時々放談
by ryu-sei
仕事(2008年12月30日) ― 年末大掃除から始まった記憶の連鎖 ― 久しぶりに床のワックス塗り作業をし(万象房では初めてですが)、気力が足りないのと下手くそになってしまったのにがっかりしながらも、斑だらけなのに、妥協してしまいました。学校に勤めていた頃は、年に2〜3回は、あのぐるぐる回る巨大なワックスポリッシャーを駆使して、高校生たちとワックス塗りをやっていた頃が妙に懐かしく感じられました。さらに記憶をさかのぼって、アルバイトに精を出していた頃、もう全然思い出せないのですが、こんな仕事もしてたのだっけ?と、自分がやっていたアルバイトの種類をカウントしている始末。 If the river was whiskey |
民業圧迫(2008年11月17日) ― 実費? ― 事業を始めてもうすぐ2年になろうとしております。5年前までは長らく教育公務員であったこともあり、その頃と比べると、お金の計算をきちんとしないとテナント料も払えなくなるのは大きな生活上の感覚の違いであります。ひときわ大きな違いは、企画を告知するのに、ものすごくお金がかかること。この秋のワークショップや野外講座の告知でもウン十万円の告知費用。各種タウン誌にちょっと気の利いた告知広告記事を掲載するのに、一回ウン万円は当たり前の世界です。
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初めてギターを弾いた頃(2008年10月20日) ― 『剣を捨てろ』 ― 自分が最初に買ったギターが何だったのか?もう思い出せません。あれは十ウン才の頃でありました。ヤマハか?モーリスか?ヤマキか?アリアか?いわゆるフォークギター。もちろん、60年代末〜70年代のフォークとロックの音シャワーを浴びていた頃。 Am C G D |
やはり、その同時代の人が記録したテキストを分析するのが一番。昔のことを調べたり、勉強したりする人にはあたりまえの鉄則ですが。 『新編武蔵風土記稿』という、江戸時代の埼玉県・東京都・横浜市・川崎市エリアの地域公式調査レポートが、だいたいどこの図書館にも置いてあります。調査したのは昌平黌地誌調所の調査員。幕府の役人さん。でも、そのあとに編集された『新編相模国風土記稿』(横浜、川崎以外の神奈川県エリア)と比べると、まだ仕事がちょっと雑。 ここに、1814年〜1815年(文化11年〜12年)の町田の様子も記録されております。万象房のあるかつての森野村(町田市森野)の記録 「土地は黒土砂交などにて畑多く田少し、霖雨(長雨)の時は境川溢て水損の患あり」!「民戸四十七烟」 この夏の終わり、境川はこの通り、テレビニュースになるほど溢れました。普段の水量に騙されてはいけません。200年前の記録を読むべし。そして、お家は47軒。 今や、多摩地区を代表する繁華街の一つになった原町田村(町田市原町田)は 「もと曠原の地ゆへ皆陸田なり、土地は黒土にて専ら糞培の力をたのめり、民間五十八軒、村の中央なる町の内に軒をつらね、土人農隙には男は薪を刈いたし、又は黒川炭を焼く、・・・・」「天神社 例祭も定れることなく、農隙を待て行ふ 宗保院の持」「延命院 本山修験・・・」 肥料のウンコだらけ・・・。そして炭焼きの煙。横浜線に接した町田天満宮も、もとは今のJR駅裏の大きなお寺・宗保院(曹洞宗)のものだったんですね。まだ例祭も決まっていなかった様子。延命院さんという山伏も一人住んでいますねぇ。江戸郊外の台地上の当たり前の農村風景。 Come gather 'round people , Wherever you roam |
久しぶりに夏風邪をひくと、頭脳の機能が停滞し、おまけに7月は珍しくイベントが多く、意外に忙しかったりしたものですから、不思議な会話をすることになり、風邪が治って、後で思い出し笑いをすることがいくつかありました。
夏風邪(2008年7月31日)
― 思考停滞&コミュニケーション不能 ―
例えば・・・・・・、
今、売り出し中の某人気アコースティックデュオが出演して下さったリハの時。所属事務所のマネージャーさんとの会話。
Nさん「今日は現場が近くて良かったです。」、私「えー、お宅はどちらですか?」、Nさん「成瀬なんです。」、私「ありゃ、一緒ですねぇ」、Nさん「オーディオテクニカの裏なんです。」、私「オーディオテクニカなら、家から会下山橋を下ってすぐで、知り合いの音楽仲間もいますよー。」、Nさん「そうですかー、実は私、この業界に入る前、ボーズだったんです。」、私「あら、何宗だったんですかー?(天台宗?真言宗?法相宗?華厳宗?浄土宗?浄土真宗?日蓮宗?臨済宗?曹洞宗?・・・?)」、Nさん「いやいや、そうじゃなくて・・・」、私「(Nさんの髪の毛を見ながら)あっ、最近髪の毛を伸ばされたんですねぇ。」、Nさん「いやいや、そうじゃなくて、スピーカーの」、私「あっ、ボーズだ!」
万象房のギター講師ヒロシさんとの会話。日本音楽著作権協会から送られてきたライブ楽曲の書類を作成すべく、自分の判子を押しまくった日の夜の万象房カルチャー・ギター教室のレッスンの時。
講師のヒロシさんに、訳あって印鑑を押して頂きたかった。ヒロシさん「朱肉ありますかー?」、私「ありますよー。でも、今日は一杯押したから、もう朱肉付けなくたって大丈夫ですよー。」、ヒロシさん「あ、そうですかー。ハー、ハー(自分の印鑑に息を吹きかけている)。」、私「あれっ?、今日、朱肉を一杯付けたのは私の判子なんですけど・・・。」
今年の夏風邪は、熱はそんなに出ないのですが、咳と体調不良が長く残る風邪、人生、気を付けて生きていこうと思った夏の前半でした。
さて、いよいよ夏本番であります。しかし、今のところ、今年の夏は涼しそうな気も。何年か前、あまりの暑さに、6月30日に家族を連れて海水浴に行った記憶がある。こういう時はいつも三浦半島。三浦半島は海水浴でもハイキングでもお気に入りのエリア。なかなか良い場所がたくさんあります。保土ヶ谷バイパスと横浜横須賀道路を飛ばして、メジャーな三浦海岸は尻目に、遊べて泳げる小さなビーチへ。この夏は暑い日に久しぶりに行ってみたい気もいたします。
万象房ライブ縁起(2008年6月30日)
― HOTな夏 ―
ところで、万象房の7月のイベントもHOTな方々揃い。こんなに小さなハコではミュージシャンの方々に十分なギャラをお支払いすることも出来ないので、直接面識のないミュージシャンやご無沙汰しているミュージシャンにこちらからご出演をお願いするのは失礼だろうと遠慮しているわけですが、最近は、万象房の会員の方々や講師の方々が出演話をまとめて下さることも増えてきて、心より感謝する次第であります。
日本を代表するアコースティック・ギタリストのお一人丸山ももたろう氏のライブは浜田さんのおかげですし、某T雑誌の取材を受けたり、某U雑誌の取材をこの先受けることになったのも、小池さんやまいたけさんや中村さんのおかげです。万象房初の外国人アーティスト、いわゆる「外タレ」ですか、ハワイを代表するウクレレ・プレイヤーハーブ・オオタ・ジュニア氏のシークレットライブなどは、言わずと知れたハワイアンミュージシャン&プロデューサーであり旧友の松本ノボル氏のおかげ。
もう万象房のステージ(客席と同じ高さですが)では何らかの形でおなじみのスーマーは松田さんのおかげで知り合えたし(Shimaちゃんは古いミュージシャン仲間)、シンガーソングライター佐土原くんはAtoZ樋口氏のおかげで、ポップなウクレレユニットフロッグスリープはマルコス西岡氏のおかげで、ブルースハーピスト深澤 剛氏はやっぱりハーピストの平松くんや居相さんのおかげで、アイリッシュユニット「すらいごめいと」ののすけ氏はアイリッシュ・ギタリスト藤本さんのおかげで知り合って、・・・・・、皆様のおかげで「縁」が生まれます。これからも皆様に支えられてがんばります。多謝。
ところで、ライブスケジュールはこちらです。
この前、テレビを見ていたら、フランス・トゥールースの路地めぐりの番組をやっていました。スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラへの巡礼道途上の都市の紹介。さすが世界遺産、良い街ですなぁ。
巡礼(2008年5月26日)
― 歩く信仰 ―
そのトゥールースに遊びに来いといつも言って下さる、日本の民俗宗教の研究をしているピエール氏がまたこの春もトゥールースからやって来て、論文を書くのに必要な参考文献探しをお手伝い。でもせっかくだからと、万象房歴史地理ウォーキングの伊勢原市日向エリアの下見にも付き合わせ、一緒に日向エリアの石造物を観察して回りました。細長い日本人とフランス人が2人で庚申供養塔やちょっとエッチな道祖神を前に話し合っているのは怪しく思われるのか、ご通行の皆さんにはかなりじろじろ見られます。
このエリアで目立つのは巡礼(順礼)供養塔の多さ。日本も古くからの巡礼の国であります。ピルグリメージ?pilgrimage?pelerinage?、こちらの発音は悪いけれど、ヨーロッパの巡礼の町から来ているから、話はすぐ通じます。この関東を巡る坂東三十三観音、日本最古の巡礼ルート西国三十三観音、それに秩父三十四観音、合計百観音、プラス(+)最近大人気の四国八十八ヵ所(お遍路さん)、全部合わせて188箇所。江戸時代にこれ全部歩いて回ってきたらしき人々のなんと多いこと。
巡礼者は、今も昔も、日本でもヨーロッパでも、世のため人のため、そしてもちろん自分のために祈りを捧げながらひたすら歩いて来ました。これは充実感を得られる楽しい旅行でもあり苦行であり。サンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼者は帆立貝と十字架、そして賛美歌。日本では笈摺(おいずる)と数珠、そして巡礼歌と般若心経。
また、秋の歴史地理ウォーキングでも「歩く信仰の歴史を歩く」vol.2(→vol.1)を企画したく思います。今度はフランスかスペインに行きたいところですが、さすがに無理なので鎌倉あたりでいかがでしょうか?
先日、昔の同僚であり、音楽仲間だったボンズマンkonko氏が旧友を引き連れて万象房で宴会をしてくれました。かつて、日本やネパールで物理教師&パーカッシャン奏者だった彼も、今は実家である浄土真宗寺院のご住職でありますが、坂本龍一氏を意識しているかのような風貌は相変わらずで、それほど老けた印象もなく、やあやあと楽しい再会になりました。
海外の少し気になるお話(2008年4月9日)
― 観音さんとオリンピック ―
その時集まったもとネパール海外青年協力隊員の某大学教授のお話では、今、海外青年協力隊も定員割れが出てしまうような事態になっているらしく、アジア・アフリカの途上国で働いてみようという若い世代が減ってしまったと話しておりました。これも世界が物騒になったということでしょうか?とても悲しむべき事態だと思います。欧米先進国の文化的価値観や狭い日本の内向きの世間的価値観ばかりが目立ちつつある社会はこの先何かヤバイ気がいたします。
先月、皆様をご案内した神奈川県清川村〜厚木市飯山は、「観音」さんにまつわる仏さまや石造物が多く見られるエリアで、お顔が十一面あったり、手が千本あったりする観音さんは「密教」という仏教の流れが日本で盛んだったからですよ、というようなお話と、「密教」である日本の真言宗や天台宗はチベット仏教とは従兄弟のようなものなんです、という歴史のお話をさせていただきました。(1989年にノーベル平和賞を受賞したチベット亡命政府のダライ・ラマ14世はチベット仏教の中では「観音」さんの化身とされています。)
そのチベットを巡って、オリンピックの聖火リレーは、ヨーロッパで、アメリカで、苦難のロードを強いられているようです。「聖火リレー」や「パフォーマンス色の濃い開会式」「巨大スタジアム」「表彰台」という祝祭的イベントを発明したのは、1936年ベルリンオリンピック時のあのヒトラー率いるナチスドイツであることは良く知られておりますが、それ以来、国家の威信とコマーシャルを兼ねたこのオリンピックという祝祭的メガイベントは、政治と切り離されて実施されることは構造的に難しい訳で、また今回もアスリートの皆さんがそれに翻弄されるという不幸な事態に陥りそうです。
しかし、スポーツと政治は別であっても、オリンピックと政治がくっついている以上、なかなか難しいのが現実。解決するには、国家政府とは切り離してもっとシンプルで簡素なスポーツの大会にするしかありませんなあ?
ウクレレ人気の沸騰ぶりを特に感じる今日この頃。町田万象房の中でも、20代から80代まで、世代と性別を超えて、沢山の皆様がこの可愛らしい楽器を愛し、初心者からベテランまで、楽しく弾き歌って下さっております。その皆様の勢いは群を抜いていると言っても良い状況。
ウクレレ(ギター?)(2008年3月31日)
― ギター(ウクレレ?) ―
これも、万象房がいつもお世話になっているKat's長尾さん、鈴木さん達のパイナップル・シュガー・ハワイアンバンドや、この前ライブをやってくれたアグネス・キムラさんたちの30年以上にわたる不屈のご活動や、やっぱり昔から世話になっているミュージシャン 松本ノボル氏の多方面にわたる多彩な活動など、このムーブメントの下地を作ってきた素晴らしいプロデューサー達がこの日本に存在していたからこそ。つい15年ほど前までは、ウクレレを置いていない楽器屋さんもあったとか。
かくいう私も、ウクレレを使って作曲してレコーディングした楽曲が、わずかですがあったりする訳ですが、しかしです、こう皆さんが真剣にウクレレを弾かれていると、もともとギター弾きの私がウクレレを云々するのもおこがましい様な気もしてきたりする訳でございまして、ここはしばらく、ギタリスト・モードに戻ろうと密かに考えているわけであります。(と言っても、万象房出入りのミュージシャンには、しばらくギター以外弾かないよーと公言しておりますが)
となると、新しいギターなぞも欲しくなるわけですが、次のギターは古谷くん(フルヤギター工房)に作ってもらうと約束した手前、まだ無収入の自分には今すぐカスタムハンドメイドのギターをオーダーすることもはばかられ、でも1年以内にはたぶんローンで頼めるかなあ〜と希望的に考えている今日この頃。
今レッスンが終わった万象房ギター講師の一人 服部準之助氏が名古屋でクルセイダースのライブに行くと言っておりました。うわー、おもいっきり懐かしいしうらやましい。昔何回か来日公演を聴きに行った記憶があります。ボズ・スキャッグスとTOTOも・・・・・!?えーっ・・・・・。現在の20代のミュージシャンが30年前のサウンドに惹かれているのは何なんでしょう?ポップミュージックはたいして進化していないということでしょうか?もうあの70年代〜80年代でほとんど型が出来上がってしまっていたということでしょうか?そうかもしれません。
音との距離(2008年2月29日)
― LIVE & DIRECT ―
あの頃、LPからカセットテープに録音した音楽をウォークマンやカーステレオで一所懸命聴いていたのも事実です。録音するだけで手間がかかるのに。
音楽に対する愛着は今も変わりませんが、電車に乗ってもノーサウンド、車に乗ってもノーサウンド(壊れてる!)が基本の現在の自分。これだけ便利になってデジタルの携帯プレイヤーを持っていないわけではありませんが、外では世の中の音や自然の音を聴いている方が増えました。どういう心境の変化か?
でも生のライブはやっぱり良いものです。LIVE & DIRECTは格別。
今年の2月は雪がけっこう降りました。先日、また山の雪道を歩きに出かけ、アイゼンをつけてザックザックと山道を登り、自然の音に耳を澄ませ、山頂で携帯用のガスとストーブでお湯を沸かしてホカホカの麺を食す。これはたまらない快感。下界はもう雪が融けていて、澄んだ冬の空気に新宿副都心や横浜ランドマークタワーや相模湾や江ノ島が遥かに見渡せるけれど、自分のいる所は積雪の中。このシチュエーションでは音楽を聞く気にならないんですねぇ。鼻歌を歌う気にはなるのですが。これもLIVE & DIRECTな体験です。
15歳=「志学」「立志の年」
ゆめ まぼろし のごとし(2008年1月31日)
― 『敦盛』 ―
20歳=「丁年」「成年」「成人」「弱冠」
30歳=「而立の年」「三旬」
40歳=「不惑」「四旬」「初老」
50歳=「知命の年」「五旬」「艾年」「艾老」「中老」
60歳=「耳順の年」「六旬」「下寿」「耆指」
70歳=「古稀」「七旬」「七秩」「不踰の年」
80歳=「八旬」「八秩」「中寿」
90歳=「九旬」「卒寿」
100歳=「上寿」「大斉」
今年頂いた年賀状には「退職まであと○年・・・。」といった表現がいくつかありました。まるで消化ゲーム?それで良いのかなぁ。
年賀状をもう一生書かないと決めた人も少しずつ増えてきました。かつてヒマラヤで仲間たちの死を見届けたモロちゃんはその年から「暮れのご挨拶」が自分のスタイル。宗教ライターの藤田さんは年末年始に大変なご経験をされたらしく、今後年賀状は欠礼するというご決意の「寒中見舞い」を頂きました。「命」と「死」を身近に感じながら生きようとする姿勢の一つの表現として僕はとても納得できる潔さを感じます。
別にいつ死んでも良いやぁ、が口癖の私ですが、今月は貯金を下ろして5年ぶりに人間ドック入りに挑戦し(too expensive!)、初のCTスキャンにびっくりしながら、やっぱりバリウムに打ちのめされました。
今年は、桶狭間へ出陣する前の織田信長的なノリで行こうと思いながら、もう一の月が終わります。
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり。
一度生をうけ滅せぬ者のあるべきか。」(幸若舞曲『敦盛』)