中世の丹沢山地 史料集 index

 雄山閣 『新編相模国風土記稿』第2版(1998)の愛甲郡巻之四「八菅村」の異同箇所

項目

雄山閣版 第二版
(1998)

鳥跡蟹行社版
(1888)

国立公文書館蔵
内閣文庫本
(1873)

国会図書館蔵
陸軍文庫本
(浄書本、1841)

『相州八菅山書上』
(1826)

223ページ下段 【役帳】曰

内藤左近将監三十貫、…

内藤左近将監三十貫。…

内藤左近将監。三十貫。…

内藤左近将監。三十貫。…

 

224ページ上段 蛇形山

蛇形山と名けしとなり

蛇形山ト名ケシトナリ

蛇形山ト名ケシトナリ

蛇形山ト名ケシトナリ

224ページ上段 口池

水涸て蹟に石標を達

水涸テ蹟ニ石標ヲ達

水涸テ蹟ニ石標ヲ達。

水涸テ蹟ニ石標ヲ達

口池跡ニ印之石有之

224ページ上段 子生尾

子生尾 奈之尾

子生尾 奈之尾

生尾 奈之尾

生尾 奈之尾

子生尾 ナシオ

224ページ下段
應永二十六年勧進帳

曰、夫以當者、…

曰。夫以當 者。…

曰。夫以當者。…

曰。夫以當者。…

※『応永二十六年勧進帳』
曰夫以當者…

自都天降臨此山時、八本…

自都天降臨此山時。八本…

自都天降臨此山。時八本…

自都天降臨此山。時八本…

※『応永二十六年勧進帳』
自都天降臨此山時八本…

和合因縁憑縦亦宿縁薄…

和合因縁憑縦亦宿縁薄…

和合因縁憑。縦亦宿縁薄…

和合因縁憑。縦亦宿縁薄…

※『応永二十六年勧進帳』
和合因縁馮縦亦宿縁薄…

225ページ上段
六石六斗の御朱印

天正・元和・寛永の御朱印には

天正元和寛永ノ御朱印ニハ

天正元和寛永ノ御朱印ヲバ

天正元和寛永ノ御朱印ニハ

寄進八菅山殊寺中不入…

寄進八菅山殊寺中不入…

寄進八菅山。殊寺中不入…

寄進八菅山。殊寺中不入…

殊寺中可為不入者也

225ページ下段
△海老名源三季貞墓

五輪塔にて高四尺、梵字を彫す、

五輪塔ニテ高四尺。梵字ヲ彫す。

五輪塔ニテ高四尺。梵字ヲ彫す。

五輪塔ニテ高四尺。梵字ヲ彫す。

海老名季貞墳 石塔梵字之外無銘

225ページ下段
△別當光勝寺

△別光勝寺

△別光勝寺

△別光勝寺

光勝寺

光勝寺 一山之号ニ御座候

226ページ上段
應永二十六年勧進帳

宜哉八丈八手之玉幡…

宜哉八丈八手之玉幡…

宜哉八丈八手之玉幡。…

宜哉八丈八手之玉幡。…

※『応永二十六年勧進帳』
宜哉八丈八手之玉幡…

226ページ上段 本尊ほか仏像

如来

如来

如来

如来

如来(詳細な図像あり)

226ページ上段 五知如来

慶長十九甲寅四月十五日と

慶長十九甲寅四月十五日ト

慶長十九甲寅四月十五日トアリ

慶長十九甲寅四月十五日トアリ

慶長十九甲寅四月十五日

226ページ下段
三十箇所の行所

二十四番金色嶽、
二十六番千手嶽、

二十四番金色嶽。

二十六番千手嶽。

二十四番。金色嶽。
二十六番。千手嶽。

二十四番。金色嶽。
二十六番。千手嶽。

廿四番
 金色嶽 弁財天四天童子
 同断(深山ニ而村不相分)
廿五番
 十一面嶽
 帝釈天世無畏大士
 同断

廿六番
 千手嶽 観世音天童
 同断

226ページ下段 脇差刀

長船義清とあり、

長船義清トアリ。

長船義清トアリ

長船義清トアリ

長船義清

226ページ下段
天文二十一年碑傳

一基は長六尺餘幅一餘、

一基ハ長六尺餘幅一餘。

一基ハ長六尺餘。幅一餘。

一基ハ長六尺餘。幅一餘。

竪六尺余 巾一

226ページ下段 正応四年碑傳

松田僧正の建所唵正應四年…

松田僧正ノ建所唵正應四年…

松田僧正ノ建所唵正應四年…

松田僧正ノ建唵正應四年…

唵 正應四年…

227ページ上段 脇坊

… 西之坊  圓秀坊 …

… 西之坊  圓秀坊 …

… 西之坊 南正坊 秀圓坊 圓秀坊 …

… 西之坊 南正坊 秀圓坊 圓秀坊 …

 同断(准年行事格)
 南正坊
一 本尊 不動明王

        立像七寸余
   一派先徳作
  正徳二年銘有之
 同断(准年行事格)
 秀圓坊
一 本尊 不動明王

       座像三寸余
        作物ニハ無之候

… 教學 代々坊 金蔵坊・・・

… 教學 代々坊 金蔵坊・・・

… 教學坊 代々坊 千代坊 金蔵坊・・・

… 教學坊 代々坊 千代坊 金蔵坊・・・ …

退転之分 教学 代々坊 千代坊 金蔵坊…・・・


 『新編相模国風土記稿』編纂のために昌平黌地誌調所が各所から提出させた『地誌調書上』のうち、2017年に国立公文書館所蔵の原本を確認した八菅山光勝寺の書上を史料の一つとして『山岳修験 62号』(日本山岳修験学会)に「「相模の国峰」再考-『相州愛甲郡八菅村附属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』」を発表いたしました。

 また、2018年、やはり2017年末に発見した大山寺と大山町の書上を分析し、八菅山の分析と合わせて研究発表「相模の一山寺院と『風土記稿』地誌調書上 ―大山寺と光勝寺―」を日本山岳修験学会 伯耆大山学術大会で行いました。この作業の中で、『新編相模国風土記稿』の刊本と内閣文庫本、そして書上の内容の異同がとても多いことに気付き、これを慎重に扱わなければならないと実感いたしました。研究情報の共有のために気付いた異同点を漸次公開いたします。(2018/7/11、11/4解説追記)



 なお、国立公文書館デジタルアーカイブでは『相州八菅山書上』(文政9年)の公開を始めています。それにしても、原本の複写を入手する際に4480円の手数料をお支払いいたしましたが、そのうち3640円がスキャニング手数料でした!私のお支払いしたお金で公開が進んだ訳です!なんという事だ。(2020/4/20追記)



 内閣文庫本(写本)・鳥跡蟹行社版(活字刊行本)・雄山閣版(活字刊行本)の底本と考えられる陸軍文庫本(地誌調所蔵浄書本)のデータを追加いたしました。詳細は「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」『山岳修験』第65号(日本山岳修験学会 2020)をご覧下さい。
 『新編相模国風土記稿』の浄書本は天保12年に二部作成され一部は将軍へ献上されましたが明治6年(1873)5月に火災で焼失しています。もう一部は地誌調所に保管され明治6年12月以降、各写本・刊行本の底本として活用された後、陸軍が敗戦間際まで蔵書としていました。戦後は国会図書館の蔵書となっていましたが昭和51年(1976)まで未整理の状態だったためかあまり知られることなく現在に至っています。(2020/08/30)

  城川隆生
【参考】
拙著『丹沢・大山・相模の村里 と 山伏』(夢工房 2020)
拙稿「相模の一山寺院と『新編相模国風土記稿』地誌調書上-大山寺と光勝寺-」
(『山岳修験』第65号、日本山岳修験学会 2020)
拙稿 「「相模の国峰」再考-『相州愛甲郡八菅山附属修行所方角道法記』と『相州八菅山書上』-」
(『山岳修験』第62号、日本山岳修験学会、2018)