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Nothing On My Mind『TEARS』について

なぜ『TEARS』(涙)か? (ライナーノーツより)

「このアルバム企画は悲しい出来事から始まりました。神奈川ヒマラヤ登山隊1997の遭難、隊長の広島さんを含め6名が死亡した1997年8月20日。ヒマラヤの中でも西部のパキスタン・カラコルム山脈・スキルルブルム峰(7360m)に逝った彼らそして彼女に捧げる曲14 レクイエム。1997年9月の合同慰霊祭でも流されたこの曲を書いたのは8月の末です。幸運にも生き残った両角さんたちがふもとの町を目指して歩いている頃で、両角さんが無事に帰ってきたら是非聞いてもらおう、この世からいなくなっちゃったK2男・広島さんに聞いてもらおう、と思って書いた曲です。9月の合同慰霊祭でこの曲のテープを流してくれたのはアフリカ・マラウィから帰ってきたばかりの山藤さんでした。彼もまた1997年12月末、ラオス・メコン川で事故に遭い亡くなりました。1112も、そして13(広島さんの愛唱歌)もこの世から消えてしまった彼らへの鎮魂歌(レクイエム)です。」

  〈収録曲〉

1.INTRODUCTION-TUNING-ラジオのチューニングの中から聞こえてくる声は……。

2.ROUTE 66!(作詞・作曲: Bob Troup) 言わずと知れた名曲をちょっとジャジーにカバー。
3.BONZE MAN-KONKO- MP3[757KB](作詞・作曲:城川隆生)

一昔前の事です。相模原市内のある高校にオモロイ理科の先生がおりました。学校の着任式にはネパールの民族衣装、髪型は後ろに垂れた三つ編み、「日本語が良〜く分かりませ〜ん。」と登場。彼こそ「ボンズマン」。ネパールでも海外青年協力隊・理科の先生、タイに行っては上座仏教のお寺で出家、そしてある時はラテンアメリカを放浪するヒッピー、音楽はレゲエバンドのドラマーからタブラ(インド文化圏の太鼓)の使い手まで。そして「今じゃもう〜♪北の大地(北海道)で南無阿弥陀仏(真宗大谷派)となえてる〜♪。」
4.海辺 MP3[875KB](作詞:城川隆生・akiko 作曲:城川隆生)

そのボンズマンが城川隆生と一緒に働いていたのが神奈川県中郡二宮町の県立二宮高校、教室の窓から海が見え、周りはみかん畑だった。1980年代の平塚・大磯・二宮の海岸線と思い出。

5.SCREAMING HEART (作詞:城川隆生・akiko 作曲:城川隆生)
「凍えた心」「怯えた心」「壊れた心」が引き起こす事件の数々。果たして「音楽」はどれくらい「癒し」の力を持っているのか?

6.雨よ!降れ MP3[792KB](作詞・作曲:城川隆生)

みんな何もわかっちゃいない。いっそぶち壊した方が手っ取り早い………なんて思った事ありませんか?

7.YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE(作詞・作曲:Stevie Wonder)

名曲のカバーです。ボサのノリでやってみました。

8.EARLY SPRING BIRDS(作詞:城川隆生・akiko 作曲:城川隆生)

アカペラの小曲、太鼓(ボンズマンのネパール土産)も使いました。

9.ENDLESS WORLD MP3[685KB](作詞・作曲:城川隆生)

究極の世紀末ソングだ。景気も悪い。オウムの事件もあった。クレイジーな事件も頻発している。予言もおおはやりだった。首都圏に地震も来るだろう(国府津・松田断層は近いうちにM8クラスの地震を起こすそうだ。)でも「世紀末」か?「♪そんなはずはないだろう、どこいったって堂々巡り、ここが大事なんだ、時間は止まらない〜♪。」

10.CLOUDY NIGHT BLUES MP3[738KB](作詞・作曲:akiko

曇った空と見えてこない未来、ブルーズだぜ。

11.遠くへ (作詞・作曲:城川隆生)

レクイエム組曲がここから始まる。目を閉じて、広い世界を夢見る。

12.いってらっしゃい (MP3 , 657KB,)(作詞・作曲:akiko

旅立つ人と送り出す人、夢見る人と見守る人、冒険者と残された家族、NOMMにはめずらしいほのぼのとしたラブソングです。

13.変調八戸小唄 (民謡)

広島三朗は温泉に入るといつも歌っていました。オジサンに連れていってもらった芦安温泉・高湯温泉・湯の花温泉………、南アルプスの断層粘土、やっぱりラオスで死んじゃった山藤さんと偶然出会った安達太良の岳温泉、二日酔いの田代山湿原………いろいろ思い出します。

14.レクイエム −カラコルムに逝ったあなたへ− (MP3 , 920KB,)(作詞・作曲:城川隆生)

「♪西の空を見つめ、雲のかなた思う。この星の屋根と呼ばれる山なみ、頂は高く氷に覆われて、インダスの流れが聖者たちを迎える。白き氷河の果てに、眠るあなた思い出す。白き氷河の果てに、夢は永遠(とわ)に続くよ。You're dreaming,your dream has come true.今も聞こえるあなたの声が♪」

そして、1999年夏、生き残った隊員や遺族の方々はあのバルトロ氷河・サボイア氷河を訪れた。 「2年前の夏、ヒマラヤ山脈にあるパキスタン・カラコルム山脈でスキルブルム峰に登頂後、雪崩で6人を亡くした「神奈川ヒマラヤ登山隊1997」の隊員と遺族ら12人が26日、慰霊のため、現地に向かう。一行は標高5300mの同峰のベースキャンプを訪ね、追悼曲を収めたテープを流すなどして遭難死した隊員たちの冥福を祈る。……………」(1999年7月24日付「朝日新聞」)

※「白き氷河の果てに」という歌詞は今回遭難した広島さん・原田さん・土森さんが参加した1977年日本山岳会K2登山隊の記録映画の題名『白き氷河の果てに』でもあります。

※「聖者」……広島さんはイスラム聖者崇拝の研究者でもありました。

15.TEARS MP3[872KB](作詞・作曲:城川隆生)

この平和な日本にいても世界を感じる事ができます。いや、感じなければ………。メディア情報はあります。でも知識だけでなく身体感覚としての情報や夢や判断力を持っている冒険者・旅人を我々は大切にするべきです。彼らは現代の「修験者」なのです。

彼らが遭難したパキスタンもインドと対立しています。目標だったチョゴリザもそのために許可が下りずスキルブルムに目標を変更したそうです。カラコルム山脈の麓はカシミールであり、印パ停戦ラインです。



その後・・・・・「遺体発見」(2002年8月20日 記)

 7月31日、両角さんから連絡が入った。「5年前、氷河の奥深く葬ったはずの遺体が表に出てきたとの連絡がありました。僕と尾上さんで現場まで行くことになりました。再び死者たちと向かい合う旅です。」 そして、8月8日付神奈川新聞の「ヒマラヤで遺体だびへ」という記事。「中国国境に近いパキスタンのヒマラヤ・カラコルムにあるスキルブルム峰で1997年8月に遭難した神奈川ヒマラヤ登山隊のメンバーとみられる5遺体の埋葬場所がこのほど確認され、遺体をだびに付すため、関係者が7日、首都イスラマバードから前線基地のスカルドに向かった。・・・・・・5遺体は同峰を下山途中に雪崩に遭い死亡した広島三朗隊長ら6人のうちの5人とみられる。・・・・・・現地で遺体の最終確認を行い、今月17日から20日の間にだびに付す予定。関係者によると、当時、6人の遺体は氷河の下に埋葬された。5遺体は氷河の移動で地表に現れたため、遺族らがだびに付す必要があると判断したという。ドイツ人登山家が先月、埋葬場所を確認し、現地からの連絡を受けた2人が今月5日に日本からパキスタンに向けて出発した。」
 8月20日はちょうど命日だ。「K2男」広島さんの顔が浮かぶ。わがままで、喧嘩っ早くて、でも地に足の着いた知識とセンスがあって、一緒にいる時は色々と教えられた。5年前の時はみんないい歳なのに飲みながらそして泣きながら思い出話ばかりしていた。死者と向かい合う夏だ。

【追記】8月23日、柴田さんから連絡が入った。両角さんと尾上さんは5人の遺体を確認し荼毘に付し、そして5人の遺骨を持って下山中だそうだ。麓の町まで何日もかかるのがカラコルムだ。
【追記2】8月30日、両角さんと尾上さんが無事に帰国した。良かった。
【追記3】9月3日、遺体収容の報告書が届いた。遺体確認は標高5280m、サボイア氷河は何百メートルも動いていたんだ。また涙が出てしまった。

「遺体発見」その2

【追記4】2004年7月25日、神奈川ヒマラヤンクラブの尾上さんから連絡が入った。神奈川ヒマラヤ登山隊1997の原田さんの遺体発見。7月26日から尾上さん、両角さん、柴田さんがパキスタンのカラコルム山脈に向かった。8月初旬、K2のべースキャンプ付近で荼毘・追悼を行ったとのこと。2年前に広島さんら5人が発見され、今度の原田さん、これで全員。死者の冥福を祈る。



NOMM