中世の丹沢山地 史料集 index

     奥書

 『天文十五年 神分諸次第』(天文15年 1546年)
(八菅神社 蔵)

「抑慙愧懺悔六根罪障庭御祈祷
成就砌ハ喰受法味為功徳ヲ證明
上天下界之神祇冥衆定降
臨影向シ給ラン 金打
然即上ニハ梵天帝釈四大天王奉始

日月五星諸宿曜等下ニハ堅牢地
神閻魔王界冥官冥道泰山
府君司命司録倶生神御本命
元辰下界ノ龍神等別シテハ伊勢天
照大神熊野三所大権現関東

守護伊豆箱根両所権現三嶋ノ
大明神若宮八幡大菩薩六所之
大明神等大山不動明王富士浅間
大菩薩殊者当峯守護七所
権現王子眷属山王廿一社十二

所権現金剛童子役優婆塞満
山之護法天童忽シテ日本国中之
有勢無勢之権実二類ノ大小之
神祇当年行疫流行神等ニ至マテ
併ナカラ法楽荘厳威光増益之為御ニ

一切神分ニ般若心経 金打 心経一巻打
大般若経名 金打
・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、諸仏・諸権現への宝号・真言等が続く)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

札之裏書嶽々天童ノ次第ヲ知事
一   白山権現
 大黒天神     二番 幣山天童 ダキニ天岩至(※ダキニは漢字一文字)
三番 屋形山天童
 地蔵      四番 平山 七所権現 無量上人
五番 瀧
 飛瀧権現 不動明王    六番 宝珠嶽天童 薬師仏也
七番 山神天童
 十一面観音    八番 経カ嶽天童 釈迦也
九番 花厳山
 熊野権現 千手千顔  十番(脇に前の番号九、以下同じ)寺宿 七所権現 不動明王
十一番 仏生谷天童
 大日     十二  腰宿 七所権現 不動明王
十三番 不動岩屋天童       十四番 五大尊天童
十五番 兒子墓天
 大日如来    十六番 金剛童子 秘密
十七番 釈迦嶽天童        十八番 阿弥陀嶽天童

十九番 妙法嶽天童        廿    大日嶽天童
廿一  不動嶽天童         廿二  聖天嶽天童
廿三  涅槃嶽天童         廿四  金色嶽天童
 弁才天女
廿五  十一面嶽天童       廿六  千手嶽天童
廿七  空鉢天童尾高       廿八  明星嶽天童
 虚空蔵

廿九番  本宮石尊権現八大徳一権現
卅番    大山寺不動明(「王」脱)   白山権現
 九所ロイ
三十七尊十三大会両部本有之九会曼陀羅也
清浄霊跡ト伝峯入山伏即身即佛スル也
諸佛諸尊住所釈迦霊山浄土上品上生ト云々

・・・・・・・・・・・・後略・・・・・・・・・・・・・・・
(以下、入峰儀礼の記述が続く)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

(2018/4/5 追記)

 『愛川町古文書目録1』(愛川町教育委員会 2000)では十五番の「兒子墓天童」が「兒子墓天」となっていたので修正しました。原本が「兒子墓天童」となっているのは直接確認済みです。愛川町郷土資料館 山口さんにもお伝えいたしました。


 この史料は八菅修験に現存する最古の勤行次第書です。全文は『愛川町古文書目録1』(愛川町教育委員会 2000)に翻刻されています。インドの神々、中国の神々、日本の神々、流行神に至るまであらゆる神々を法楽し奉り、カーンと金を打ち、経を誦し宝号・真言を唱えることから勤行が始まります。中世の神仏習合の姿がここに記されています。

 峰入りの三十行所や七所権現が表れるのもこの史料が初めてです。特にこの七所権現は、「殊者当峯守護七所権現」と記されていて、一山組織 光勝寺の鎮守として重要な神格であったことがわかります。この史料の発見によって、従来は近世の初め頃に成立したと考えられていた「七社権現」の信仰が中世期に遡ることが明らかになりました。

七所権現とは熊野・箱根・蔵王・八幡・山王・白山・伊豆です。この七所権現は江戸時代になると周辺五ヶ村の総鎮守「七社権現社」という機能も持つことになります。つまり、中世的な一山組織「光勝寺」の中の鎮守「七所権現」が格上げされ、周辺の里人の信仰を集める「七社権現社」とその別当寺「光勝寺」という近世的な関係へと変化したのです。

(2006/5/28 城川隆生)
【参考】「七所権現と五所権現
※ 拙稿「丹沢山麓の中世の修験とその関連史料」『郷土神奈川』第47号
(神奈川県立図書館、2009年)