時々放談
by ryu-sei


仕事(2008年12月30日)


― 年末大掃除から始まった記憶の連鎖 ―

 久しぶりに床のワックス塗り作業をし(万象房では初めてですが)、気力が足りないのと下手くそになってしまったのにがっかりしながらも、斑だらけなのに、妥協してしまいました。学校に勤めていた頃は、年に2〜3回は、あのぐるぐる回る巨大なワックスポリッシャーを駆使して、高校生たちとワックス塗りをやっていた頃が妙に懐かしく感じられました。さらに記憶をさかのぼって、アルバイトに精を出していた頃、もう全然思い出せないのですが、こんな仕事もしてたのだっけ?と、自分がやっていたアルバイトの種類をカウントしている始末。

 郵便配達のお兄さん、しかも自転車で。何だか良く分かりませんが、配達していたら「あっ、ジュリーだ!」と子供の集団に追いかけられたことがあります。意味不明でありました。

 運送屋のお兄さん。その時、確か、韓国から来ていた年配の留学生と一緒で、「日本は自由すぎる!」と嘆かれました。私は超ロングヘアーと、継ぎはぎのベルボトムジーンズで、いかにもロックバンドやってますオーラ出しまくっておりましたので、当時、軍事政権下にあった韓国の方には許せなかったのでしょう。

 大きな建設現場の土方。一輪車で土砂を運んでいる時にちょっとよろめいてしまったら、「仕事の辛ささ、思い知らせてやる〜」(北関東弁で)って怒鳴られました。やっぱり見た目が見た目で、よっぽど生意気に見えたのかしら?でも建設現場の社長から、うちの息子の家庭教師やってくれと頼まれ、東京大学赤門前のマンションに連れて行かれました。いくらなんでも遠すぎたので、当時学芸大に通っていた中学時代の友人平田君に話をふりました。社長さんには、生まれて初めて(最後でもある)銀座のクラブに連れて行って頂き、ホステスさんたちの頭脳明晰さと美貌に驚愕いたしました。

 家庭教師。社長さんの所ではありません。片道10kmを自転車で通っていました。吉川さんがお前やれって言ったから。「お前ギター下手や」と私をバンドから首にしたのも吉川さんだったと思う。

 道路工事の片側通行止め指示要員。しかも深夜の国道6号線。警備会社だったから、やっぱり「髪の毛が長過ぎる」と怒られ、ダンプの運転手には「てめえ、いつまで止めてやがんだ〜!」と殴りかかられました。会社の人は、全部バイトにやらせて、交代時間になっても寝たふりをしていたのかやって来ませんでした。正直この仕事が一番辛かった。この仕事は正田君と一緒にしました。万象房のベースとパーカッション類の提供者です。

 某研究所の出張コピー係。保健所に行って、一日8時間、結核患者のカルテばかりをひたすらコピーいたします。ところが、やっと仕事に慣れた三日目ぐらいに、私の住んでいたアパートが爆破されました。消防車・救急車・パトカー・マスコミ、全部来て大変だったので、電話をして、今日はアパートが爆発したのでバイトに行けませんと電話をしたら、信じてもらえませんでした。そこで、代わりに飯島君に行ってもらいました。

 高エネルギー加速器研究機構の地下配線工事。何万ボルトだかの綱引き用の綱よりもっと太い電線を、ひたすら引っ張ります。この線に傷をつけたり切ったりしたら即死だからと脅かされながらひたすら綱引き。

 ワックス塗りのアルバイトをしたかどうか?インパクトや事件が結びついていないとあの頃が(つい二日前の忘年会の夜も)思い出せない2008年の年の瀬。飲み過ぎです。

If the river was whiskey
I was a diving duck
If the river was whiskey
I was a diving duck
I 'd swim to the bottom, drink myself back up

もしも川がウイスキーだったら・・・

(Sleepy John Estes『Diving Duck Blues』)


民業圧迫(2008年11月17日)


― 実費? ―

 事業を始めてもうすぐ2年になろうとしております。5年前までは長らく教育公務員であったこともあり、その頃と比べると、お金の計算をきちんとしないとテナント料も払えなくなるのは大きな生活上の感覚の違いであります。ひときわ大きな違いは、企画を告知するのに、ものすごくお金がかかること。この秋のワークショップや野外講座の告知でもウン十万円の告知費用。各種タウン誌にちょっと気の利いた告知広告記事を掲載するのに、一回ウン万円は当たり前の世界です。

 以前、某公共博物館の学芸員さんとお話していて、企画に参加する受講者からは「実費」だけ頂いています、と言っていたのを聞いて、この嘘つき、あなた何もお分かりではないですな、と心の中で思いました。いや、誰かには、参加費は実費300円とか500円とか1000円とか、それって、民間の生涯教育機関からすると、ただの民業圧迫なんですよ、というようなお話をしてしまったかもしれない。

この「実費」には、各都道府県市町村の広報紙の掲載料も、配布料も、人件費も、家賃も何もほとんど入っておりません。普通なら莫大なコストとして計算するものが、一切入っていないこの「実費」。この企画自体には全く興味のない無関係な方々から集めた多額の税金でその穴埋めをしている仕組みです。これを「実費」とは考えない公務員の世界。この感覚が世に広まっているから怖い(かつての自分もそっち側でありました)。「小さくて意味のある行政」を目指して欲しいです。

普通に考えて、一企画あたりの広告費用は安く見ても約2万円、野外企画なら下見にも行くから人件費二日分、テナント・事務所費用一日約5000円。その他もろもろ。なので、10名定員で企画したら、利益抜きで、だいたい参加講習料一日4000円でちょうどトントンぐらいでしょうか。

 何が言いたいかというと、万象房の企画は超リーズナブルだということであります。

お願いですから、問合せの電話で「公民館より高いですねぇ」って言わないで下さい!

講師の質がとっても高いのですから。(といって、自分も公共的な機関から講師で呼ばれることがあると、交通費が赤字にならなかったら良いですよー、などとお仕事を受けますけれども・・・・・)



初めてギターを弾いた頃(2008年10月20日)


― 『剣を捨てろ』 ―

 自分が最初に買ったギターが何だったのか?もう思い出せません。あれは十ウン才の頃でありました。ヤマハか?モーリスか?ヤマキか?アリアか?いわゆるフォークギター。もちろん、60年代末〜70年代のフォークとロックの音シャワーを浴びていた頃。

 自分が最初にギターで弾いた曲が何だったのか?これももう思い出せません。もしかしたら、サイモン&ガーファンクルでもビートルズでもニール・ヤングでも吉田拓郎でもなく、当時のティーンエイジャーのアイドル浅田美代子の『赤い風船』だったかもしれない。そのあと吉田拓郎のお嫁さんになった元祖天然キャラのあの方。

 高校生の頃、時々ギターを教えてくれたのは浅野君で、今、万象房でも「浅野組」としてライブをやってもらっている訳ですが、高校の教室にギターを持ち込んだ彼に、あの名取裕子さんが、「ギター弾いて〜」っておねだりしていたような記憶もおぼろげにあるような(?)。

 ギター魂に火がついたのは、中学の同級生を訪ねて、小田原高校の文化祭に二木君と遊びに行って偶然聴いたバンドのかっこ良さで。それから、彼らがコピー演奏していたブリティッシュ・ロック・バンド「ウィッシュボーン・アッシュ」の虜。かっこうのギター入門練習曲『剣を捨てろ』は結局ティーンエイジャーの頃毎日のように弾いていたような記憶が・・・・・。それ以降、叙情的で、あのロンドンの天気のように陰気臭く、メロディアスで、あんまりハードじゃない英国のロックが僕のお好みに。

 はじめて、お客さんの前でまともなライブをやったのは、この流れから、やっぱりエレクトリックのロックバンドで、このバンドは次第にプログレ色(重厚長大・抽象的空間表現)を強め、「ピンクフロイド」のアルバム片面全部再現というような、長ったらしい曲がどんどん増えていき、なかなか面白いオリジナル曲もあったんです。(当時のベース正田君は万象房にパーカッションセットとベースを寄贈してくれました。ドラムスの飯島君は今は民俗学者で新潟大学の先生です。キーボードの柴田君とリードギターの佐々木君は元気かなあ?)

 はじめて、アコースティックのライブをやったのは、僕と、男性ボーカル&ギター、女性ボーカルのトリオで、アメリカン・ウェストコースト系のコーラス重視路線。時々エレクトリックにもチャレンジ。CSN&Y系。今じゃ彼はパルコの店長らしいし、彼女は精神科医のはずだし、まったく住む世界が違いますが、アコースティックライブ事始め。

 しかし、その後のウン十年を思い返し、今までもっとも長期間やっていたバンドはルーツロック系(最近あんまり聞かないオーソドックスなタイプ)やシンガー系のレゲエバンドでありまして、地球人として、文化的帝国主義のアメリカ人やイギリス人の音楽にばかりかぶれていてはいかんと言いながら、もと植民地ジャマイカの生んだ「立ち上がる」男ボブ・マーレーにかぶれ、正直なところ、結局エレキギター歴の方が長いことになっているような気がいたします。これは立場上まずいので、アコースティック歴が長くなるようにこれから長生きしたいと思います。

Am        C        G         D
Throw down the sword , The fight is done and over,
F     C   Gsus4 G
Neither lost, neither won.
Am   C    G       D
To cast away the fury of the battle
F     C          D
And turn my weary eyes for home.

F      G7         C           C/B
There were times when I stood at deaths own door
Am  G        Fmaj7 
Only hoping for an answer.


昔の町田(2008年9月8日)


― 『新編武蔵風土記稿』から『時代は変わる』 

 昔のことを調べている僕は、実は、言伝えとか伝説の類はほとんど参考にすることはありません。壮大な伝言ゲームのようなものだから。そこに、それぞれの思惑が入って都合よく話が出来上がっていることが多いです。その思惑は、商売上のことだったり、見栄だったり、権威付けだったり、ロマンだったり、色々。

やはり、その同時代の人が記録したテキストを分析するのが一番。昔のことを調べたり、勉強したりする人にはあたりまえの鉄則ですが。

 『新編武蔵風土記稿』という、江戸時代の埼玉県・東京都・横浜市・川崎市エリアの地域公式調査レポートが、だいたいどこの図書館にも置いてあります。調査したのは昌平黌地誌調所の調査員。幕府の役人さん。でも、そのあとに編集された『新編相模国風土記稿』(横浜、川崎以外の神奈川県エリア)と比べると、まだ仕事がちょっと雑。

ここに、1814年〜1815年(文化11年〜12年)の町田の様子も記録されております。万象房のあるかつての森野村(町田市森野)の記録

「土地は黒土砂交などにて畑多く田少し、霖雨(長雨)の時は境川溢て水損の患あり」!「民戸四十七烟」

この夏の終わり、境川はこの通り、テレビニュースになるほど溢れました。普段の水量に騙されてはいけません。200年前の記録を読むべし。そして、お家は47軒。

 今や、多摩地区を代表する繁華街の一つになった原町田村(町田市原町田)は

「もと曠原の地ゆへ皆陸田なり、土地は黒土にて専ら糞培の力をたのめり、民間五十八軒、村の中央なる町の内に軒をつらね、土人農隙には男は薪を刈いたし、又は黒川炭を焼く、・・・・」「天神社 例祭も定れることなく、農隙を待て行ふ 宗保院の持」「延命院 本山修験・・・」

肥料のウンコだらけ・・・。そして炭焼きの煙。横浜線に接した町田天満宮も、もとは今のJR駅裏の大きなお寺・宗保院(曹洞宗)のものだったんですね。まだ例祭も決まっていなかった様子。延命院さんという山伏も一人住んでいますねぇ。江戸郊外の台地上の当たり前の農村風景。

Come gather 'round people , Wherever you roam
And admit that the waters , Around you have grown
And accept it that soon , You'll be drenched to the bone.
If your time to you , Is worth savin'
Then you better start swimmin'
Or you'll sink like a stone
For the times they are a-changin'.

うろついていないで、みんな、集ろう。
水が流れ込んで、水かさが増してるぞ。
今 気付かなきゃ、骨までずぶぬれだ。
自分で自分を救う価値があると思うんなら、泳ぎ始めた方が良いんじゃないか。
さもなきゃ 石のように沈むのさ。
だって、時代は変わるんだから。

(Bob Dylan『Times They Are A Changing 』)




夏風邪(2008年7月31日)


― 思考停滞&コミュニケーション不能 

 久しぶりに夏風邪をひくと、頭脳の機能が停滞し、おまけに7月は珍しくイベントが多く、意外に忙しかったりしたものですから、不思議な会話をすることになり、風邪が治って、後で思い出し笑いをすることがいくつかありました。

 例えば・・・・・・、
 今、売り出し中の某人気アコースティックデュオが出演して下さったリハの時。所属事務所のマネージャーさんとの会話。

Nさん「今日は現場が近くて良かったです。」、私「えー、お宅はどちらですか?」、Nさん「成瀬なんです。」、私「ありゃ、一緒ですねぇ」、Nさん「オーディオテクニカの裏なんです。」、私「オーディオテクニカなら、家から会下山橋を下ってすぐで、知り合いの音楽仲間もいますよー。」、Nさん「そうですかー、実は私、この業界に入る前、ボーズだったんです。」、私「あら、何宗だったんですかー?(天台宗?真言宗?法相宗?華厳宗?浄土宗?浄土真宗?日蓮宗?臨済宗?曹洞宗?・・・?)」、Nさん「いやいや、そうじゃなくて・・・」、私「(Nさんの髪の毛を見ながら)あっ、最近髪の毛を伸ばされたんですねぇ。」、Nさん「いやいや、そうじゃなくて、スピーカーの」、私「あっ、ボーズだ!」

 万象房のギター講師ヒロシさんとの会話。日本音楽著作権協会から送られてきたライブ楽曲の書類を作成すべく、自分の判子を押しまくった日の夜の万象房カルチャー・ギター教室のレッスンの時。

講師のヒロシさんに、訳あって印鑑を押して頂きたかった。ヒロシさん「朱肉ありますかー?」、私「ありますよー。でも、今日は一杯押したから、もう朱肉付けなくたって大丈夫ですよー。」、ヒロシさん「あ、そうですかー。ハー、ハー(自分の印鑑に息を吹きかけている)。」、私「あれっ?、今日、朱肉を一杯付けたのは私の判子なんですけど・・・。」

 今年の夏風邪は、熱はそんなに出ないのですが、咳と体調不良が長く残る風邪、人生、気を付けて生きていこうと思った夏の前半でした。


万象房ライブ縁起(2008年6月30日)


― HOTな夏 

 さて、いよいよ夏本番であります。しかし、今のところ、今年の夏は涼しそうな気も。何年か前、あまりの暑さに、6月30日に家族を連れて海水浴に行った記憶がある。こういう時はいつも三浦半島。三浦半島は海水浴でもハイキングでもお気に入りのエリア。なかなか良い場所がたくさんあります。保土ヶ谷バイパスと横浜横須賀道路を飛ばして、メジャーな三浦海岸は尻目に、遊べて泳げる小さなビーチへ。この夏は暑い日に久しぶりに行ってみたい気もいたします。

 ところで、万象房の7月のイベントもHOTな方々揃い。こんなに小さなハコではミュージシャンの方々に十分なギャラをお支払いすることも出来ないので、直接面識のないミュージシャンやご無沙汰しているミュージシャンにこちらからご出演をお願いするのは失礼だろうと遠慮しているわけですが、最近は、万象房の会員の方々や講師の方々が出演話をまとめて下さることも増えてきて、心より感謝する次第であります。

 日本を代表するアコースティック・ギタリストのお一人丸山ももたろう氏のライブは浜田さんのおかげですし、某T雑誌の取材を受けたり、某U雑誌の取材をこの先受けることになったのも、小池さんやまいたけさんや中村さんのおかげです。万象房初の外国人アーティスト、いわゆる「外タレ」ですか、ハワイを代表するウクレレ・プレイヤーハーブ・オオタ・ジュニア氏のシークレットライブなどは、言わずと知れたハワイアンミュージシャン&プロデューサーであり旧友の松本ノボル氏のおかげ。

もう万象房のステージ(客席と同じ高さですが)では何らかの形でおなじみのスーマー松田さんのおかげで知り合えたし(Shimaちゃんは古いミュージシャン仲間)、シンガーソングライター佐土原くんAtoZ樋口氏のおかげで、ポップなウクレレユニットフロッグスリープマルコス西岡氏のおかげで、ブルースハーピスト深澤 剛氏はやっぱりハーピストの平松くん居相さんのおかげで、アイリッシュユニット「すらいごめいと」ののすけ氏はアイリッシュ・ギタリスト藤本さんのおかげで知り合って、・・・・・、皆様のおかげで「縁」が生まれます。これからも皆様に支えられてがんばります。多謝。

ところで、ライブスケジュールはこちらです。


巡礼(2008年5月26日)


― 歩く信仰 

 この前、テレビを見ていたら、フランス・トゥールースの路地めぐりの番組をやっていました。スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道途上の都市の紹介。さすが世界遺産、良い街ですなぁ。

そのトゥールースに遊びに来いといつも言って下さる、日本の民俗宗教の研究をしているピエール氏がまたこの春もトゥールースからやって来て、論文を書くのに必要な参考文献探しをお手伝い。でもせっかくだからと、万象房歴史地理ウォーキングの伊勢原市日向エリアの下見にも付き合わせ、一緒に日向エリアの石造物を観察して回りました。細長い日本人とフランス人が2人で庚申供養塔やちょっとエッチな道祖神を前に話し合っているのは怪しく思われるのか、ご通行の皆さんにはかなりじろじろ見られます。

 このエリアで目立つのは巡礼(順礼)供養塔の多さ。日本も古くからの巡礼の国であります。ピルグリメージ?pilgrimage?pelerinage?、こちらの発音は悪いけれど、ヨーロッパの巡礼の町から来ているから、話はすぐ通じます。この関東を巡る坂東三十三観音、日本最古の巡礼ルート西国三十三観音、それに秩父三十四観音、合計百観音、プラス(+)最近大人気の四国八十八ヵ所(お遍路さん)、全部合わせて188箇所。江戸時代にこれ全部歩いて回ってきたらしき人々のなんと多いこと。

 巡礼者は、今も昔も、日本でもヨーロッパでも、世のため人のため、そしてもちろん自分のために祈りを捧げながらひたすら歩いて来ました。これは充実感を得られる楽しい旅行でもあり苦行であり。サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼者は帆立貝と十字架、そして賛美歌。日本では笈摺(おいずる)と数珠、そして巡礼歌と般若心経。

 また、秋の歴史地理ウォーキングでも「歩く信仰の歴史を歩く」vol.2(→vol.1)を企画したく思います。今度はフランスかスペインに行きたいところですが、さすがに無理なので鎌倉あたりでいかがでしょうか?


海外の少し気になるお話(2008年4月9日


― 観音さんとオリンピック 

 先日、昔の同僚であり、音楽仲間だったボンズマンkonko氏が旧友を引き連れて万象房で宴会をしてくれました。かつて、日本やネパールで物理教師&パーカッシャン奏者だった彼も、今は実家である浄土真宗寺院のご住職でありますが、坂本龍一氏を意識しているかのような風貌は相変わらずで、それほど老けた印象もなく、やあやあと楽しい再会になりました。

 その時集まったもとネパール海外青年協力隊員の某大学教授のお話では、今、海外青年協力隊も定員割れが出てしまうような事態になっているらしく、アジア・アフリカの途上国で働いてみようという若い世代が減ってしまったと話しておりました。これも世界が物騒になったということでしょうか?とても悲しむべき事態だと思います。欧米先進国の文化的価値観や狭い日本の内向きの世間的価値観ばかりが目立ちつつある社会はこの先何かヤバイ気がいたします。

 先月、皆様をご案内した神奈川県清川村〜厚木市飯山は、「観音」さんにまつわる仏さまや石造物が多く見られるエリアで、お顔が十一面あったり、手が千本あったりする観音さんは「密教」という仏教の流れが日本で盛んだったからですよ、というようなお話と、「密教」である日本の真言宗や天台宗はチベット仏教とは従兄弟のようなものなんです、という歴史のお話をさせていただきました。(1989年にノーベル平和賞を受賞したチベット亡命政府のダライ・ラマ14世はチベット仏教の中では「観音」さんの化身とされています。)

 そのチベットを巡って、オリンピックの聖火リレーは、ヨーロッパで、アメリカで、苦難のロードを強いられているようです。「聖火リレー」や「パフォーマンス色の濃い開会式」「巨大スタジアム」「表彰台」という祝祭的イベントを発明したのは、1936年ベルリンオリンピック時のあのヒトラー率いるナチスドイツであることは良く知られておりますが、それ以来、国家の威信とコマーシャルを兼ねたこのオリンピックという祝祭的メガイベントは、政治と切り離されて実施されることは構造的に難しい訳で、また今回もアスリートの皆さんがそれに翻弄されるという不幸な事態に陥りそうです。

 しかし、スポーツと政治は別であっても、オリンピックと政治がくっついている以上、なかなか難しいのが現実。解決するには、国家政府とは切り離してもっとシンプルで簡素なスポーツの大会にするしかありませんなあ?


ウクレレ(ギター?)(2008年3月31日)


― ギター(ウクレレ?) 

 ウクレレ人気の沸騰ぶりを特に感じる今日この頃。町田万象房の中でも、20代から80代まで、世代と性別を超えて、沢山の皆様がこの可愛らしい楽器を愛し、初心者からベテランまで、楽しく弾き歌って下さっております。その皆様の勢いは群を抜いていると言っても良い状況。

これも、万象房がいつもお世話になっているKat's長尾さん、鈴木さん達のパイナップル・シュガー・ハワイアンバンドや、この前ライブをやってくれたアグネス・キムラさんたちの30年以上にわたる不屈のご活動や、やっぱり昔から世話になっているミュージシャン 松本ノボル氏の多方面にわたる多彩な活動など、このムーブメントの下地を作ってきた素晴らしいプロデューサー達がこの日本に存在していたからこそ。つい15年ほど前までは、ウクレレを置いていない楽器屋さんもあったとか。

 かくいう私も、ウクレレを使って作曲してレコーディングした楽曲が、わずかですがあったりする訳ですが、しかしです、こう皆さんが真剣にウクレレを弾かれていると、もともとギター弾きの私がウクレレを云々するのもおこがましい様な気もしてきたりする訳でございまして、ここはしばらく、ギタリスト・モードに戻ろうと密かに考えているわけであります。(と言っても、万象房出入りのミュージシャンには、しばらくギター以外弾かないよーと公言しておりますが)

となると、新しいギターなぞも欲しくなるわけですが、次のギターは古谷くん(フルヤギター工房)に作ってもらうと約束した手前、まだ無収入の自分には今すぐカスタムハンドメイドのギターをオーダーすることもはばかられ、でも1年以内にはたぶんローンで頼めるかなあ〜と希望的に考えている今日この頃。


音との距離(2008年2月29日)


― LIVE & DIRECT 

 今レッスンが終わった万象房ギター講師の一人 服部準之助氏が名古屋でクルセイダースのライブに行くと言っておりました。うわー、おもいっきり懐かしいしうらやましい。昔何回か来日公演を聴きに行った記憶があります。ボズ・スキャッグスとTOTOも・・・・・!?えーっ・・・・・。現在の20代のミュージシャンが30年前のサウンドに惹かれているのは何なんでしょう?ポップミュージックはたいして進化していないということでしょうか?もうあの70年代〜80年代でほとんど型が出来上がってしまっていたということでしょうか?そうかもしれません。

 あの頃、LPからカセットテープに録音した音楽をウォークマンやカーステレオで一所懸命聴いていたのも事実です。録音するだけで手間がかかるのに。
 音楽に対する愛着は今も変わりませんが、電車に乗ってもノーサウンド、車に乗ってもノーサウンド(壊れてる!)が基本の現在の自分。これだけ便利になってデジタルの携帯プレイヤーを持っていないわけではありませんが、外では世の中の音や自然の音を聴いている方が増えました。どういう心境の変化か?

 でも生のライブはやっぱり良いものです。LIVE & DIRECTは格別。

 今年の2月は雪がけっこう降りました。先日、また山の雪道を歩きに出かけ、アイゼンをつけてザックザックと山道を登り、自然の音に耳を澄ませ、山頂で携帯用のガスとストーブでお湯を沸かしてホカホカの麺を食す。これはたまらない快感。下界はもう雪が融けていて、澄んだ冬の空気に新宿副都心や横浜ランドマークタワーや相模湾や江ノ島が遥かに見渡せるけれど、自分のいる所は積雪の中。このシチュエーションでは音楽を聞く気にならないんですねぇ。鼻歌を歌う気にはなるのですが。これもLIVE & DIRECTな体験です。


ゆめ まぼろし のごとし(2008年1月31日)


― 『敦盛』 

 15歳=「志学」「立志の年」
 20歳=「丁年」「成年」「成人」「弱冠」
 30歳=「而立の年」「三旬」
 40歳=「不惑」「四旬」「初老」
 50歳=「知命の年」「五旬」「艾年」「艾老」「中老」
 60歳=「耳順の年」「六旬」「下寿」「耆指」
 70歳=「古稀」「七旬」「七秩」「不踰の年」
 80歳=「八旬」「八秩」「中寿」
 90歳=「九旬」「卒寿」
 100歳=「上寿」「大斉」

 今年頂いた年賀状には「退職まであと○年・・・。」といった表現がいくつかありました。まるで消化ゲーム?それで良いのかなぁ。

 年賀状をもう一生書かないと決めた人も少しずつ増えてきました。かつてヒマラヤで仲間たちの死を見届けたモロちゃんはその年から「暮れのご挨拶」が自分のスタイル。宗教ライターの藤田さんは年末年始に大変なご経験をされたらしく、今後年賀状は欠礼するというご決意の「寒中見舞い」を頂きました。「命」と「死」を身近に感じながら生きようとする姿勢の一つの表現として僕はとても納得できる潔さを感じます。

 別にいつ死んでも良いやぁ、が口癖の私ですが、今月は貯金を下ろして5年ぶりに人間ドック入りに挑戦し(too expensive!)、初のCTスキャンにびっくりしながら、やっぱりバリウムに打ちのめされました。

 今年は、桶狭間へ出陣する前の織田信長的なノリで行こうと思いながら、もう一の月が終わります。

「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。
一度生をうけ滅せぬ者のあるべきか。」(幸若舞曲『敦盛』)





バックナンバー

No.77 大晦日(2007年12月31日)− 漠然とした不安と気概と・・・ −
No.76 一周年(2007年11月26日)― 秋冬春夏 ―
No.75 歩くこと(2007年10月31日)― フィールドワーク ―
No.74 プログレ(2007年9月26日)― 『展覧会の絵』から ―
No.73 山とタイムマシーン(2007年8月31日)― 夏の富士山 ―
No.72 絵を飾るということ(2007年7月31日)― 「いま、ここ、わたし」U ―
No.71 夏越祓(2007年6月30日)― 見えない満月を思う ―
No.70 活字と楽器練習(2007年5月27日)― 忙しいのか暇なのか? ―
No.69  「伝統」とは不思議なもの(2007年4月25日)― ルーツ・ミュージック ―
No.68 音楽「世界の旅」ライブ月間(2007年3月30日)― 町田・沖縄・ボリビア・ペルー・アイルランド・ハワイ ―
No.67 腰痛(2007年2月13日)― ・・・に効く音楽でもあれば・・・ ―
No.66 「日本の歌百選」?(2007年1月15日)― お正月 ―

No.65 「BANSHOW-BOH」(2006年12月14日)― 木の空間より ―
No.64 「倫理」(2006年10月29日)― 音楽する暇なし ―
No.63 町田音楽ネットワーク(2006年9月28日)― プチ・カルチャーセンター&アコースティックミュージック・カフェ ―
No.62 恩田川周辺その2(2006年8月15日)― 神様と魚 ―
No.61 恩田川周辺(2006年7月11日)― 梅雨 ―
No.60 同窓会(2006年6月16日)― こっくりさん ―
No.59 熊野(2006年5月12日)― ご当地ソング ―
No.58 ジャンルって言われても(2006年4月5日)― J-POP?ワールド?イージーリスニング?昔はレゲエ ―
No.57 風呂で寝てしまうこと(2006年3月16日)― CSN&Yやデッドやジャズや色々と ―
No.56 今さら恥ずかしい話(2006年2月25日)― 楽器を演奏しながら歌うこと ―
No.55 ボブ ディラン(2006年1月27日)― Like a rolling stone ―
No.54 年の瀬(2005年12月30日)― 懐かしい忘年会や告知や宣伝や ―
No.53 口をすべらせたこと(2005年11月28日)― ドラマー学者 ―
No.52 墓参り(2005年10月13日)― アコジャムとMMN ―
No.51 おくんち(2005年9月9日)― ホノルル・シティ・ライツ ―
No.50 レコーディング(2005年8月20日)― 三味線ユニット ―
No.49 花火(2005年7月19日)― ♪ ド〜ン ♪ ―
No.48 1972年(2005年6月17日)― 雨 ―
No.47 (2005年5月10日)― 気持ちの良くないこと ―
No.46 メディア(2005年4月10日)― ライブドア支持 ―
No.45 口琴(2005年3月20日)― 倍音
No.44 音楽用語(2005年2月20日)― AOR?
No.43 誕生日(2005年1月28日)― ♪Happy Birthday to You♪
No.42 暮れも押し詰まり・・・(2004年12月27日)― ベストアルバム2004 ―
No.41 近況報告(2004年11月23日)― MP3 ―
No.40 地震・台風・テロ・???(2004年10月25日)― Let it be?―
No.39 モータウンとアトランティック(2004年9月20日)― When a man loves a woman ―
No.38 Memento mori(2004年8月18日)― 上を向いて歩こう ―
No.37 雲取山(2004年7月21日)― 獣と野鳥 ―
No.36 選挙へ行こう!(2004年6月24日)― 選挙ソング ―
No.35 南蛮蕎麦(2004年5月25日)― 南蛮音楽 ―
No.34 迷惑?(2004年4月27日)― シェリーに口付け ―
No.33 (2004年3月20日)― 花の水鉄砲 ―
No.32 川沿いの道(2004年2月21日)― Oasis ―
No.31 地震と活断層(2004年1月17日)― 夕焼け小焼け ―
No.30 年末雑感(2003年12月21日)― Knockin' On Heavens Door ―
No.29 デジタル
(2003年11月24日)― ALL YOU NEED IS EARS ―

No.28 BUTOH
(2003年10月27日)―  ゆらぎ ―

No.27 天河弁財天
(2003年9月17日)―  天上の音 ―

No.26 ワールドカップ
(2003年8月19日)―  応援歌 ―

No.25 仕組まれている世の中
(2003年7月7日)― 洋楽 or 邦楽 ―

No.24 ハーモニカ大会
(2003年6月6日)― The Marguerita Suite ―

No.23 「トテナム or トットナム」
(2003年5月11日)― Empire Road ―

No.22 法螺貝
(2003年4月13日)― 三昧法螺声 ―

No.21 「安保反対」
(2003年3月8日)― アカシヤの雨が止む時 ―

No.20 インフルエンザ
(2003年2月8日)― 福永武彦 詩集 ―

No.19 ラフテー(2003年1月11日)― ボレロ ―

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―