町田音楽ネットワーク
時々放談
(2004年 1月>>12月)
by ryusei


暮れも押し詰まり・・・(2004年12月27日)


― ベストアルバム2004 ―

 暮れも押し詰まってきた。今、世の中が向かっている方向ははっきり言って最悪だと思う。日米の最高権力者の顔がテレビに映ると目をそむけたくなるほどだ。でも、ともかく、個人的には色々とやり終わったのでひと段落。今年の成果をもとに2005年はまた新しい事を始めたい。

 ところで、最近はあんまりCDもレコードも買わなくなったので、というかメジャーな音楽産業界のハヤリ・スタレみたいなものに興味が薄れてしまって、昔よく買っていた音楽情報雑誌ともすっかりご無沙汰(お金が無いというのが実は大きいかもしれないけれど)。ただ年末年始になるとちょっと気にはなるのがベストアルバム2004といった類の特集記事。特にできるだけ沢山の評論家やミュージシャンがコメントしているのは面白い。編集部が決定盤的に紹介しているのは当然つまらない。アルバムはコンセプトを持って作られている場合が多いから、音楽シーンを通して世の中のいろんなことがうかがわれるような気がする。

 音楽は耳で聞き、体で感じるものだから音楽評論なんてナンセンスだという意見も昔からあるけれど、情報が氾濫していて限られた時間とお金の中ではやっぱり評論が重要になってくる。しかも、自分のセンスにあった質の良い評論家を見つけるのが肝心。これで、時間の短縮とお金の節約になる。

 でも、さすがに音楽情報雑誌は産業全体の一端を支えるメディアでもあるから、売れ線や売れ筋をめまぐるしく作り出さなくてはいけない宿命もある。まあ、リスナーの側はそれを共有したことがあとから同世代意識として社会の中で意味を持ってくるんだろうけれど、こう目まぐるしくてワザとらしいとチョットネというところもある。

 もっと、スピードダウンして欲しいなあ。そして、音楽も他の文化も、お金の動きも、当然政治も、もっともっとローカルに情報やパワーを回したほうが住人がずーっと幸せを感じる社会になるのにと思っているわけであります。そんなわけで、今年の僕の選ぶべストアルバムは、と言うか飽きずによく聞いたのは、両方とも買ったんじゃなくて頂きもの、バリトンサックス奏者吉田隆一(小田急相模原在住)と和洋折衷冗談音楽のはらいそ(成瀬在住)。もちろん他にもいっぱいあるんだけれど、ユニークさと完成度の高さで選びました。

【夜の追記】
 それにしても、津波被害がすさまじい。なんとモルディブでジェット・リー(香港)が亡くなったというニュースまで飛び込んできた!?死者・行方不明は2万人を突破してまだまだ増えそうだ。こりゃあ広域にわたって場所が場所だし、復興に向けての日本の役割は重大だわ。

【大晦日の追記】
 死者はついに10万人を突破。新潟中越地震の時は見舞金やボランティアの情報提供先へMMNからリンクをはっていたけれど、今回は各マスコミがわかりやすく紹介しているので、特にしない。こういう情報はなぜか国内災害の時の方が得にくいことがよくわかった。国外の災害は国際赤十字やユニセフといった国際組織を通すという流れが事前に出来上がっているからだと思う。ということは、これからも頻発するだろう国内災害を前提に、見舞金やボランティアの流れをマネージメントする組織があったら良いのにと思った。
 ジェット・リーは無事だったようです。良かった。それにしてもインザーギ(ACミラン、兄の方)までモルディブで遊んでいたんですなあ。





近況報告(2004年11月23日)


― MP3 ―

 時間が無い。切羽詰っている。しかし、こんな時、技術革新(イノベーション)に感謝だ。それは音のデジタル処理と圧縮技術。PCに向かいながら作業する時にお気に入りのアルバムを圧縮してぶち込む。手間はアルバム一枚ほんの2〜3分。すでに50枚以上格納。そしてシャッフル再生。異ジャンルミクスチャーのジュークボックス。こっちの作業がはかどるのは意外にジャマイカ人の歌とイタリア人のバロック。こんな時は意味や音が気になってしまう日本語の歌や自分も弾いている楽器をフィーチャーしたものはご法度。波の音とか沢の音、つまり自然界の音源がまたとっても良い。電車に乗って出かける時もPCからちっちゃなプレイヤーに転送。アルバム一枚数秒。便利だ。ちなみにipodではありません。もっと安くて小さくても使い勝手十分。さて、今書いている論文の〆切りは12月中旬。時間が無いから以上。





地震・台風・テロ・???(2004年10月25日)


― Let it be?―

 今年の夏以降、日本列島は立て続けに台風に襲われてしまった。紀伊半島大峰の太い原生林があちこち倒れて道を塞いでいるのを見ながら、たまにはこういうこともあるんだと歩いていたら、これはまだまだ序の口で、滑落者が出てしまったり、紀伊半島東沖地震、そしてまた台風。僕の生まれた三重県宮川村は大変なことになって、連絡が途絶えた親戚の心配をしていたら、今度は町田に向かって台風襲来。やむなく主催イベントも中止という無念の判断をして、ショックに打ちひしがれ。精神状態が立ち直りつつあるところにまた巨大台風。そして今回の新潟中越地震。あわてて新潟にいる知人たちに問い合わせたところ、まだ1人から返事が帰って来ない。宮川村も中越地方もこれからが大変だ。

☆台風・地震関連の義援金・ボランティア受付先はここでわかります。
=>NHKボランティアネット

(こんな台風の中、僕の最近の演奏パートナーであるハーモニカ吹きは、イベント中止を良いことに、女の子と2人で「酒水の瀧」見物にドライブに行った。結局帰りに身動きがとれずに避難していたらしいけれど、そんなノーテンキさがとってもうらやましい。)

 イベント実施の有無を決断するのに、台風情報と一晩中向き合っていたら、今まで知らなかったことにいくつも気付いた。一つは、宮川村に大災害をもたらしたヤツは「メアリー」(やまびこ:北朝鮮)で、イベント中止原因は「マーゴン」(山の鞍部:香港)で、先週八王子を通過して行ったのが「トカゲ」(日本)、今石垣島のあたりにいるのが「ノックテン」(鳥の名前:ラオス)だった!4年前から国際的にそんなことになっていたとはちっとも知らなかった。次に台風が発生したら「ムイファー」(すもも:マカオ)だ。ハリケーンみたいに人の名前って言うのはご免だけれど、「23号」とかと呼ぶより、アジアを感じることが出来て良いと思う。アジアのみんなが同じ台風にびくびくしながら生活しているんだから。

もう一つは「地震・雷・火事・親爺」の「親爺(オヤジ)」がもとは「大山風(オオヤマジ)」で瀬戸内の局地風ヤマジの大きいのを指していたという説。つまり台風の風もこの中に含まれる。まあ、こういうイディオムはみんなが納得して使ってなんぼだから、語源云々と言ってもあんまり意味があるとは思わないけれど。「親爺(オヤジ)」が必ずしも怖いもんじゃなくなった今の時代だからこそ注目される言説かもしれない。

 でも、「地震・雷・火事・親爺」という言葉もそろそろ作り変えた方が良いような気もする。「雷」や「火事」ももちろん怖いのだけれど、昔よりも被害頻度の点では減ったので、座間キャンプに近いこのあたりにはやはり「テロ」を加えて「地震・台風・テロ・???」!「???」には親爺に代わるような身近で怖い人たち(?)を入れる!例えば、いや止めた。

台風と言えば、昔、上々颱風 が「Let it be」を不思議な呪文のように歌っていたのがあった。もと歌もそうかな?「なるがままに」って元気出すか。

いつでも神様が 見つめているよ
だから泣かないで Let it be





モータウンとアトランティック(2004年9月20日)


― When a man loves a woman ―

 関西や東北にずーっと行っていたもので、帰ってから楽器を手にした時のあまりの新鮮さにビックリしてしまった。おまけに結構ファンキーなフレーズが出てきてしまう。しかし指がなまっていてスムーズじゃない。トレーニングして感覚を戻さなければとあせりながら、なんで16ビートでブルーノートなんだと不思議な気分。最近、反米主義者の僕も、今までずいぶんこんなアメリカンミュージックにも手を染めてきたなあ、とちょっと懐かしみ、思わず「MOTOWN」(Michael Mcdonald、2003)というCDを購入。

 言い訳がましいのだけれど、当時はマイケル・マクドナルドも、彼の在籍していたドゥービー・ブラザーズもスティリー・ダンも大好きで、南カリフォルニア・サンディエゴの確かラホヤだったか?小さなクラブにトム・ジョンストンを友人と2人で尋ねて行って挨拶して握手してもらったこともあった。要は、あの頃が懐かしいんですな。(その帰りに、ライブで知り合ったお医者さんが車でダウンタウンまで送ってくれたんだけれど、その医者は車を運転しながら某葉っぱをくゆらせ始めて、ちょっと困った。)

 マーヴィン・ゲイやスタイリスティックス、スティビー・ワンダー、ダイアナ・ロスといったモータウンのポップなソウルも良いんだけれど、アトランティックのリズム&ブルーズもかっこ良かった。といってモータウンもアトランティックもほとんどの曲は同時代に聞いていたわけじゃありませんが。
(確か、「リズム&ブルーズ」つまり「R&B」という言葉もアトランティックのプロデューサーかなんかが作った言葉じゃなかったかしらん?)
「When a man loves a woman」(パーシー・スレッジ)「Stand by me 」(ベン・E・キング)もアトランティック・レコードだったし、オーティス・レディングにウィルソン・ピケットにサム&デイブにブッカーT&MG'sにレイ・チャールズに、・・・・・合掌。

♪ When a man loves a woman
Can't keep his mind on nothing else
He'll trade the world
For the good thing he's found ♪

☆ アメリカネタはあんまり書きたくなかったんだけれど・・・・・。
ところで、
アメリカ黒人史研究者 藤永康政氏のウェブページ内「リズム&ブルーズの政治学」
面白し。





Memento mori
(2004年8月18日)


― 上を向いて歩こう ―

 7月25日、神奈川ヒマラヤンクラブの尾上さんから連絡が入った。神奈川ヒマラヤ登山隊1997の原田さんの遺体が発見され、7月26日からモロちゃん、柴田さんとともにパキスタンのカラコルム山脈に向かうとのこと。K2のべースキャンプ付近で8月7日ごろ荼毘・追悼を行うとのこと。2年前に広島さんら5人が発見され、今度の原田さんで全員、これで終わりだ。まずは現地に行っている3人の無事を祈り、死者の冥福を祈る。
 冒険家たち。周到に準備をした上で限界に挑戦する姿勢。そしてたとえ死んだとしても彼らが残すもの。僕はこの社会にはとても必要だと思う。

8月1日、新潟県荒沢岳で雪渓が崩落し、3人が亡くなった。1人は昔仕事でお世話になっていた長谷川さんだった。冥福を祈る。どことは言えないけれど、あの職場は遭難や事故で亡くなる人が多いような気がする。気のせいか?

 夏は死者を想う季節。夏の満月の夜に死者は帰ってくる。そして、再び向こうの世界に送り返される(今の暦は月とは無関係だけれど)。死者を慰める踊りを各商店街や自治会主催で行う今のご時世も面白い。でもそうやって盆踊りが続いて行くのも悪くない。死者のために日本中は休暇に入るのだ。死者が与えてくれるプレゼント。

 8月6日・9日・15日、町田市の防災放送が戦争の記念日を伝え、黙祷の協力を呼びかける。死者を想う。ただ、僕の両親もその兄弟も誰も戦死していない。とても幸いなことだ。「少年H」の舞台にもなった神戸刈藻島の高射砲部隊にいた父(たぶんアメリカのB29に一発も当てていないと思う)、戦艦「伊勢」の乗組員で、敗戦間近には「伏龍」(潜水員が棒付きの機雷を持って潜り、上を通過するアメリカの上陸用艦艇を爆破する)などという極秘特攻部隊に配属されていた伯父、海軍偵察機の操縦士だった伯父、みんな今も生きている。そして誰もあの戦争を美化して語ることはないし酔って軍歌を歌うような所は見たことはなかった。「伏龍」の伯父はマスコミから取材の申込みがある近年までこの部隊の事を恥ずかしいからと家族にも隠していた。それくらいナンセンスで馬鹿らしい作戦だったらしい。

 8月10日、知り合いのご家族が亡くなり、通夜に行く。ただただ冥福を祈り、生者を想う。

 8月12日、今年もニュースが御巣鷹山の日航機事故の慰霊祭を伝えている。1985年、坂本九 を含め 520名死亡、生存4名。坂本九のヒット曲・・・「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「涙くんさよなら」他多数。どれも永六輔、中村八大、いずみたく、浜口庫之助といったコンポーザーたちが作った名曲。

 これから生まれ来る子供たちもいる。夏が過ぎたらもっとたくさんの生者のことを想おう。

♪ 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように   
思い出す春の日 一人ぼっちの夜・・・♪




雲取山(2004年7月21日)


― 獣と野鳥 ―

 とてつもない暑さだ!やっぱり観測史上最高気温じゃないか!こんな暑さが8月末の大峰奥駈け(吉野>>熊野・・・祝!世界遺産登録)まで続いたら文字通り死んでしまう。トレーニングをしておかなければと、先日、テントと寝袋を担いで奥多摩から秩父三峰まで縦走に出かけた。

 標高2000mまであがれば涼しいだろうという期待を胸に、まずは東京都最高峰の雲取山を目指す。夜は気温20度を下回るもののやっぱり暑い。それにこの季節は虫との闘い。「ウルサイ」を「五月蠅い」と書くけれど、5月以降の蠅をはじめとする虫さんたちの多さとしつこさはまことに半端じゃない。山では「五月蠅い」という表記を実感できる。

 雲取山荘のテント場は一泊300円と格安。標高も2000mに近い。さっそくテントを張って、ビールを飲みながら飯を作る。山小屋の宿泊者はたくさんいたけれど、テント場は僕1人。この暑さでテントを担いでくる馬鹿はいないということだろうか。暗くなったら寝袋にもぐりこむ。涼しいし、静かだし、新しく入手したサーマレストのマットも快適。トラツグミの神秘的な鳴き声が聞こえてくる。

 夜、周りを大人数に囲まれた夢で目を覚ました。夢じゃない。確かに周りはたくさんの足音。ぞーっと寒気。あたり一帯で何かをかじる音。息遣いに鳴き声、・・・・・獣に囲まれた!熊じゃないことを祈りつつ息を殺す。鳴き声から鹿の群れだろうとあたりをつける。少し落ち着く。しかし、こううるさいと寝られない。うつらうつらと朝を待つ。夜明け前、トラツグミの鳴き声、いつのまにか獣たちは去っていた。

 野性の音や自然の音。これも人為的な音楽に負けずに(いや、それ以上に)楽しめる。おまけに緊張感も一杯。




選挙へ行こう!(2004年6月24日)


― 選挙ソング ―

 イラク戦争やその戦後対策に対する日本政府の対応、輸入CDを規制する今回の著作権法の修正問題、等々。音楽にかかわる人間にとっても「政治」の問題から目が離せない。政治の状況に違和感を感じたり意見をアピールしなければと思った音楽人たちの中には、それをステージ上で言葉やパフォーマンスとして訴えたり、メッセージを作品にして発表したり、署名運動をしたり、デモに参加したりといった行動に移した人も多いと思う。

 でも、どれもなかなか決定打にはならない。なぜなら日本という社会のシステムはイギリス流の間接民主制(代表民主制)を基本としているから。この社会のルールは基本的に代表者(議員と議会)が作っている。

 18世紀フランスの思想家ルソーはこう言っている。

「イギリス(日本?)の人民は自由だと思っているが、それは大間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけのことであって、議員が選ばれるや否や、イギリス(日本?)人民は彼らの奴隷となり、無に帰してしまうのである。その選挙という自由な短期間の間に、彼らが自由をどのように行使しているかをみれば、彼らが自由を失うのも 当然であるといえる。」(『社会契約論』)

 つまり、どんなに怒っても、叫んでも、アピールしても、それが選挙結果に表れなければ元の木阿弥。こりゃ駄目だと無力感に囚われて、投票しても変らなーいとか言ったり、選挙のボイコットとか、投票用紙に「ふざけるなー」とか書いたとしても全くのナンセンス。だから選挙は行って投票するものです。

 支持できる候補者や政党が無いと思うかもしれない。いいえ。選挙には代表を選ぶだけではなく、代表としてふさわしくない政党や候補者を落選させるという重要な機能がある。政治でベストなんて見つかるわけない。ベターで良い。

 「選挙に行こう!」キャンペーンを全国の選挙管理委員会はもっとはるべきでしょう。横浜市選挙管理委員会を見習って欲しい。そのHPにはクレイジーケンバンドの横山剣さんも登場、キッズページもあり、選挙ソング(!)もダウンロード可能(?)。

 まずは7月11日(日)参議院議員選挙。

【追記】一番肝心なのは衆議院議員選挙、次です。




南蛮蕎麦(2004年5月25日)


― 南蛮音楽 ―

 蕎麦を時々無性に食べたくなる。ラーメンじゃなくて蕎麦!「もり」や「ざる」もいいけれどイワユル種物が良い。蕎麦通からすると邪道。でもそんなの気にしない。「鴨南蛮」「鳥南蛮」「カレー南蛮」「肉南蛮」他。

 蕎麦は毎日のように食べていると癖になる。数年前まで相模大野で長く仕事をしていたので、職場の近くの「司庵」という蕎麦屋の常連だった。おいしかった。それから、時々どーしても蕎麦が食べたくなる。それにしても、蕎麦屋の「南蛮」がネギを使った料理用語だって教えてもらった時はずいぶんびっくりした。(恥ずかしいことに、司庵の若旦那に教えてもらうまで知りませんでした!)

 「南蛮」というのは不思議な言葉だ。南の島伝いにやって来たポルトガル・スペイン、つまりカソリックの西欧人、それと彼らが運んできたものを指して使われるのが一般的。もとはもちろん「南の野蛮人」、最初に中国人が南洋の島々を指していた訳だから、沖縄から東南アジアの島々もその中に入っていたらしい。黒潮が流れ来るはるか南の島々、アジアの中で、ゆれる波のような三連符系のリズムが生きている所だ。それはともかく、結局「南蛮」という言葉はとてつもなく意味が広い。ただしエキゾチックなイメージを表象する言葉であることは確か。

 さて、もうすぐ夏、暑い日に「南蛮尽くし」。カレー南蛮蕎麦を食べるのですよ。トウガラシ(南蛮辛子)も入っているだろうからダブル南蛮。そしてBGMは南蛮音楽。旧スペイン・ポルトガル領のラテンアメリカも南蛮だから、サンバ・ボサノバ・サルサ・ソン・マリアッチ・タンゴ・etc 全部OK、もちろんファドもフラメンコもスペインバロックも当然、それにアジアの南の島々、ガムランもダンドゥットも島唄も台湾歌謡もみんなOK。「ふー、ふーっ」

上の話と関係ありませんが、ここの替え歌集面白し=>東京蕎麦食




迷惑?
(2004年4月27日)


― シェリーに口付け ―

 関西にいる間、ちょっと変ったフランス人と行動をともにすることになった。武道の師範で、薙刀やら手裏剣やら杖やら総合武術やら、ビデオを見せてもらったら、立派な道場をフランスに構えていて、今は日本の民俗宗教を研究している。(そのわりに日本語がイマイチだったなあ) 「あなたのー、日本語がー、イチバンーわかりやすいでーす」って、風呂まで付いてくる。(時々英語入れてるんだけれど)

 しかし、良いことだ。自国以外の環境や文化に興味を持って、現地に行って積極的にフィールドワークを行なう。見上げたもの。しかもその地域や文化に対するリスペクトも愛情も大いにある。彼の道場の門弟さんも結構いるようだった。おそらく彼らは「サムライ」の姿を見ているんだろう。幻想の「サムライ」の精神性を。

 かつて、サムライが消えようとしていた時代に、古い日本を守ろうとしたのも、それを壊して新しい日本を作ろうとしたのも、基本的にはサムライだった。先頭に立って行動していたサムライは、狭い共同体を超えた倫理観を持っていたと思う。少なくとも「人に迷惑をかけない」とか「人騒がせなことはしない」という日常生活レベルの倫理を国際活動に広げて考えるような思考はありえない。だいたい、物事が大きくなればなるほど周りへの迷惑(周りの支えと言った方が穏当かもしれない。もちろんお金を含めて)は当たり前、お互い様。

 覚悟を持って危ない国(確か、ちょっと危ないだけで戦争状態じゃないっていう建前でしたよね?)へ行って、ボランティア活動や仕事に関わっていた人たちが人質になったからって、あの仕打ち。またショックを受けてしまいましたな。これでは、まともな先生は学校で授業を出来ない。子供たちに教えようが無い。「外交は国家だけがやるものではない、地方そして地域から個人へ」って常識ではないか。この際、人質になってしまった人と自衛隊の話は全く関係ない。

 でも、やっぱり、日本社会や日本政府の彼らに対する反応の異質性が諸外国から不思議がられている。いつも外圧が必要なんだ、日本の社会が変るのには。この社会の将来を考えたら、今回は残念ながら人質になってしまったが、彼らの経験、生きた知識、そして判断力、どれもとても貴重なのだ。

 元へ。フランスの話、彼が日本の事をよく知っているのと比べて、自分はフランス人のミュージシャンをどのくらい知っていたっけ?と考えた。あんまりシャンソンは詳しくないし・・・・・、ふと思い出した。ミッシェル・ポルナレフのLPを昔買ったことがあった!

♪ tout tout pour ma cherie ma cherie ♪




(2004年3月20日)


― 花の水鉄砲 ―

 もう桜の季節だ。いくらなんでも早すぎる。去年から4月上旬は訳あって関西で過ごす。お金がもったいないので、青春18切符(使用年齢制限はありません!)を使って、鈍行を乗り継いで行く。関西では京都聖護院から大阪・和歌山県境の葛城山地・友ヶ島を巡る。桜が舞い散る美しい季節だ。

 その後は、決まって京都宇多野ユースホステルを拠点にフィールドワークに出かける。そして夜は庭に咲いている立派なしだれ桜を愛でながらビールを飲むのだ。この庭のベンチは僕にとって京都で最高のフェイバリットスポットだ。ここには世界中から宿泊者が集っている。同室だったり一緒に風呂を浴びて仲良くなったツーリストとビールを飲みながら話をする。アメリカ人が少なくてヨーロッパ人・アジア人が多いのも良い。(理由は伏せておきます(笑))

 こんな事をふと思ったのも、さっき「くるり」のCDをたまたま聞いたことがきっかけだ。家族のために買ってあげたのだけれど、自分が聞き込んでしまった。こりゃー完全にLed Zeppelinだ。でも歌がとっても日本的でフォークっぽいのとよくマッチしているのが気に入ってしまった。「くるり」というバンドはもともと宇多野ユースホステルのすぐ近くの大学で結成されたらしく、それを知ってCDを聞いていたら、あの庭のしだれ桜が妙に脳裏に浮かんでしょうがなかった。

 また今年も4月がやって来る。そろそろ準備に取りかからなければ。 

♪ 夢見る街 花の水鉄砲 吹き荒れる街 花の水鉄砲 ♪




川沿いの道(2004年2月21日)


― Oasis ―

 よく歩く。街の中、山の中、海沿い、川沿い、・・・・・。歩かなきゃ。ほとんど強迫観念のよう。駅のエスカレーター、乗らない。階段を歩く。車にもめったに乗らない。乗るのは山の麓まで。芦沢自動車の真ちゃんに注意された。それじゃあバッテリーが上がってしまう。相模原市代表として技能選手権で準優勝した真ちゃんの言う事だ。注意しなければ。

 子供の頃、故郷の盆地の町から自転車に乗って江ノ島までよく遊びに行った。親には内緒の大冒険だ。小さな川沿いを下り、相模湾沿いをひたすら走る。潮風が心地よかった。江ノ島のタワーに登ってみんなで紙飛行機を飛ばした。遊びすぎて帰りは真っ暗。パンクもして自分たちで直す。遅くなってよく怒られた。

 町田から江ノ島だって割りと簡単だと思う。境川沿いを下るだけ。町田の駅裏は境川、江ノ島の駅前も境川。標高差はたったの80m。
 境川の上流も捨てがたい。横浜線沿いを相原まで。西に折れて城山湖を目指す。良いキャンプ場もある。

 境川は多摩川や相模川のような大河じゃないけれど、昔から国境にされてきたのは有名だ。でも暴れ川で流れがずいぶん変っているから、あんまりしっかりした境界だったとは思えない。川の両岸に「矢部」とか「鶴間」のような同じ地名がたくさんあるから、境川流域に地域的なまとまりがあったんだと思う。まあ、お上の作るボーダーラインなんてそんなものだろう。そういえば町田市も明治の自由民権運動が盛んだった頃は神奈川県だった。

 僕の家の近くを流れているのは恩田川。やっぱりサイクリングロード兼遊歩道があって、地域の皆さんが歩いたり走ったりしている。僕も時々。すると、なぜか必ず頭の中を流れるLoop Junktionのワンフレーズ。

♪ ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
もうない青い空 恩田川沿いを歩いてる、、
・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
最後にゃ笑おうな Oasisにようやく近づいたような気がした
歩き続ける荒野 いずれ全てに繋がるか今日は、、、
 ♪




地震と活断層
(2004年1月17日)


― 夕焼け小焼け ―

 「夕焼け小焼け」がちょうど関東大震災の頃の歌だったというのを知って、色々と思った。この歌の楽譜はリリース直後の震災でほとんどが焼けてしまったらしい。震災後の焼け野原で子供たちがこの歌を歌っているようなイメージが湧いてきてしまったんだ。今日は1月17日だし、2003年の年末には大変な震災がイランで起こった。それに僕はこの15年くらい「もうすぐ地震が来るぞ!」と毎年言っていたんだ。

 毎日新聞の1月13日の夕刊には地震と活断層の記事がトップになっていた。他の新聞には載っていない話だから、毎日独自の編集方針で掲載した記事だと思う。地震調査研究推進本部の研究成果を紹介して読者の注意を喚起すような内容だった。そこにも書かれていたけれど、調査済みの活断層のうち30年以内に地震を起こす確率が高い活断層が紹介されていた。

 活断層は言ってみれば地面の裂け目で、フィリピン海プレートに年速数センチのスピードで西北西に押しまくられている静岡と南関東には特にたくさんある。どれも地震の震源地として地震を起こすたびに裂け目の片方がズレ上がったりするから、肉眼で確認できる活断層もたくさんある。

 ただ、確認されている活断層の中で、町田から一番近い立川断層は当分大丈夫らしいし、その次に近い伊勢原断層(青山学院大学厚木キャンパスがこの断層上にあったから、淵野辺に移転したのはそのためかと僕は勝手に思っていました。)もまだしばらく大丈夫という調査結果だ。

 ただし町田から50km圏内には恐ろしいのが幾つかある。三浦半島断層帯神縄・国府津−松田断層帯秦野断層・渋沢断層が特に有名だ。三浦半島以外は小田急線からもよーく見える。標高差が数十メートルから200メートルくらいあって、こわいことに、その斜面にいろんな建物や東名高速道路や学校が建っていたりする。国府津−松田断層は一気に10mズレ上がる可能性があると報告書に無機質な文章で書いてあるのが恐ろしい。

 大正12年(1923)関東大震災の震源地は小田原沖の海底断層で、結構離れている東京都心があんなに被害にあったんだから、震源地としての神奈川県は言うまでも無く要注意だ。

 「夕焼け小焼け」の作詞者中村雨紅はここ多摩地区の人だ。歌のベースになっている原風景は八王子の田園風景だと言われている。国語の先生をしていて、大正15年(1926)から昭和24年(1949)まで厚木東高校(旧制厚木高等女学校)の先生だった。昭和47年(1972)に亡くなったのも県立厚木病院だ。まさにこの地域の音楽人の大先輩だ。毎日、八王子から横浜線に乗って「原町田」で降り、「新原町田」まで町田の商店街を歩いて小田急線に乗り換え、本厚木まで通っていたんだ。

ところで、イランは首都テヘランが活断層上にあるという理由で遷都まで検討し始めたらしい。

★イラン地震救援募金は

コチラ(おひさまワールド災害救援基金)
口座番号 00220-7-112132  口座名称 おひさまワールド災害救援基金
or
コチラ(unicef)

♪ 夕焼小焼で 日が暮れて
山のお寺の 鐘がなる
お手々つないで 皆かえろ
烏と一緒に 帰りましょう

子供が帰った 後からは
円い大きな お月さま
小鳥が夢を 見る頃は
空にはきらきら 金の星
 ♪




バックナンバー

No.30 年末雑感(2003年12月21日)― Knockin' On Heavens Door ―
No.29 デジタル
(2003年11月24日)― ALL YOU NEED IS EARS ―

No.28 BUTOH
(2003年10月27日)―  ゆらぎ ―

No.27 天河弁財天
(2003年9月17日)―  天上の音 ―

No.26 ワールドカップ
(2003年8月19日)―  応援歌 ―

No.25 仕組まれている世の中
(2003年7月7日)― 洋楽 or 邦楽 ―

No.24 ハーモニカ大会
(2003年6月6日)― The Marguerita Suite ―

No.23 「トテナム or トットナム」
(2003年5月11日)― Empire Road ―

No.22 法螺貝
(2003年4月13日)― 三昧法螺声 ―

No.21 「安保反対」
(2003年3月8日)― アカシヤの雨が止む時 ―

No.20 インフルエンザ
(2003年2月8日)― 福永武彦 詩集 ―

No.19 ラフテー(2003年1月11日)― ボレロ ―

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―

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