中世の丹沢山地 史料集 index

 雄山閣 『新編相模国風土記稿』第2版(1998)の大住郡巻之十「坂本村」「大山」の異同箇所

項目

雄山閣版 第二版
(1998)

鳥跡蟹行社版
(1888)

国立公文書館蔵
内閣文庫本
(1873)

国会図書館蔵
陸軍文庫本
(浄書本、1841)

大山
地誌調書上
謄写本
(1921)
※原本は1835

105ページ上段
「〇坂本村」概説

寺所蔵文書曰、禁制、…

寺所蔵文書曰。禁制。…

寺所蔵文書曰。禁制。…

寺所蔵文書曰。禁制。…

105ページ上段
「△新町」

村内三千百七十坪半

村内三千百七十坪半

村内三千百七十坪半

村内三千百七十坪半

飛地 三千百七十坪半

下段「〇瀧」
愛宕瀧

高二丈尺餘

高二丈尺餘

高二丈尺餘

高二丈尺餘

瀧落口ゟ滝壺迄弐丈弐尺五寸

下段「〇瀧」 良辨瀧

高三丈

高三丈

高三丈

高三丈

高サ 三丈

下段「〇瀧」
本瀧

幅一

幅一

幅一

幅一

瀧口 壱

106ページ上段
「〇相頓寺」

彌陀

彌陀

_彌陀

彌陀

阿弥陀如来

106ページ上段
「八大坊下寺」

所あり

所アリ

二所アリ

所アリ

106ページ下段
「〇奮家佐藤中務」

古文書七通蔵す

古文書七通蔵ス

古文書七通蔵ス

古文書七通蔵ス

107ページ下段
「〇大山」概説

亦曰意山

亦曰意山

亦曰意山

亦曰意山

108ページ下段
「〇大山」概説

夏秋の間も蚊の類…

夏秋ノ間モ蚊ノ類…

夏秋ノ間モ蚊ノ類…

夏秋ノ間モ蚊ノ類…

108ページ下段
雷嶽

曰、若人登之、震死、

曰。若人登之。震死。

曰。若人登之。震死。

曰。若人登之。震死。

108ページ下段
祖母山

遭仙人

遭仙人

遭仙人

遭仙人

110ページ下段
建久三年

五月八日法皇四十九日御佛

五月八日法皇四十九日御佛

五月八日法皇四十九日御佛

五月八日法皇四十九日御佛

110ページ下段
建久四年三月

仍被供養千僧之

仍被供養千僧之

仍被供養千僧之

仍被供養千僧之

110ページ下段
【大山不動霊験記】

天地隩區、観開創之盛典、

天地隩區。観開創之盛典。

天地隩區。観開創之盛典。

天地隩區。観開創之盛典。

111ページ上段
貞和三年

貞和三年月當寺造営に…

貞和三年月當寺造営ニ…

貞和三年十一月當寺造営ニ…
※※「一」を追記

貞和三年月當寺造営ニ…

貞和三年十一月 沙弥某
筑前権守 連名奉書壱通

111ページ上段
 貞和三年 所蔵文書曰

一門放仰也、放存知其旨状、

一門放仰也。放存知其旨状。

一門放仰也。放存知其旨状。

一門放仰也。放存知其旨状。

111ページ下段
【廻国雑記】

簑笠何堪雪峰、…

簑笠何堪雪峰。…

簑笠何堪雪峰、…

簑笠何堪雪峰、…

112ページ下段
修験学善坊

【北条代記】曰

北条_代記曰

北条代記曰

北条代記曰

113ページ上段
慶長十年 法印実雄 當寺旧記

然則傳法燈来際之處、

然則傳法燈来際之處。

然則傳法燈来際之處。

然則傳法燈来際之處。

姿逞犯戒乎、早改先非、

姿逞犯戒乎。早改先非。

逞犯戒乎早改先非。

逞犯戒乎早改先非。

入槐林、業精勤成思、茲…

入槐林。業精勤成思。…

入槐林。業精勤成思…

入槐林。業精勤成思…

実雄宿蘭若、而大権現之命

実雄宿蘭若、而大権現之命

実雄宿蘭若、而大権現之命

実雄宿蘭若、而大権現之命

113ページ上段
慶長十年 法印実雄

四月堂宇再興るべき由…

四月堂宇再興ルヘキ由…

四月堂宇再興ルヘキ由…

四月堂宇再興ルヘキ由…

115ページ上段
奮記 本堂は

寛永十八辛巳年五月廿八日

寛永十八辛巳年五月廿八日

寛永十八辛巳年五月廿八日

寛永十八辛巳年五月廿八日

115ページ上段
年中行事

(正月)八日、…、一一講

(正月)八日。…。一一講

(正月)八日…一一講

(正月)八日。…。一一講

三月三日、一一講

三月三日。一一講

三月三日 一一講

三月三日。一一講

(三月)十八日至二十一日、…、各一一講

(三月)十八日至二十一日。…。各一一講

(三月)十八日至二十一日。…各一一講

(三月)十八日至二十一日。…。各一一講

五月五日、…、并一一講

五月五日。…。并一一講

五月五日。…并一一講

五月五日。…。并一一講

七月七日、…、并一一講

七月七日。…。并一一講

七月七日。…并一一講

七月七日。…。并一一講

九月九日、…、并一一講

九月九日。…。并一一講

九月九日。…并一一講

九月九日。…并一一講

毎月五日、…、五一講

毎月五日。…。五一講

毎月五日。…。五一講

毎月五日。…。五一講

毎月十一日、…、一一講

毎月十一日。…。一一講

毎月十一日。…。一一講

毎月十一日。…。一一講

毎月十五日、…、三一講

毎月十五日。…。三一講

毎月十五日…。三一講

毎月十五日…。三一講

毎月十七日、…、一一講

毎月十七日。…。一一講

毎月十七日。…。一一講

毎月十七日。…。一一講

毎月二十八日、…、一一講

毎月二十八日。…。一一講

毎月二十八日…。一一講

毎月二十八日。…。一一講

115ページ上段
年中行事 七月七日

同日、同所帳、手長御供、

同日。同所帳。手長御供。

同日。同所帳。手長御供。

同日。同所帳。手長御供。

115ページ上段
年中行事 七月十七日

本宮帳、并修法一座、

本宮帳。并修法一座。

本宮帳。并修法一座。

本宮帳。并修法一座。

116ページ下段
鐘銘

于時侍臣承鈞銘命、隆師幹事

于時侍臣承鈞銘命。隆師幹事

于時侍臣承鈞銘命。隆師幹事

于時侍臣承鈞銘命。隆師幹事

于時侍臣承鈞銘命隆師幹事

被化六合。施益八埏霊徳

被化六合。施益八埏霊徳

被化六合。施益八埏霊徳

被化六合。施益八埏霊徳

被化六合 施益八埏
霊徳

117ページ上段 能作生玉と図

能作生玉  図

図のみ

鏡一面  図

鏡一面  図

神鏡壱面

118ページ上段 石尊社例祭

十三日より十七日迄を盆山と称す。

十三日ヨリ十七日迄ヲ。盆山ト称ス。

十一日ヨリ十七日迄ヲ盆山ト称ス。

十三日ヨリ十七日迄ヲ。盆山ト称ス。

118ページ上段 山頂に攀る

山頂に攀る、不動堂の傍にあり

山頂ニ攀ル。不動堂ノ傍ニアリ。

山頂ニ攀ル。不動堂ノ傍ニアリ。

山頂ニ攀ル。不動堂ノ傍ニアリ。

118ページ上段 社前の鳥居

松平越中守定信書せる由、

松平越中守定信書セル由。

松平越中守定信書セル由裏書アリ

松平越中守定信書セル由裏書アリ

118ページ下段 元禄六年棟札

去年四月四日、雨如注、霧晦冥矣

去年四月四日。雨如注 霧晦冥矣

去年四月四日。雨如注。霧晦冥矣

去年四月四日。雨如注。霧晦冥矣

去年四月四日雨如注霧晦冥矣

118ページ下段 二重瀧

下段四丈

下段四丈

下段四丈

下段四丈

下高サ四丈

 119ページ上段 二重瀧 上人因行多姿天位 上人因行多姿天位 上人因行多天位 上人因行多天位 上人因行多天位

119ページ上段 △二王門

地震の時、此王損せし事、

地震ノ時。此王損セシ事。

地震ノ時。此王損セシ事。

地震ノ時。此王損セシ事。

119ページ下段 碩学領

(慶長十年)十月碩学領五十七石の・・

(慶長十年)十月碩学領。五十七石ノ・・

慶長)十三年十月碩学領。五十七石ノ・・
※「十三年」を追記

(慶長十年)十月碩学領。五十七石ノ・・

碩学領五拾七石 慶長十三年十月四日

119ページ下段 客殿以下棟札

寺門顛、舎屋不全

寺門顛。舎屋不全

寺門顛。舎屋不全

寺門顛。舎屋不全

121ページ上段 18行目

蟠地、あらたなり、・・・

蟠地。アラタナリ。・・・

蟠地。アラタナリ。・・・

蟠地。アラタナリ。・・・

121ページ下段 2行目

は不思議に、つはいなみ難くも・・・

ハ不思議ニ。ツハイナミ難クモ・・・

ハ不思議ニ。ツハイナミ難クモ・・・

ハ不思議ニ。ツハイナミ難クモ・・・

121ページ下段 4行目

つゝ鳥小男の、耳の外はいとはし

ツツ鳥小男ノ。耳ノ外ハイトハシ

ツツ鳥小男鹿ノ。耳ノ外ハイトハシ

ツツ鳥小男鹿ノ。耳ノ外ハイトハシ



『新編相模国風土記稿』編纂のために昌平黌地誌調所が各所から提出させた『地誌調書上』のうち、2017年に発見した八菅山光勝寺の書上を史料の一つとして『山岳修験 62号』(日本山岳修験学会)に「「相模の国峰」再考-『相州愛甲郡八菅村附属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』」を発表いたしました。

 また、2018年、やはり2017年末に発見した大山寺と大山町の書上を分析し、八菅山の分析と合わせて研究発表「相模の一山寺院と『風土記稿』地誌調書上 ―大山寺と光勝寺―」を日本山岳修験学会 伯耆大山学術大会で行いました。この作業の中で、『新編相模国風土記稿』の刊本と内閣文庫本、そして書上の内容の異同がとても多いことに気付き、これを慎重に扱わなければならないと実感いたしました。研究情報の共有のために気付いた異同点を漸次公開いたします。(2018/7/3-7/5、10/15一ヶ所追記、11/4解説追記、2022/8/4一ヶ所追記)



 内閣文庫本(写本)・鳥跡蟹行社版(活字刊行本)・雄山閣版(活字刊行本)の底本と考えられる陸軍文庫本(地誌調所蔵浄書本)のデータを追加いたしました。詳細は「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」『山岳修験』第65号(日本山岳修験学会 2020)をご覧下さい。
 『新編相模国風土記稿』の浄書本は天保12年に二部作成され一部は将軍へ献上されましたが明治6年(1873)5月に火災で焼失しています。もう一部は地誌調所に保管され明治6年12月以降、各写本・刊行本の底本として活用された後、陸軍が敗戦間際まで蔵書としていました。戦後は国会図書館の蔵書となっていましたが昭和51年(1976)まで未整理の状態だったためかあまり知られることなく現在に至っています。(2020/09/03)

  城川隆生
【参考】
拙著『丹沢・大山・相模の村里 と 山伏』(夢工房 2020)
拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」
(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会 2020)
拙稿 「「相模の国峰」再考-『相州愛甲郡八菅山附属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』-」
(『山岳修験』第62号、日本山岳修験学会、2018)