中世の丹沢山地 史料集 index

丹沢 日向修験板碑伝
(清川村 八幡神社 蔵)


 これらの板碑伝は、私と山口朝生さん(清川村)が清川村煤ヶ谷の八幡神社で2005年に発見したものです。ここには以前から八菅修験の碑伝があると言われていましたが、神社のご好意で中を探させて頂くと、八菅修験のものと一緒に日向修験の碑伝とこの神社の別当寺であったと思われる三光寺(真言宗、廃絶)の護摩札が発見されました。

 日向修験の板碑伝で年号がわかるのは享和元年(1801)のものと文久二年(1862)のものです。判読不能な碑伝はおそらく18世紀以前のものと思われます。近世日向修験の峰入りについては拙著『丹沢の行者道を歩く』の中でご紹介しています。

(2006/5/28 城川隆生)
追記(2012/3/16)
 これらの碑伝は、2010年に神社本殿に侵入した賊によって、本殿内のほかの備品類とともに破却され紛失したそうです。行政の文化財指定もされていなかった事、写真撮影以外に計測もしていなかった事、等々、色々と誠に残念でなりません。
追記(2020/5/7)
 ◆ 左の碑伝の文面
                享和元 辛酉 天  日向山大先達大泉院
    カンマン(不動明王) 奉修峯中採灯護摩供天下泰平國民安穏
                三月大○祥    権大僧都隆○同行八人

 ◆ 中央の碑伝の文面
                文久二 壬 星   日向山大先達常連坊
    カンマン(不動明王) 奉修峯中採灯護摩供天下泰平國家安穏攸
                戌三月吉辰  権大僧都快泉法印同行○人

 ◆ 右の碑伝の文面
               ○○○○○○    日向山當先達大〇○
    ○(梵字種子)奉修峯中採灯護摩供天下泰平国民安穏祈攸
               三月良〇    権大僧都教〇 〇?

【参考】『峯中記略扣 常蓮坊』
拙稿「丹沢山麓の中世の修験とその関連史料」『郷土神奈川』第47号(神奈川県立図書館、2009年)
※表題は校正ミスがあって「丹沢山麓の中世の修験とその関連資料」となっています。