酒が入ってまた余計なことを言ってしまいそうな自分が怖い訳だ。






墓参り(2005年10月13日)

― アコジャムとMMN ―

 日曜日に二日酔いの頭で墓参りに行った。以前、台工(現 神奈川総合産業高校)で働いていた時に世話になったオジサンの墓参り。そのちょうど一週間前、ヒマラヤ・カラコルム山脈(パキスタン)で1997年に遭難した神奈川ヒマラヤ登山隊関係者の遺体回収ご苦労さん会があって、隊長だったオジサンの奥さんからお墓の場所を教えてもらったばかりだった。「夢」と書いてあった墓碑にちょっとあっけにとられたけれど、最多角(いらたか)の数珠を鳴らしながら友人と二人でお経とお線香をあげた。

 あの時、日本を発つ前に、オジサンは書いていた本のネタを人に調べさせようというわがままな魂胆をちらつかせながら「丹沢の山伏の歴史を調べてみたら〜」などと言い。言われた僕の方は即座に拒否。ところがオジサンの死後、なぜだか、本格的にそれを調べはじめたりしたのは我ながら不思議としか言いようが無い。結局、今年の秋・冬はそれを学会で発表し、また本も出版することになった。あれから8年がたった。

 あの頃、ある高校生がたった一人で中国大陸を列車で横断しカシュガルまで行ってしまい出席日数が足りなくて留年したことがあったけれど、それも目の前で授業をしているオジサンを見ていたからだろうと思う。オジサン自身も町田高校時代に数学の追試をさぼって山に行ってしまい結局留年したのを、俺は高校時代の友達が人の2倍いるんだと威張っていた。僕自身もそういうスケールの人たちを見慣れていたせいか、あんまり驚かずにその高校生やオジサンの話を楽しく笑っていた(馬鹿にしてではなくその逆)。世の中、そういうことで良いんじゃないかと思うんだけれど、どうも違う方向に動いているみたいだ。

 墓参りの前日はアコジャム5周年で、ずいぶん密度の濃い演奏を楽しむことができた。こういうのは主催者冥利につきる。その中でも、町田市内最年少プロミュージシャンといっても良い小4の少年がチャランゴの演奏を始めた時は皆あっけにとられ、一躍会場の人気者になってしまった。

このイベントはMMNと同時に、今までに無かったノンジャンル・ローカルをコンセプトに続けてきたわけだけれど、いよいよ次回12月17日で最終回。MMNとアコジャムという文化ボランティア活動も5年という区切りを過ぎ、ずっと調べてきた山岳宗教のこともここで世間に報告することになったし、来年からは僕も自分のことに集中し仕事を始めることにして、今までやってきたことを一気に整理します。(そうそう、ここ数年書き溜めてきた曲も今年中にはCDアルバム化することにもなりました。)

 ところで、パキスタン北東部で大地震発生。この辺はカラコルムのお膝元。パキスタン北部で活動実績があるNWAの「パキスタン大地震緊急支援募金」にご協力を。






おくんち(2005年9月9日)

― ホノルル・シティ・ライツ


 こんなウェブマガジンを運営していると、時々コンサートやライブに招待して下さる方がいて、心から感謝しています。けれど、実際はなんだかんだと用事が入っていて、失礼なことに行けない事が多い。この場を借りてお詫び申し上げます。

 この9月は北陸の白山踏査の旅に出かけるつもりで18切符を用意して準備していたのだけれど、家の事情で出かけられなくなり、その切符はやっぱり旅を計画していたフルヤ君に格安で売却し、仕方なく日々ACID PROと格闘していた。そんな時にもぽつぽつとご招待の連絡を頂くわけで、申し訳ないです。ところが先日ちょっと外出可能になって、松本ノボルのご招待に甘えて座間のホールまで出かけて行った。ハワイの代表的なミュージシャン ケオラ・ビーマー。映画「BIG WEDNESDAY」の音楽やカーペンターズもカバーしていた「ホノルル・シティ・ライツ」の作者でもある。ハワイアンのスピリチュアルな要素とエンターテイニングな要素をスラッキーギターと歌、そして奥さんのフラとパーカッションで素敵に表現する人だ。

 前座で演奏した沢山の日本人ミュージシャンやお客さんの中には知ってる顔がいくつもあって、あちこちで「あ、どうも」って挨拶することになった。別に僕はハワイアンミュージシャンじゃないんだけれど、イトさんとHikiNO!の皆さん、マツモトシェイブアイスにはジョンもジュンノォもいたし、Bare Footのオザキくんはかぶりつきで見ていたし、なんだか知り合いが多くてびっくりした。それにしても、ステージで「アロハ!」って声をかけると会場の老若男女が「アロハ!」って返すあのハワイアン独特の世界は面白い。

ハワイ文化はしっかり日本人の心をとらえていますなあ。まあ、アメリカだけどハワイは良いわ。もともと独立国だし。身近な自然の中にスピリチュアルなものを感じる伝統が生きてるようです。身近な所に「聖地」があるんでしょう。かつては日本人もそうだったんですけどねえ。そこで宣伝。このエリアにも実はたくさんの「聖地」がありました。それをご紹介する歴史ガイドブックを出版します。『丹沢の行者道を歩く』12月初旬発売(白山書房)。山の聖地だけじゃありません。江ノ島も高麗山も出てきます。ぜひ!

 ちなみに今日も東アジアの人間にとっては聖なる日。「重陽の節句」、日本では「おくんち」「菊の節句」とも言う。奇数は陽の数字、だから奇数が重なる日、1/1、3/3、5/5、7/7、9/9は節日(節句)として聖なる日(ハレの日)だ。一番大きな奇数が重なる9/9は昔は節句の中でも大事だったらしいけれど、今ではほとんど忘れられた日だ。自分も生まれてこのかたお祝いしたことがない。商業ベースに乗らなかったからだろう。ということは他の節句のように良い商売を考えるとこの日はきっと復活するね。

♪ Each time Honolulu city lights stir up memories in me.
Each night Honolulu city lights bring me back again.
You are my island sunset, you are my island dream. ♪






レコーディング(2005年8月20日)

― 三味線ユニット ―


 ACID Pro5.0を購入。今年、自分が参加したハーピストのレコーディングの中で、PCレコーディングの操作性の良さにビックリし、これは自分もやるしかないと腹を決め、本の原稿も書きあがり出版社も決まった事だし、出版前に、まだ音源を録っていなかった三味線ユニットのレコーディングをやろうと8月に入って画策しはじめた。

 三味線を弾き始めてかれこれ15年くらい経っているのだけれど、さすがにギターと違って「仕事」レベルには達していないと自分で判断。ACIDでバックのオケを作って、その上にアコースティック楽器の数々と歌を重ねてみようという計画だ。ループできるサンプリング音源の魅力は民族系パーカッションの豊富さだ。三味線ユニットで今さら所謂ドラムセットやラテンパーカッションみたいなお決まりの太鼓の音はあまり入れたくなかったので、リズムマシーンじゃどうにも対応できない。それでオケ作りとレコーディングをACIDでやってしまおうと思った訳だ。

 実は僕はレコーディング機材を持っていなかった訳じゃない。ところが自称機械音痴であり、数年前に某社ハードディスクレコーダーで録音した音源をリリースした時のCD制作作業は全部 元アンバサのトール君に業務としてお願いしていたわけで、自分ではこのレコーダーを結局一度も使いこなせないまま年月が経ってしまっていた。だからこの度ミリメーターズに思い切って売却(もったいない!)。

 そうなるとインターフェースが必要で、最近出始めたUSB2.0接続のドイツ製格安インターフェースを発見し、取り寄せたのだけれど、これがまいった。ドライバーがインストールできない。メーカーのWebページ上の最新ドライバーも駄目。電話で問い合わせたら、付属CDのもページ上のももう古いものだとか!?メールに添付して最新ドライバーを送るって!?結局それでも駄目であえなく返品!結局日本製のインターフェースを買い直し。

 最初のインターフェースを注文してから楽器のレコーディングに対応出来る状態になるまで約2週間。手間取った。おまけに本に載せる鳥瞰図の解像度にクレームがついたりしてそっちの修正にかかりっきりで作業がまだ始められない。面倒なことは良く重なる。しかしACIDは面白い。なにしろこの僕にも使える。ACIDで作ったオケにオープンチューニングのアコースティックギター、三線、女性ボーカル。いい感じになるはずです。






花火(2005年7月19日)

― ♪ ド〜ン ♪ ―


 7月はじめ頃の衆議院で与党内から造反者が出て大騒ぎをしていた。今回の法案であんなに多くの政治家が自分の所属会派の方針にさからってまで反対する根性を持っているんだったら、なぜあの戦争の時に、「大量破壊兵器がある」なんていうデマに乗ってアメリカやイギリスをバックアップすることに造反する与党議員が出なかったのだろう。少なくともフランスやドイツの政治家の判断はもうちょっとまともだった。しょせん支持母体と利害関係の問題なんだろうと呆れ果て、「こんなの茶番だ」と思ってしまう。

イギリスの地下鉄自爆テロの犠牲者の冥福を祈ろう。夏は爆弾じゃなくて花火が似合う季節なんだ。


 7月のある日、山梨県道志村の「ほたるまつり」にギターを弾きに行った。ところが、お祭りは途中から生憎のどしゃ降りで、僕たちの演奏も早め短めでということになり、屋台のみなさんの片付け用BGMと化して、雨の降りしきる中なのにステージの屋根に守られて濡れずに演奏し、これで予定のギャラを頂くのは申し訳なかったなあなどと思いながら予定より3時間もはやく帰路についたら、ちょうどたくさんの人たちがどしゃ降りの中をお祭りに集まり始めたところだった。

 雨さえ降らなければ、
花火打ち上げ前の平家蛍の群れが放される黄昏時に、ハーモニカとアコースティックギターの幻想的でロマンチックな演奏が蛍の光を音で彩るはずだったのだけれど、それは中止になってしまった。山間の谷に蛍が舞い、その蛍の光の中から花火が打ち上がる光景を勝手に夢見て「見てみたかったなあ」とつくづく思った。


 小田急線沿線で最も歴史のある花火大会は「あつぎ鮎まつり大花火大会」だ。今年は8月6日(土)らしい。あまりに人が集まるのでちょっと気おくれしてなかなか行くことはないのだけれど、花火の音を久しぶりに体験してみたいなあとは思う。それに合わせて厚木市郷土資料館では
収蔵資料展示「花火」(7月11日〜8月10日)が開催されている。大野さんの労作だ。これは見に行くとしよう。






1972年(2005年6月17日)

― 雨 ―


 昔話のようで恐縮だけれど、僕の世代はやっぱり70年代的なものを引きずっているようで、家族がいつも見ている無国籍時代不明忍者アニメ「ナルト」の主題歌が「♪干からびた〜♪」と70年代的なサウンドに彩られて始まった時には、思いっきり反応してしまい、サンボますたーのCDがいつのまにか家にあったりするわけだ。

 70年代の要素は現在進行形の00年代のポップカルチャーの中でも欠かせないもののようで、おっこれは!と反応してしまうことがしばしばある。それはたぶん文化情報を発信する側にも70年代を引きずっている世代が責任のある立場としていて、というか確かに編集や制作にかかわる職場で管理職をしている昔の仲間が現に結構いるからそうに違いない。やっぱり好きでそういうものを選択して世に送り出しているんだろうと思う。

 梅雨に入って、雨ばっかり降っていて、この前、雨の中を歩きながら一フレーズ浮かんだメロディがなんと古い歌謡曲で、あれこれは三善英史だったかなあと
思って、流行っていた年を調べたら1972年だった。雨の中で浮かんだ雨にまつわる懐メロがB.J.トーマスでもカーペンターズでもCCRでも、ましてやブラームスでもなく、演歌系歌謡曲だったところが自分でもおかしくて、無人の伴奏マシーンが嫌いでカラオケ屋になんかもう何年も行っていない僕もやっぱり日本人だと安心してしまった。

 1972年といえば、沖縄の統治権がアメリカから日本へ移行した年で、群馬県の山荘やイスラエルの空港では武闘派系の日本人革命家グループがとんでもない事件を引き起こしていてテレビのニュースから目が離せなかった。あの時、あのグループは戦闘訓練用のアジトを丹沢の山の中にも作っていたし、横浜にある大学は革命家が育つ場というイメージまであったんじゃないだろうか。それに大日本帝国陸軍伍長横井さんがグアムのジャングルで発見され帰還したのもこの年だった。そう考えれば、この前のフィリピンの日本兵騒ぎは70年代を引きずっている人々がはまりやすい事件だった。

 この1972年に流行った楽曲にはいいのがそろっていると前から思っているんだけれど、どうでしょう?

日本物では「喝采」(ちあきなおみ)、「太陽がくれた季節」(青い三角定規)、「旅の宿」「結婚しようよ」(よしだたくろう)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)、「どうにもとまらない」(山本リンダ)、「別れの朝」(ぺドロ&カプリシャス)、「学生街の喫茶店」(ガロ)、「プカプカ」(西岡恭蔵)、「女の道」(ぴんからトリオ)なんていうのがあって、

欧米物には「名前のない馬」(America)、「アローンアゲイン」(Gilbert O'sullivan)、「アメリカンパイ」(Don McLean)、「ベンのテーマ」(少年期のMichael Jackson)、 「ユーアーエブリシング」(Stylistics)、「ウィズアウトユー」(Harry Nilsson)、「孤独の旅路」(Neil Young)、「愛は面影の中に」(Roberta Flack)、「スモークオンザウォーター」(Deep Purple)、「シェリーに口づけ」(Michel Pornaleff)、「ダイスを転がせ」(Rolling Stonse)などがある。

この頃は日本でリリースする外国曲にオリジナルな邦題をつけて売っていたのが今考えると不思議だ。「Heart Of Gold」が「孤独の旅路」だったんだから。

これをリストアップしているだけでメロディが浮かんで楽しくなってしまうのだけれど、でも梅雨時はやっぱり「雨」が良いかなあ。それとも、どなたかこの辺のミュージシャンの作った楽曲で小田急線&横浜線沿線の風景にマッチした雨の歌ありませんかねえ。

♪ 雨に濡れながら たたずむ人がいる
傘の花が咲く 土曜の昼下がり ♪






(2005年5月10日)

― 気持ちの良くないこと ―


 春、新緑がまぶしい季節。自然の中に入ると、風も野鳥のさえずりも咲き乱れる花も気持ちが良いことこの上ない。しかし、昨日、原稿に載せる滝の写真を撮ろうと気持ち良く沢をさかのぼっていたら、靴下とズボンのすそが血だらけになっていた。しまった、また薬を塗らなかったと後悔しても遅かった。コロコロに太ったヤマビルくんたちが靴下のなかで吸血中であった。全部で八匹。一匹ずつ焼き殺そうと不自然な姿勢で処刑していたら足の付け根の筋がちょっとおかしくなった。最悪だ。気持ちが良くない。

 この1ヶ月間、日本を震撼させた中国の反日暴動も、あれは誰が見ても気持ちがよくないけれど。マスメディアの報道自体も国対国、政府対政府の話ばかりで見ていても救いがない。音楽を愛する方々は今や東アジアを代表するプロデューサー&ミュージシャン ファンキー末吉のサイトでものぞいて中国ミュージシャンの親日的世界を確認した方が良いです。ほとんど中国人化している末吉氏は現在中国のヒットチャートをにぎわすかなりの曲の太鼓を叩いてるかプロデュースしてるって弟が言っていた。(末吉氏には昔から世話になってるんです。)

大体、今の日本の政権が正しく民意を反映しているとは思えないし、中国も共産党一党独裁の政府だ。その政府がやっていることに反応して反日や反中国の感情が盛り上がってしまう状況はまったく気持ちが良くない。(*2003年総選挙の投票率たったの約60%×自民党の得票率約40%=自民党の実質的な支持率約24%、公明党の分を足しても過半数にはほど遠い・・・選挙に行く人が減るとこういうことになるんです。)

 それにしても、ヤマビルの多い沢で一服していると、彼らは僕の足を目指して一斉にスタートを切る。まるでランナーのように。こっちも走り出したいわ。

♪ 走る走る俺たち
流れる汗もそのままに
いつかたどり着いたら
君にうちあけられるだろう ♪






メディア(2005年4月10日)


― ライブドア支持 ―


 ライブドアのフ○サ○ケ○グループのっとり作戦はもう煮詰まってきてしまったのでしょうか?お金やM&Aの手法の問題は抜きにして、メディアは文化の創造や流れを担う重要な装置であるという見方からすれば、マスメディアの一角をぜひ崩してほしい。プロ野球界のように。

放送局側が持ち出していたマスコミやジャーナリズムの倫理とか社会的責任といった議論は、80年代以降のマスメディアと文化創造に携わる業界が流行らせてきた文化(もちろん音楽を一番イメージしていますが)の中味を思い起こせばチャンチャラおかしい。

文化の発信地が固定されていて、しかも基本的に一方向に情報が流れる。発信する側は情報の内容をアレンジできる。これは文化の発信装置としてのマスメディアの当たり前の定義。文化の流れの中ではマスメディアと文化創造に携わる業界はつまり「権力」。

「権力」は政治学的な見方からすれば「分権化」した方が望ましい。権力が集中し続けると腐る。だから、民主的な国家では三権分立や地方分権が重視される。

文化情報が基本的に放送局から全国へ一方的に流れるばかりの社会から、インタラクティブ(双方向的)なメディアや、ローカルな文化から面白いものが創造されるような社会にどんどん変わってほしいといつも思う。「権力」の分権化。

つまり、従来のマスメディア経営とは違うスタンスのライブドアが業界の一角に加わるのはとても未来志向な話だ。

 このMMNも文化の「地方分権」を推進しようという考えもあって編集しているわけです。でもそれには、他からこのエリアを見て「面白いエリアだなあ」と思ってもらうことが実は重要。人は外からリスペクトされることでアイデンティティを持つ。となるとエリアを指す良い用語でもないとサマにはならない。たとえば「湘南」みたいな。「町田」じゃ狭すぎるし、行政上の境界で文化を云々するのは変だ。たぶん町田駅周辺を歩いている人の過半数は神奈川県民だ。なんか良い用語はないかな?

 しかし、現在書いている『丹沢の行者道を歩く』という歴史・山岳フィールドワーク本の原稿が仕上がって出版したら、そろそろ仕事を始めなくてはならない。なにしろ現在収入がないに等しい。(音楽の場に僕を誘う方は招待の上おごるように、じゃないと行き(け)ません。笑) お店でも始めるか。その際はこのボランティア文化活動&運動MMNの存続は保証できないのでよろしく。ある日突然やめるかもしれない。

 ところで、昨日、横浜に演奏に行ったついでに横浜ジャグバンドフェス(野外はフリー)をちょっとのぞいてみたら、出番前なのに顔の赤かった日暮士さん(ギタリスト)とカッちゃん(ギタリスト、MMN今月の音楽人No.23)に言われた。「今日ライブだって?さっきそのハーモニカ吹きがベロンベロンで(夜演奏するライブ屋のママ)きょーこちゃんに叱られてた。ありゃー今日は使いもんになんないぞー。」その日どうなったかは後日。

【後日談】なーんだ。和解か。つまらん。






口琴(2005年3月20日)


― 倍音


 つい昨晩、一緒に演奏したユニットが口琴を使っていた。口琴といえばアイヌの「ムックリ」かと思って「おー!ムックリだ。」と言ったら、違った。フィリピンの口琴「クビン」だって教えてくれた。(ちなみに中国では「口琴」と言うとハーモニカを指しているので「口弦」らしい)

 今まで、口琴を使うミュージシャンにお目にかかったことがないので、面白いと思った。ムックリは安かったのでずいぶん前に入手して遊んでいたこともあるから、今度は音量の出そうな口琴で手頃な値段のものがあったら買ってみようかなどと考えて、ちょっと調べてみたら、あらびっくり。世界中に口琴があるではないか!太鼓同様、人類の共通音楽文化だったんだ。

倍音を口の中で作り出すところはモンゴルのホーミーみたいだなあ、なるほど、なるほど。おっと、やっぱりあった。なんと口琴とホーミーのユニットが。その名も「倍音S」。そして、もっとびっくり「日本口琴協会」!まだまだ僕は世間知らずだ。

 バランスよく豊かな倍音を含んだ音色を出す楽器は一般に「良い楽器」と言われる。だったらホーミーが上手だったり、口琴が上手だったりする人の口は「良い口」で、その口を持っている人は音楽人としては「良い人」なわけだ。(?)

これは、ヨーロッパの金属製口琴を入手して、一丁挑戦してみようかと思うのだけれど、あんまり口が大きくないから無理か。

最後に楽器を弾かない方のために。楽器で「C(ド)」の音一つ鳴らすときに、その中に1オクターブ上のC(ド)、G(ソ)、2オクターブ上のC(ド)、E(ミ)、G(ソ)、B♭(シ♭)、3オクターブ上のC(ド)、・・・・・・といった周波数が整数倍の音もその楽器の音の中に含まれているのです。(ギター奏法のハーモニックスは倍音を出す奏法)

♪ボニョーン〜ニョーン〜ニョーン〜♪





音楽用語(2005年2月20日)


― AOR?


 音楽の世界にも日本ならではの用語が色々とある。もちろん純邦楽の世界ではあたりまえの話で、音そのものと同時に楽器や業界にかかわる用語が音楽文化の地域的な個性を表象している。

 世界中で聞かれるようなタイプの音楽の用語でも、「classical music」が「クラシック音楽」になっていたり、最近では「double bass drums」が「ツーバス」、「independent」が「インディーズ」だったりするのは、発音がめんどくさいから縮めちゃえというノリから誰かが言い始め、もうあと戻りできなくなった日本語?

 それっぽく造ってしまった用語というのもたくさんありそうで、古くは、バンドで演奏するミュージシャンを「バンドマン」などと表現したのは、おそらく昭和前半のジャズ全盛の時代?よっぽどバンドが珍しく、そしてかっこ良かったのかヤバかったのか?そんな様子が思い浮かぶ。

80年代におしゃれなイメージで恋人たちを酔わせた「Adult Oriented Rock 」(「AOR」)というありそうで実はなかった英語も、バブルの絶頂期に向けてのスノッブな雰囲気とか、エレクトリックピアノ・シンセサイザー・エフェクターといった電子技術の普及の上に戦略的に作り出された日本ならではの言葉と言ったらいいか。

「ライブハウス」という日本語も(これはだからアルファベットで書くとおかしい)、小さければ「bar」か「pub」なんでしょうし、中くらいなら「club」なんでしょうし、大きければ「hall」なのか?いずれにしても、お店のブッキングで出演してチケットノルマや出演料がある場所は外国にはないはず。たぶんオーディションがあって出演できる人はギャラもらって出演、できない人(or お店のコンセプトに合わない人や勝手にやりたい人)は場所を有料で貸すからどうぞという選択肢なのが、80年代以降の日本ではその中間的であいまいなシステムが一般化したのでしょうか?(若いバンドマンを育てる場所といった感じ?) まさにファジーな関係を大切にする日本社会の産物。

 話はそれるけど、「ノルマ」というのも不思議な言葉だ。学校・職場の中、良く使われているロシア語。日本でのこの言葉の普及を僕はこう推測する。天下の共産主義国家、今は無きソビエト連邦が計画経済実現のために使用していた「ノルマ」。第二次世界大戦後にシベリアに抑留されていた日本兵たちが労働させられていた間、毎日「ノルマ、ノルマ」と攻め立てられていた。日本に生きて帰って来られた元日本兵は今度は高度経済成長期に職場で「ノルマ、ノルマ」と・・・。たぶんそうだと思う。こりゃあ明らかに社会主義用語だ。

 まあ、日本の社会や文化状況を表象するいい言葉がなければ造語はもちろんOKなんだけれど、中途半端でまぎらわしい外国語もどきはどうなんでしょうねえ。と、最近テレビのCMから聞こえてくる80年代のAORが思わせてくれたわけです。田中康夫も違う人みたいになってがんばっているし。





誕生日(2005年1月28日)


― ♪Happy Birthday to You♪

 昨日は誕生日で、もう今となってはぜんぜんうれしくもなんともないんだけれど、おめでとうなどと言われると、一応、どうも、とか、ありがとう、なんて反応しなくてはいけないのが恥ずかしい。もちろん、♪Happy Birthday to You♪なんて歌ってもらったら逃げ出したくなるので、家の中で誰にも歌わせないで、寿司を食べに行った。しかも飛び切り安い寿司。

 ところで、聞いた話では、アメリカ・ヨーロッパはもちろん、東南アジアやアラブ地域でもこのHappy Birthday to Youっていう歌が言葉の違いはあっても歌われているらしく、世界でもっともポピュラーなアメリカンソングと言ってもおかしくないらしい。さすがに、この歌は、アメリカ音楽産業資本の戦略とは無関係に自然に広まったのだろうから、やっぱり誕生日という状況にピッタリのシンプルで普遍性があるすばらしい楽曲なんだと納得する。

でも、歌詞の著作権はまだ切れていないというのはびっくりで、しかもその権利はなんとワーナーが持っているという。つまり、ちゃんとしたステージで♪Happy Birthday to You♪って歌うとJASRACに著作権料を払う必要があるってことか!?なんてこった!!この辺の事情は映画評論家 町山智浩さんのページに詳しく書いてある。

 著作権といえば、学生の頃に、プログレ系ブリティッシュロックバンドをやっていて、キャメルやらジェネシスやら、はてはピンクフロイドの「The Dark Side of Moon」(邦題「狂気」)をステージ上に柱時計とか目覚まし時計とかまで持ち込んで演奏していたんだけれど、しっかりJASRACから請求されて著作権料を払わされた記憶がある。やっぱりコピーバンドやカバーバンドはその辺が苦しい。僕の弟もグイーンなんていうふざけた名前のクイーン完コピバンドでギターを弾いてちょっと世間でちやほやされていた時期があったみたいだけれど、著作権料を結構払っていたはず。

 ところで、現在のMMN主催イベント「アコジャム」はオリジナリティー重視のイベント。オリジナル曲を演奏してくださいという理由の一つにこの著作権のこともあるわけです。逆に、パブリックドメイン(著作権切れ)なら問題ないんで、オールドスタイルのルーツ・トラッド系ミュージックは民謡からブルーズまで歓迎しているわけであります。

 子供の頃、友達に威張って言っていたことを思い出した。昨日はアマデウス・モーツァルトの誕生日。だから何?と言われたら、もしかしたら生まれ変わりかもしれないと答えることになってます。輪廻転生。





バックナンバー

No.42 暮れも押し詰まり・・・(2004年12月27日)― ベストアルバム2004 ―
No.41 近況報告(2004年11月23日)― MP3 ―
No.40 地震・台風・テロ・???(2004年10月25日)― Let it be?―
No.39 モータウンとアトランティック(2004年9月20日)― When a man loves a woman ―
No.38 Memento mori(2004年8月18日)― 上を向いて歩こう ―
No.37 雲取山(2004年7月21日)― 獣と野鳥 ―
No.36 選挙へ行こう!(2004年6月24日)― 選挙ソング ―
No.35 南蛮蕎麦(2004年5月25日)― 南蛮音楽 ―
No.34 迷惑?(2004年4月27日)― シェリーに口付け ―
No.33 (2004年3月20日)― 花の水鉄砲 ―
No.32 川沿いの道(2004年2月21日)― Oasis ―
No.31 地震と活断層(2004年1月17日)― 夕焼け小焼け ―
No.30 年末雑感(2003年12月21日)― Knockin' On Heavens Door ―
No.29 デジタル
(2003年11月24日)― ALL YOU NEED IS EARS ―

No.28 BUTOH
(2003年10月27日)―  ゆらぎ ―

No.27 天河弁財天
(2003年9月17日)―  天上の音 ―

No.26 ワールドカップ
(2003年8月19日)―  応援歌 ―

No.25 仕組まれている世の中
(2003年7月7日)― 洋楽 or 邦楽 ―

No.24 ハーモニカ大会
(2003年6月6日)― The Marguerita Suite ―

No.23 「トテナム or トットナム」
(2003年5月11日)― Empire Road ―

No.22 法螺貝
(2003年4月13日)― 三昧法螺声 ―

No.21 「安保反対」
(2003年3月8日)― アカシヤの雨が止む時 ―

No.20 インフルエンザ
(2003年2月8日)― 福永武彦 詩集 ―

No.19 ラフテー(2003年1月11日)― ボレロ ―

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―

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