町田音楽ネットワーク
今月の音楽人
13 2002年8月号)

何も存在していない所に人の心を動かす「モノ」を創り出す。
その「モノ」には誰も触る事ができないし終わればその存在は消えてしまう。
そんな「モノ」をこの地域で創り出してきた人々を紹介していきたい。


―  ストリートシンガー 長谷川直樹 さん ―

 現在、街に出るとたくさんのストリートシンガーたちがギターをかき鳴らしながら歌っている。 10年前、当時まだ少なかったストリートシンガーの1人として横浜スタジアムの横っちょで長谷川直樹は歌い始めた。 やがて、少年時代から馴染みのあった町田でも歌い始める。 周りの友人たちとただ単に群れて遊んでいることに疑問を持ち始めていた。 ただその場が楽しければ良いのか?お互いは必要な存在なのか? 芝居も始めた。「犯行現場」というアブナイ名前の劇団を主宰した。もちろん公演も10回くらい行った。

 長谷川直樹は横浜市旭区上川井の出身である。高校時代はこの町田を通って相模大野まで自転車で通っていた。 音楽を始めたのは19歳の夏だ。スケボーが欲しかった。 友達から売ってもらった時にギターと抱き合わせで4000円だった。 その年の大晦日に原宿のストリートであった自然発生的な集いに参加した。自分の歌を歌いたくなった。 10曲たまったらストリートで歌おうと決めた。そんな時に影響を受けたのは友部正人だ。

 2年前から主たる活動場所でもあるこの町田に住んでいる。 仕事は「解体屋」だ。遠くの現場まで行くと帰ってくるのは夜遅い。金曜日はそれからストリートに出る。 小田急町田駅からPOPビルに向かう地下通路で歌うことが多い。相模大野エスカレーター下の不動産屋の前ということもある。 最近はライブハウスへの出演も増えている。 かつては芝居も歌も冷静な眼を持っていればそれなりの表現ができると思っていた。 でも活動を続けるうちに「自分にはこの表現しかない」という仲間たちの真剣さを目の当たりにして考えた。 自分は甘いのか?表現者として逃げ場を作っているのか?彼は「歌」という表現手段を選んだ。

 長谷川直樹の歌には愛情表現は出てこない。聞いた人には「救いがない」とか「戦車が走った後の轍のようだ」と評される。

  「深海魚の顔を持つ女」・・・・・境川近くの飲食店街に立っている不思議な女性の歌。 「木星へ行きたい男」・・・・・町田に出没していた木星へ行くと言っていたおじさんの歌 。

 「マーティンの歌」・・・・・解体現場の同僚ナイジェリア人の歌 etc. ・・・・・。

 救われようが救われまいが、その人たちが現実に生きている事実、存在の強さみたいなものがそこに表現されている。 長谷川直樹にとって解体現場から社会を観るという視点がキーワードになっている。 どんな思惑があろうが、どんな立派な思想があろうが、どんな過去を背負っていようが、相手がどんな人間だろうが、 その時その時で「折り合い」と「決着」をつけて人は生きていかなければならない。 飽食と平和ボケのこの社会には珍しい「歌うたい」だ。(文:城川隆生)

ストリート以外の今後のライブ予定


8月18日(日)Atsugi Acoustic Festival
12:00〜19:00
場所:厚木公園(はとぽっぽ公園)野外ステージ
問合せ:ON THE STREET LABEL

8月23日(金)「生音」
20:30〜
場所:町田AtoZ



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