中世の丹沢山地 史料集 index

 『廻国雑記』(文明十八年 1486)


「・・・・・・・・・(前略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あしがら山をこゆとてよめる、 
  足柄のやへ山越えて眺むれは、心とめよと、せきやもるらむ
やまびこ山にて、
  こたへする人こそなけれ、あし曳の山ひこ山は、嵐ふくなり
さきのたび渡りける鞠子川をまたとほるとて、俳諧、
  まりこ川またわたる瀬やかへり足
八幡といへる里に神社侍り。法施のついでに、
  あつさ弓、八幡をここにぬかづきぬ。春は南の山に待ち見む
剣沢といへる所にて、氷を見てよめる、
  此のごろは水さひ渡れる剣沢、氷りしよりぞ名は光りける
蓑笠の森とて、社頭ましましけり。暫く法施侍りて、
  天が下守らむ神のちかひとや。ここにきやどるみのかさの杜
ふたつはしといへる所を過ぎ侍るとて、
  おほつかな、流れもわけぬ川水にかけ並べたるふたつ橋かな
宿相州大山寺。寒夜無眠。而閑寂之余。和漢両篇口号。
  蓑笠何堪雪後峰   山隈無舎倚孤松
  可憐半夜還郷夢   一杵安驚古寺鐘
  わか方をしきしのへとも、夢路さへ適ひかねたる雪のさむしろ
此の山を立ち出でて、霊山といふ寺に到る。本尊は薬師如来にてまします。
俳諧歌をよみて、同行の中につかはしける、
  釈尊のすみかと思ふ霊山に、薬師彿もあひやどりせり
日向寺といへる山寺に一宿してよめる、
  山陰や雪気の雲に風さえて、名のみ日なたときくも頼まず
熊野堂といへる所へ行きけるに、小野といへる里侍り。
小町が出生の地にて侍るとなむ、里人の語り侍れば、疑しけれど、
  色みえて移ろふときく、古への言葉の露か、小野の浅ちふ
半沢といへる所にやどりて、発句、
  水なかは沢へをわくやうす氷
・・・・・・・・・・(後略)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 聖護院門跡 道興准后の有名な紀行文です。東国の熊野先達が聖護院のもとに組織化されていったこの時代を知る上で、聖護院門跡のこの旅は注目を集めています。そして、道興の足跡からは、その当時の丹沢山麓の修験の拠点が「大山寺」「日向 霊山寺」そして「熊野堂」(現在の厚木市旭町)であったことが伺われます。

翻刻は、高橋良雄 他『中世日記紀行文学全評釈集成 第七巻』(勉誠出版 2004)など。

(2006/5/28 城川隆生)
【参考】『八菅山光勝寺再興勧進帳』聖護院