時々放談
by ryu-sei


大晦日(2007年12月31日)


− 漠然とした不安と気概と・・・ −

 何とこの年の暮れにブットさんが殺されてしまいました。遠くて大きな国パキスタン。やっぱりパキスタンで遭難した、『地球の歩き方』(パキスタン編)の著者だった広島さんがカラコルム山脈(ヒマラヤ西部)に通っていた頃、何度かの解任騒ぎはあったもののイスラム国家初めての女性首相ブットの名が世界に鳴り響いていた時代で、直接対面した時のブットさんの美しさを誇らしげに語っていた広島さんの姿が思い出されました。

当時、本の原稿を授業の合間に書きながら、ポロポロと漏らしてくれるパキスタンの生の情報はとても面白かった。今の学校だったら授業の合間に他所の原稿を書いていたら怒られてしまうんでしょうが、社会科の教師の授業の準備というものは、あんなつまらない教科書や指導書を読み込むようなことよりも、生の情報を集めて整理するという自主的な行為が一番大事なんです。それで他所からギャラを頂いたって結構じゃありませんか。

 以前、高等学校の教師には、自主的な「研修」をかなり自由に取れる雰囲気があって、「有給休暇」とは別に、職場を休んで外で自主的に勉強することができました(研修を取って勉強していない教師も実際はおりましたが)。地理の先生や世界史の先生が海外で遊んだこともなく、あの町あの山あの川あの遺蹟の空気をまったく体験していないのではお話にならない。「勉強」しない教師と「遊び」を知らない教師ほど困ったものはない。

 ブットさん暗殺のニュースを見聞きし、様変わりしてしまった昔の職場の噂を聞き、あの頃紅顔の高校生だったおじさん・おばさんの諸君に再会し、セルフサービスのスタンドで「高いなあ〜」とつぶやきながらレギュラーガソリン20リッターだけを給油している2007年の年末。一体この世界はどうなってしまうんだろうというそこはかとなく忍び寄る漠然とした不安と、万象房がんばろうという気概をたいせつに新年を迎えます。


一周年(2007年11月26日)


― 秋冬春夏 

 「春夏秋冬」と書くべきところですが「秋冬春夏」。お蔭様で、この秋を持ちまして万象房も一周年となりました。正確に言うと、2006年11月12日に居相講師にやって頂いたブルースハープ体験レッスンでまずカルチャー教室としてオープンしたのでした。そんな大事なことに気付いた時はもう今年も11/20を過ぎていたので僕はその事については実は仕方なく黙っていたのでした・・・・・。最初にレッスンが始まったのは菅沼講師のケーナ・サンポーニャ教室で、最初の生徒さんは横浜市戸塚区からもう一年間通って下さっています。ありがとうございます。

カフェスペースで飲食店機能もスタートさせたのは、12月7日。大好きなsachiko&佐藤克彦のデュオと斎藤ヒロシのカップリングライブ。そして今回一年後の12月7日、一周年記念ライブを行います。テーマは「万象房の備品」、詳細は別途告知しております。

 この11月は、外部の仕事を受けていたり、遠くまで出張していたりと万象房を閉めていた日が多く、このままでは家賃の支払いに支障をきたすので、月末にイベントを集中させました。この3日間も、丹沢に登って、翌朝オアフ島行って、夕方からダブリン、次の日はまたハワイ島に出かけて夜町田に帰ったといった感じ?(11/23登山教室、11/24昼ウクレレ教室、夜アイリッシュLIVE、11/25夕ハワイアンLIVE)の万象房でした。

ところで、一年を振り返るのに大好きな楽曲はやっぱり「ひととせ節」か泉谷しげるの「春夏秋冬」です。

♪ 今日ですべてが終わるさ
今日ですべてが変わる
今日ですべてがむくわれる
今日ですべてが始まるさ ♪


歩くこと(2007年10月31日)


― フィールドワーク 

 フィールドワークの大事さと面白さと素晴らしさに気付いたのは1991年のこと。その年、赴任した神奈川県立相模台工業高校(台工)の社会科の野外授業「社会科巡検」。僕が教師をしていた22年間の中で出会った最高の経験。30年以上の伝統の中で積み上げられた人脈ネットワークとノウハウと蓄積された知の情報。

男臭く荒っぽい工業高校の世界の中で気付きました。教室や机上の勉強では伝えられない生きた多角的な情報が実際に歩くことで伝えられること。おそらく神奈川県内で実践されていた授業の中でもっともクオリティの高いものだったのは確か(それに気付いていた教育関係者がどれだけ居たかは別にして)。

クオリティは個人の力だけでは成立しません。経験の蓄積とチームの力は不可欠なもの。そういう伝統を次々に消していってしまうのは不幸です。(相模のオールブラックス台工ラグビー部の雄姿をまた見たい)

 よく考えると、壮大な実践で、3クラスを受け持っていれば3日間職場を空けて毎日40名のやんちゃな集団を連れて歩く。当時でもこれを実践すること自体が難しい状況もありましたが、危険を冒しながらも、「歩いて・見て・感じて・楽しんで・説明を聞いて」初めて物事が見えてくる。

一緒に赴任した堀さんには、なんでそんなに食い付きが良いの?といつも言われましたが、当時、台工社会科のーダー格だった広島さん(神奈川ヒマラヤ登山隊長、1997年スキルブルム峰で遭難)の没後、もろもろの後始末を一緒にした堀さんは実は良く分かっていた戦友のような感覚(堀さん健在です)。

 万象房の野外講座重視路線はその理念の延長線上にあります。今は大人が「歩いて・見て・感じて・楽しんで・説明を聞いて」世の中を見直し未来を見つめる時代。この秋は、厚木市七沢でキノコ藤沢市江ノ島で歴史のお話秦野市戸川で森の植物丹沢塔ノ岳で登山。皆様もぜひ。


プログレ(2007年9月26日)


― 『展覧会の絵』から 

 ムソグルスキーの『展覧会の絵』を始めて聞いたのは、オーケストラの演奏ではなくELPのアルバム。高校の教室にたまたま持ってきていたクラスメートからLPアルバムを借りて聞いた。『展覧会の絵』を演奏している映像を始めて見たのもELP。NHKの番組「ヤング・ミュージック・ショー」。その後、オーケストラが演奏する『展覧会の絵』を初めて見た時、ピンとこなかった。楽器にナイフを刺してもらわないと・・・。(キース・エマーソンというキーボード奏者は鍵盤にナイフを刺すというパフォーマンスをしていました)

先日、知り合いの若手ミュージシャンが、プログレって何?という感じだったので、蛇足ながら一応解説をつけて置くと、ELPはエマーソン・レイク&パーマー。プログレッシブ・ロックのトリオ・バンド。

 自分が音楽を始めた70年代に、絶大なる影響力を持っていたプログレ。自分自身も、ピンクフロイドやキャメルやジェネシスやウィッシュボーン・アッシュ(プログレとは言われないけれど)の、やたら長大で、空間的で、哲学的で、イギリス臭くて、歌の少ない楽曲を演奏する学生バンドのメンバーで、長い髪を肩まで垂らし、ベルボトムのジーンズと黒い別珍(ビロード)のジャケットを着て歌を歌っていたくらい。

 さて、今やプログレとはもう接点がほとんど無くなったかなぁと思いきや、いやいや、万象房のライブ出演ミュージシャンにはプログレ経験者がけっこういらっしゃることが判明。まずはアイリッシュ・ミュージシャンにたくさんいらっしゃる。何しろイエス(『こわれもの』『危機』のYESです)日本公演のお話で盛り上がる。先日のフラメンコでのライブでも、楽屋での会話にELPやらフランク・ザッパが登場!

ミュージシャンの皆さんの、ルーツ&ワールドミュージックにたどり着く経緯が何パターンもあって、その中にプログレが確固たる位置を占めている方が自分以外にも沢山存在することにとても嬉しくなってしまった、まだまだ暑い9月でありました。


山とタイムマシーン(2007年8月31日)


― 夏の富士山 

 平安時代、富士山の神様は「かぐや姫」でありました。その後、中世の古い時代(鎌倉時代〜南北朝時代の頃)、まだ一般の人々が富士山に登っていなかった頃、現在の静岡県富士宮市村山の山伏(修験者)たちは山頂に至るまでを「八層」と八分割して山頂に登り、さらに火口を取り囲む峰々を「八葉の峰」と見なして「お鉢周り」の修行をしていたのでした。それは富士山の山頂に「胎蔵界マンダラ」の絵を当てはめていたということなのです。

現在は女神の名前も、八分割も十分割「十合」に変わっていますが、そんな大昔のことを考えながら、富士山頂の剣ヶ峰、白山岳(釈迦岳)、久須志岳(薬師岳)、朝日岳(大日岳)、伊豆岳(阿弥陀岳)、成就岳(勢至岳)、浅間岳(駒岳)、三島岳(文珠岳)を、おーこれは今でも「八葉の峰」だと喜びつつ真夏の冷たい風の中を下界を眺めながらタイムトリップ気分で歩く。自分の山歩きの楽しみはどこに行っても実はこれです。

 そんなタイムトリップ的な登山を寺社縁起史料とにらめっこしながら何年か続けたおかげで、この度、日本山岳修験学会(会長:宮家準慶応大学名誉教授)の学術誌に論文を掲載して頂きました。一応、文部科学省所轄の日本学術会議に加入している学術団体の機関誌なので素直に嬉しい。しかし、大学の先生方や博物館の学芸員の皆様に混じった中で自分の肩書きが無くて問題が・・・・・。どこの研究機関にも教育機関にも所属していない自分はこういう時に困る。いっそ「万象房 代表」?いやー、無理です。文部科学省所轄の教育研究機関じゃないし、インディーズですから。

 普通の研究者ならば、まず論文を出して、一般向けの本は後という暗黙の了解があるのですが、自分の場合は書いた順番はそうでも世に出るのは逆。これも、そろそろ仕事を始めなければ生活が・・・と、起業するためにのんびりやっていられなかったからしょうがない。これからも、仕事が軌道に乗るまでは、じっくり研究というわけにもいきませんが、調べたいことがまた次々に出てきた暑い暑い夏でありました。


絵を飾るということ(2007年7月31日)


― 「いま、ここ、わたし」U 

 なにぶん貧乏性なもので、今まで、本格的な絵画や版画を室内に飾ったことはありませんでした。あるとすれば、昔、まだ外貨兌換券と非兌換券の2種類の「元」が通用していた不思議な時代の北京の路上で買った水墨画家の絵。その場で描いて即売しておりました。あとは、仏画を描く職場の先輩が描いてくださった大日如来。でもこれは下敷きをなぞって描いているらしい。それとお決まりの子供の描いた絵。学校の図工や美術の時間に描いて終業式の頃に持って帰ってくるあの作品群。

たいてい飾るとすれば、ポスターの類、絵画や写真を印刷したもの。カレンダー。そしてLPレコードジャケット。

 ところが、今回、河上画伯のご好意で初めて絵を飾ることになりました。自宅ではなく万象房ですが、72.8cm×103cmの油彩画。作品「いま、ここ、わたし」U(2005年)。油彩画ならではの立体感。迫力も違う。グループ展で、この絵が好きですねぇと申し上げてから、実は昨年リリースしたCDアルバムジャケットにも写真を使わせて頂き、今回はほんものの原画です。狭いけれど、贅沢な空間になりました。

森羅万象が織り成す関係性の網の中の存在。この絵も、自分も、あなたも、万象房も。その存在が、何かを語り、何かを表現し、新しい関係性を築き、新しい世界が生まれる。・・・・・話が大袈裟だ。まあ、だから音楽しましょう!歩きましょう!


夏越祓(2007年6月30日)


― 見えない満月を思う 

 2007年も半年が過ぎ、本日は満月、夏越祓(なごしのはらえ)。夏の大祓。あいにくの天気でお月様は見られず、年末の大祓のようにツミケガレを落とすべく大掃除をしようとも思いましたが、昨夜訪ねて来てくれた旧友たちのおかげと突然その場で頼んでやってもらった服部準之助ミニライブの心地よさ(ありがとう)で二日酔い気味、気合が入りませぬ。せめて心の中でこの半年を反省し本格的な夏を迎えたい所存。

 最近はLIVEカフェ(Bar?)BANSHOW-BOHの噂が皆様にも届き始めたようで、素晴らしいミュージシャンが直接訪ねて来て下さったり、連絡を下さることが急に増えてまいりました。おかげさまで夏のライブスケジュールは「日本でも屈指の・・・」という形容詞がつくような方々が名を連ね、ありがたい限りであります。

 8月は、中旬に万象房カルチャーが休講になることもあって、夏季休業を設定し上旬と下旬にライブを詰めて、回数自体も少なめだけれどしょうがないか(一応レッスンや講座が優先)と思っていたのですが、蓋を開ければ他の月よりも多くなってしまいました。

そうすると、厨房スタッフの不足が不安材料。いつも手伝ってもらっているSHOW様は本業の芝居の公演を控えているのでそちらの方に専念してもらいたいし、さて、どなたかボランティアスタッフを頼みたいところだが、ここの厨房が狭くておいそれとは頼みづらい。何しろ鈴木住装の鈴木氏は僕の体型を見ながら内装工事をやっていたので、さてさて。

 などなど、万象房に「月と波のカレンダー」を貼っているので眺めていると、「月」をネタに文章を書きたくなったり、「月」をテーマにライブを組んでみたくなったりという6月でありました。

♪水無月の夏越の祓する人は千年の命延ぶといふなり♪
(詠み人知らず 『拾遺和歌集』11世紀初)



活字と楽器練習(2007年5月27日)


― 忙しいのか暇なのか? 

 新しく仕事を始めて、なかなか外へ出かけることが出来なくなりました。音楽仲間からライブやイベントのお誘いをもらっても、もちろん行けるわけはないし、毎週1回は行っていた山へも当分行けません。しかし、ライブやイベントの日以外は時間がないというわけでもなく、かといって、カルチャー&カフェとしての電話番・受付・店員は絶対必要なので、やっぱり遠出は出来ないのです。

そこで、時間がある時にすることは、読まなくてはならない活字を読むことであります。フィールドワークガイドを肩書きにし、文章も書く自分にとって、必ずフォローしなくてはならない論文や本が次々に出てくるので、それを読む。

 現在、日本の中世の歴史の見方は大きく様変わりしていて、今まで僕たちが学校で教わっていたことが実はずいぶんピントがずれていたことがわかってきています。特に宗教史の分野はまったく変わってしまいました。だからちょっと有名な先生の論文や本の内容でも今は役に立たないことも多い。名所・旧跡・寺社によくある案内板的な解説もかなり怪しいし、ガイドブックの類も歴史のことについてはもちろん怪しいものが多い。WEB上の情報も、現在進行形の情報ならともかく、過去のことになるとWikipediaを含めて怪しい情報満載。

そうすると、きちんとした手続きと方法論にのっとって叙述された新しい文章、つまり学術論文にしっかりと目を通さないといけないわけで、今の仕事をはじめて、そんな時間ないだろうと思っていたら、幸いにして?不幸にして?まだまだ活字に目を通す時間があります。

最近、面白いなあと思った論文は「地方稲荷社における信仰圏と地域性、多様性について−神奈川県秦野市白笹稲荷を中心に−」(神奈川大学大学院の井山裕文さん)と「伝説の管理―近世期における相模の日本武尊伝説」(国学院大学の入江英弥先生)。江戸時代、小さなお社が立派な神社に成長していく過程や、もともと関東にはあんまり縁がなかった古事記・日本書紀の神話がどのように地域の伝説として広められていったかを示唆してくれる、ためになる論文です。

 あとは、楽器の練習をもっとしなければと急に思い始めました。以前はなんだかんだと毎日2時間以上は楽器を触っていたような気がするのに、今は、PAだって目の前にあるのに、楽器を弾く時間が少なくなっていることに愕然としている。それは楽器を弾いていて指がもつれることで気付いたわけです。やっぱり、あたりまえですが、何事も日々の練習とトレーニング。音楽スクールをやっているのに、この体たらくは何だ!(僕は音楽講師じゃありませんが)と思っている今日この頃。


「伝統」とは不思議なもの(2007年4月25日)


― ルーツ・ミュージック 

 「ルーツ」という言葉は、もちろん「roots」であり、英語であります。ですから、「ルーツ・ミュージック」は、一般的には、ロックやポップスの「根っこ」になったアメリカン・ミュージックを指すことが多いように思います。例えば、ブルースやカントリーやブルーグラスやゴスペルがそれなんでしょう。でも、「根っこ」をたどり始めると際限なく過去へとさかのぼり、アメリカン・ミュージックだけでも、アフリカはもちろん、アイルランド、スコットランド、イングランド・・・・・と根っこの深さは計り知れない。

これは「伝統」という言葉も同じで、みなさん、どこかで過去へ遡ることをあきらめて自分にとって心地よい時代を「ルーツ」や「伝統」と見なしているんじゃないでしょうか。ことは音楽に限らず、衣食住や信仰・宗教といった、生活に密接な文化でも同じ事で、今の日本人が「日本の伝統」だから大切にしようと言っていることも、実はせいぜい戦後に生まれた伝統だったり、明治時代以降に生まれた伝統だったり、たいして歴史のないことがとても多い。特に多くの政治家が言っている「日本の伝統」はそのレベルでありましょう。

しかしです。貴族や上流階級の音楽ではなく、大衆音楽というものがマス・メディアの登場とともに世界各地で音楽の歴史の前面に踊り出始めた19世紀〜20世紀のルーツ・ミュージックは、やっぱり現代人の「根っこ」としてタイムマシーンを停めておきたい所であります。

さて、ところで、日本のルーツ・ミュージックというのが、なんとも、現代のポップミュージック(大衆音楽)との連続性を描きづらいわけです。でも、三味線を使った音楽はやっぱり日本のルーツ・ミュージックの一つの重要な形だろうし、外国の人に「なんだよ、ミュージシャンのくせに日本の楽器も弾けないのか?」的なニュアンスで話をされたことのある僕としては、三味線を使うミュージシャンをcafe BANSHOW-BOHのライブミュージシャンとして公募しているわけでもあります。

 ただ、「文化」というものは、外から見たほうが客観的にその良さや癖みたいなものが見えることも多く、世界中の文化が入ってくる日本では、異文化の素晴らしさに気付いて、そのルーツの地でも尊敬を受ける活動をされる方もいたりするのが面白いところです。万象房でおなじみの、フォルクローレ・ミュージシャンの菅沼さん(もと「グルーポ・カンタティ」のケーナ・サンポーニャ奏者)もそんな一人であります。ボリビアで活動していた「グルーポ・カンタティ」はなんとボリビアでヒット曲があったり、ベスト盤CDがリリースされています。まさにルーツ・ミュージックの達人であります。というわけで以下告知です。入場無料です。お気軽にお出かけ下さい。

第6回 菅沼ユタカ フォルクローレ教室合同発表会
5月13日(日)
12:00開場 12:30開演
@ 町田ひなた村カリヨンホール


【出演】
町田月曜ケーナ教室・町田水曜ケーナ教室・
新大久保木曜ケーナ・サンポーニャ教室・
町田個人レッスン・グループレッスン、
万象房個人レッスン
読売文化センター横浜ケーナ教室・サンポーニャ教室
読売文化センター川崎ケーナ教室
『ブランカ・ロサ』、『グルーポ・イリャンプー』
『ロス・ペラードス』、『マドレシータス』
『グルーポ・エンクエントロ・レアル』
『ケーナ ワイラ デ 砂町』、『下町ケーナ同好会』、
マルカマヤ、他


音楽「世界の旅」ライブ月間(2007年3月30日)


― 町田・沖縄・ボリビア・ペルー・アイルランド・ハワイ 

 3月9日「三味線の日」ライブにはじまったBANSHOW-BOH音楽「世界の旅」シリーズ、次回4月1日のハワイアン「松本ノボル(スラッキーギター)with伊藤ちか子(アコーディオン)」でひとまずひとめぐり。

万象房の4月はカルチャー・スクール部門の新学期ということもあってワークショップと野外講座を中心にスケジュールを組んでいます。なにしろこういう告知には莫大な費用がかかるので、春と秋にワークショップと野外講座を集中して広告もこの時期限定で出します。しかし、それでもなかなか申し込みが増えないのはかなり痛い。当分税金を払うような身分にはなれそうもないです。そのような訳で、本格的なライブは5月からまた始めます。

 「三味線の日」は自分が演奏していたので、客観的に振り返られないところがありますが、さすがに島唄と三線に本格的に取り組んでいる田中栄領さんたちは「琉球の風」をしっかりと伝えてくれました。あの日、泡盛を仕入れ忘れていたのが痛恨のミス。

「フォルクローレLIVE」は、菅沼教室の生徒さんたちのユニット演奏のレベルの高さにちょっとびっくりし、もちろんチャランゴ奏者キルキンタローさんをゲストに迎えたミストラルの「次何やる〜?」と相談しながらセッション的に展開するライブ(アメリカ風に言えばBarライブ?ヨーロッパ風に言えばPubライブ?日本風に言えば居酒屋ライブ?沖縄&津軽風に言えば民謡酒場ライブ?)がこれまた盛り上がって良かった。おそらくお客様で一番多い年代層は50代〜60代だったのではないでしょうか。ボリビアのブドウのスピリッツ「シンガニー」(40度)おいしいです。まだあります。おそらく町田で今飲めるのは万象房と菅沼家だけ。

「アイリッシュミュージックの世界」は、ついに!念願の!という企画でした。これがまたアイリッシュパブの「次何やる〜?」の世界で、次々と出てくる楽器がまた面白くって、僕は嬉しくってカウンターの中で踊っておりました。この企画は7月にまたやります。アイリッシュウイスキー「ブッシュミルズ モルト10年」まだあります。でもギネスは置きません。ここは丹沢山麓ですから丹沢の地ビール「さがみビール」を飲みましょう。

 万象房とは関係ありませんが、フランスの大学で日本の山岳宗教の研究をしている武道家のピエールさんが、また資料探しを手伝ってくれという連絡があったので、月曜日に一緒に国会図書館と神田神保町に文献漁りに行って、久しぶりに色々と話をしたのですが、日本の大学で教鞭を取っている奥様(お琴と書道の師範でもいらっしゃるフランス人)ともども、日本文化に大きな価値を見出しているわけで、シラク大統領の相撲好きと合わせて考えても、フランスの文化人は印象派の時代から日本文化の良き理解者だったのだなあ、それに比べて自分たち日本人は・・・という感慨を会う度に持つのでした。

 「世界の旅」の間隙を縫って女子大生の卒業ライブにも万象房を提供いたしました。音大生の企画だけれど、クラシック音楽というわけではなく、4年間、施設や老人ホームで音楽ボランティア演奏を続けてきた彼女たちは心に届く「歌」を大切に演奏していました。友人たちや大学の先生やご家族に見守られ、次のステップに踏み出そうとする姿勢がとても可愛らしくさわやかでありました。(なぜか僕も三線で演奏に参加)

さて、4月のワークショップと野外講座、どれもリーズナブルで内容も充実しています。ぜひぜひ。お申込みお待ちしております。(けっこう必死です)


腰痛(2007年2月13日)


― ・・・に効く音楽でもあれば・・・ 

 腰痛持ちの自分にとって、なぜだか一番つらい季節です。毎年、2月〜3月初旬あたりに腰がおかしくなる確立が高い。この冬は、スキー場にも滑りに行っていないし、山にも登りに行っていないので、体力的に無理をしているとは思えないのですが(だいたいもうそんなことができるほど贅沢な環境に無い)・・・。

 あるわけないが、腰痛に効く音楽とかあったら良いですなあ。聞いてるだけで治っちゃうような。万象房ではウクレレ・レッスンの日やリボンレイ作り講習の日にはしっかりハワイアンを流してますし、ケーナ・サンポーニャ・レッスンの日にはフォルクローレを中心にラテンものを流していたりとその日のテーマに沿って日替わりです。おまけに壁面のタペストリーも海だったり山だったりと、雰囲気は極上の空間なのですが、腰に良い効果があるわけではない。当たり前です。

 一昨日はあまりに辛いので、15:30から17:30の間の休憩時間に横になろうと思っていたら、ニューヨークから一時的に帰国していた昔の音楽仲間が、「楽器を習いたいんですけど〜?」などととぼけたことを言いながら入ってきて、びっくりしてまた腰に刺激が走りました。彼は日本政府の招待(しかもこんな講演)で来日してきたから、エコノミーではない快適なシートの空の旅だったわけで・・・。きっと腰の状態に問題はなく・・・。しかし、とりあえず二人で乾杯して軽くセッションして、じゃあまた、って次は何年後でしょう?

しかし、もう何年もご無沙汰していた友人が訪ねて来てくれるのはとてもうれしいものです。年末の忘年会では、シンガポールに住んでいるやっぱり30年前の音楽仲間が、正月の帰省ついでに千葉県の実家ではなく万象房に突然やって来てくれました。

びっくりしたと言えば、自分の学術研究の方ですごく影響を受けた歴史地理学・宗教地理学の権威でいらっしゃるN先生の娘さんがご夫婦でランチを食べにいらした時もびっくり仰天。しかも九州の先生のお宅に出した年賀状を持って「実家にこんなものが来ていたもので・・・」とは。おまけに僕と共通の知り合いがたくさんいるかつての同業者でありました。本までお買い上げいただきました。(実は、万象房講師のCD・書籍を中心にここでもご購入可能です。=>紹介ページ

こういう出会いや再会もこの仕事の大きな楽しみなんですね。


「日本の歌百選」?(2007年1月15日)


― お正月 

 「親から子、子から孫へ〜親子で歌いつごう 日本の歌百選」というのが昨日発表されたらしいです。「お正月」も入っているし、どれも確かに素晴らしい歌ばかりなんですが、これは文化庁という行政のやるべき仕事なんだろうかと不思議にも思います。行政が文化の模範的価値基準を決めているみたいで、「なんで?」と思ってしまうのは私だけでしょうか。

まあ「〜百選」とか「〜百名山」というものは皆さんに受け入れられやすいものなので、こういう企画を考えたくなるのはわかりますが、「わたしの旅100選」とか「お雑煮100選」とか、文化庁が決めてしまっているのがとても不思議です。

お雑煮なんて、自分の家のお雑煮が一番。日本中のお雑煮を比べてみたいのはもっともですが、「100選」なんていう言葉を国家が使うべきではないような気がします。選外のお雑煮文化を伝えてきた地域にとっては気分が悪いでしょう。他の芸術文化でも同じことだと思います。行政はコンテンツの選別をするよりも文化の流れの仕組みを作ることにもっと専念してもらいたいですねえ。

 私の家のお雑煮は、鳥とこんぶのダシに酒・塩・しょうゆ、具は餅の他にニンジンと鳥肉としいたけと青物とゆず。子供の頃から食べてきたこれが一番。1月は時々万象房でもお出ししています。

もういくつねると お正月
お正月には 凧
(たこ)あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月




バックナンバー

No.65 「BANSHOW-BOH」(2006年12月14日)― 木の空間より ―
No.64 「倫理」(2006年10月29日)― 音楽する暇なし ―
No.63 町田音楽ネットワーク(2006年9月28日)― プチ・カルチャーセンター&アコースティックミュージック・カフェ ―
No.62 恩田川周辺その2(2006年8月15日)― 神様と魚 ―
No.61 恩田川周辺(2006年7月11日)― 梅雨 ―
No.60 同窓会(2006年6月16日)― こっくりさん ―
No.59 熊野(2006年5月12日)― ご当地ソング ―
No.58 ジャンルって言われても(2006年4月5日)― J-POP?ワールド?イージーリスニング?昔はレゲエ ―
No.57 風呂で寝てしまうこと(2006年3月16日)― CSN&Yやデッドやジャズや色々と ―
No.56 今さら恥ずかしい話(2006年2月25日)― 楽器を演奏しながら歌うこと ―
No.55 ボブ ディラン(2006年1月27日)― Like a rolling stone ―
No.54 年の瀬(2005年12月30日)― 懐かしい忘年会や告知や宣伝や ―
No.53 口をすべらせたこと(2005年11月28日)― ドラマー学者 ―
No.52 墓参り(2005年10月13日)― アコジャムとMMN ―
No.51 おくんち(2005年9月9日)― ホノルル・シティ・ライツ ―
No.50 レコーディング(2005年8月20日)― 三味線ユニット ―
No.49 花火(2005年7月19日)― ♪ ド〜ン ♪ ―
No.48 1972年(2005年6月17日)― 雨 ―
No.47 (2005年5月10日)― 気持ちの良くないこと ―
No.46 メディア(2005年4月10日)― ライブドア支持 ―
No.45 口琴(2005年3月20日)― 倍音
No.44 音楽用語(2005年2月20日)― AOR?
No.43 誕生日(2005年1月28日)― ♪Happy Birthday to You♪
No.42 暮れも押し詰まり・・・(2004年12月27日)― ベストアルバム2004 ―
No.41 近況報告(2004年11月23日)― MP3 ―
No.40 地震・台風・テロ・???(2004年10月25日)― Let it be?―
No.39 モータウンとアトランティック(2004年9月20日)― When a man loves a woman ―
No.38 Memento mori(2004年8月18日)― 上を向いて歩こう ―
No.37 雲取山(2004年7月21日)― 獣と野鳥 ―
No.36 選挙へ行こう!(2004年6月24日)― 選挙ソング ―
No.35 南蛮蕎麦(2004年5月25日)― 南蛮音楽 ―
No.34 迷惑?(2004年4月27日)― シェリーに口付け ―
No.33 (2004年3月20日)― 花の水鉄砲 ―
No.32 川沿いの道(2004年2月21日)― Oasis ―
No.31 地震と活断層(2004年1月17日)― 夕焼け小焼け ―
No.30 年末雑感(2003年12月21日)― Knockin' On Heavens Door ―
No.29 デジタル
(2003年11月24日)― ALL YOU NEED IS EARS ―

No.28 BUTOH
(2003年10月27日)―  ゆらぎ ―

No.27 天河弁財天
(2003年9月17日)―  天上の音 ―

No.26 ワールドカップ
(2003年8月19日)―  応援歌 ―

No.25 仕組まれている世の中
(2003年7月7日)― 洋楽 or 邦楽 ―

No.24 ハーモニカ大会
(2003年6月6日)― The Marguerita Suite ―

No.23 「トテナム or トットナム」
(2003年5月11日)― Empire Road ―

No.22 法螺貝
(2003年4月13日)― 三昧法螺声 ―

No.21 「安保反対」
(2003年3月8日)― アカシヤの雨が止む時 ―

No.20 インフルエンザ
(2003年2月8日)― 福永武彦 詩集 ―

No.19 ラフテー(2003年1月11日)― ボレロ ―

No.18 年末年始(2002年12月21日)― NEW YEAR'S DAY ―
No.17 明治9年の歌(2002年11月9日)― Grandfather's Clock ―

No.16 拉致事件(2002年10月6日)― 統一の歌 ―

No.15 遺体発見(2002年8月20日)― レクイエム カラコルムに逝ったあなたへ 

No.14 大型CD店(2002年7月20日)― チューブラーベルズ ―

No.13 ワールドカップ(2002年6月16日)― 応援歌 ―

No.12 青年海外協力隊(2002年5月6日)― ボンズマン ―

No.11 卒 業(2002年3月23日)― 卒業写真 ―

No.10 冬の海(2002年2月21日)― 波 音 ―

No.9 CNNニュースページ(日本語版)の休止(2002年1月6日)― 琵琶法師 ―

No.8 南の島のクリスマス(2001年12月24日)― 島 唄 ―
No.7 同僚の死(2001年12月16日)― イーリアンパイプ ―

No.6 追悼 ジョージ・ハリソン(2001年12月2日)― Here Come The Sun ―

No.5 アイルランド(2001年11月24日)― アイルランドに平和を ―

No.4 ボブ・マーレーだったら(2001年10月31日)― No Woman No Cry ―

No.3 歌と戦争(2001年10月9日)― 花 ―
No.2 パキスタン(2001年9月29日)― カッワーリ ―
No.1 2001年9月11日、テロだ!(2001年9月12日)― バビロンの河 ―