町田音楽ネットワーク
今月の音楽人
37 2004年8月号)

何も存在していない所に人の心を動かす「モノ」を創り出す。
その「モノ」には誰も触る事ができないし終わればその存在は消えてしまう。
そんな「モノ」をこの地域で創り出してきた人々を紹介していきたい。


―  町田琉 会長 加藤 信弥 さん 

 9月中旬の土日、町田駅周辺の商店街に琉球の風が毎年吹く。沖縄はもちろんのこと全国から集った十数組のエイサー隊が、太鼓を響かせ三線と唄のリズムに合わせて勇壮な掛け声とともに踊り歩く。その中でひときわ大きな声援を受ける地元町田のエイサー隊、「青海波」と「町田琉」。この「フェスタ町田&町田エイサー祭り」の中から生まれてきた町田発琉球の風。今月の音楽人はその一つ「町田琉」三代目会長 加藤信弥 さん。

 加藤さんは町田二小・二中そして都立成瀬高校のご出身、いわゆる町田っ子。加藤さんのエイサーとの出会いは1996年のフェスタ町田。当時はエイサーの本場で町田の姉妹都市沖縄市から胡屋青年会が招待されていた。もともとお神輿を担いでいた加藤さん、エイサーの勇壮さに鳥肌が立つような感動を覚えた。血が騒ぎ始めたのだ。加藤さんら地元の青年経営者研究会のメンバーはやがて自らエイサーを習得すべく沖縄へ飛ぶ、そして胡屋青年会に指導を受ける。1998年、町田で二つ目のエイサー隊として「町田琉」が十数人のメンバーでスタートしたのである。

 ところで、エイサーは「ヤマト」(ナイチ)の盆踊りによくたとえられる。旧盆の最後に自分のシマ(地区)を「道ジュネー」(エイサーを踊りながら家々をまわること)し、ご先祖様の霊を送り、オジイ・オバアの長命を祈る。その構成は旗頭、太鼓踊(大太鼓、締太鼓)、手踊、女踊、チョンダラー(↓写真)、地方(三線・唄)で100人近い隊列も珍しくない。運営主体は地区の青年会が基本。各地区が衣装や選曲に工夫を凝らし、沖縄の夏を彩る。

 実は現在の「町田琉」も総勢100人強、その実力も本場沖縄から一目置かれるほどに発展を遂げているのだ。今では年間の出演回数も町田市を中心に30回を超える。会長の加藤さんに至っては夏場を中心に年間120日〜150日にエイサーがらみのスケジュールが入るという忙しさ。もちろんプロの芸能集団ではないのだ。こうなると悩みの種は練習場所だ。

 日本の伝統芸能には太鼓はつきもの。ところが人口が増え住宅が密集してくるとその稽古もままならない。その点は和太鼓やお囃子などと同様、エイサーもかかえる悩み。太鼓を遠慮なく叩けて保管も出来る公共施設がもっとできれば良いのにと思う。こういうのも重要な芸術文化政策。そうでもしないと都市部の伝統音楽文化は消滅してしまう。ジャパニーズパーカッションを守ろう!

 「エイサーは自分を高めてくれるものなんです。」「自分も感動し、人にも感動してもらうことを目指したい。」「エイサーの文化と心を大事にしたい。」「心技ともに認められた上で全島エイサーまつりに出場できたら最高。」 「お世話になっている多くの方々にエイサーを通して恩返しをしたい。」「町田市を中心に地域社会への貢献と活性化!」と夢を語る加藤さんは町田とエイサーを愛する真面目な会長なのである。

 さて、9月18日(土)・19日(日)、「町田エイサーまつり」のメイン会場は東急デパートから町田街道へ延びる道路、109の前。加藤さんの大好きな「仲順流り(ちゅんじゅんながり)」「固み節(かたみぶし)」「唐船ドーイ(とうしんどーい)」といったエイサーの定番曲が次々に演じられ、圧倒的な迫力で街を包む。(文:城川隆生)

【2004年8月以降の出演予定】
8月 7日 玉川学園南口商店会夏祭り
8日 成瀬駅前夏祭り
15日 沖縄物産展 IN 伊勢丹相模原店
エルシー夏祭り(ホテル・ザ・エルシー町田)
22日 紅豚発売記念式典(三越日本橋店)
9月 18日 フェスタ町田&町田エイサーまつり
(町田駅前商店街各所)
19日


チョンダラー

地方
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